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【体験記4】東京拘置所アディショナルタイムと移送前夜

東京拘置所強制就職脱落翌日、
元いた棟の単独室に転室。

担当の職員に、
「どうしちゃったの?」
と聞かれる。

いちおう理由は、
前の棟の担当に合わせて。
「精神的な問題で辞退しました」と、
答えておいた。

やはり、
辞退者は少なかったのだろう。

そして担当職員から、
「行動訓練すると、
運動は1人になるんだよね」
と運動は移送まで毎日1人でやるコトになった。

話す人がいないって、
本当にツラい。
人は1人では生きられないというコトを、
身をもって体感した期間だった。

となりの鳥かごで、
もともと話していた人たちの話し声が聞こえるのも、
なんとも悲しい現実。
ツラかった。

ここで時系列を一旦整理しよう。

保釈が終わって、
東京拘置所に来たのが、
3月中旬。

オウム真理教信者が、
移送完了したというニュースを聞いた頃だった。

それから、
東京拘置所強制就職のなんやかんやで、
4月中旬に。

その4月中旬から、
ひたすら紙袋折りの日々を過ごすことになる。

誰とも話さず、
毎日紙袋折り。

面会も月2回しかできないので、
ほとんど会話ができない。

会話ができるのは、
担当の職員に願い事を言う時と、
作業衛生係に、
作業について質問する時のみ。

精神的に、
もっともマイッタ時期であった。

そこからゴールデンウィークも過ぎて、
少し経った5月15日頃。

いつものように紙袋を折り折りしていると。
15時くらいだっただろうか。

いきなり担当職員がドアを開けてきて、
「明日移送が決まったよ」
「いままでおつかれ様」
「今日の作業はここまででいいから、
ゆっくりしててね」
と、
労いのお言葉。

やっと寂しい状態から脱出出来るという、
うれしい気持ちと。
これからどうなるんだろうの、
不安な気持ちが混ざった、
ネガティブな感情ダブル状態だったのを覚えている。

この時点では、
どこに移送されるかは未定。
どこか遠い所だったらどうしようと、
すごく心配で、
その夜はなかなか寝つけなかった。

そんな、
東京拘置所ラストナイトだった。


もし、東京拘置所に行った時のポイント
・単独室がいいなら、うつ病と自己申告すべし
・保釈期間と未決期間に、やれることをやっておく
・東京拘置所にとどまれるのなら、とどまるべし

それではまた。

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