学習すべき事とそれが出来る人と「普通」と

 私は、今のまま社会が進めば破綻するとそう信仰している。数年前から始まっている教育内容の見直しからそう考え始めた。

 最近の子供にはプログラミングと英語学習をさせるらしい。勿論、他の科目もこなす。無理であろうと思った。確かに覚えれば幅広く活用できる項目である。しかし、歴史を、科学知識を、第一言語の言語能力を、基礎数学を、家事を、倫理を学んだ上で更に第二言語と機械言語を?勿論、出来る子には出来るだろう。だが、全ての人が出来るか?もっと具体的に言うと、IQが幾つぐらいの子供ならそれがこなせるのか?

 現代では色々な技術が専門化し、発達している。それ故に生涯学習をし続けなければついていく事ができない。
 私には発達しすぎた様にも見える。一体、何割の人間がこの社会についてこれるのだろうか?これから先の社会に何割が「普通の人間」として生きていけるのだろうか?

 勿論、多くの学者や官僚がそうならない様に考え、動いているのだろう。だが、既にだいぶ「普通の人間」の基準は上がり、存在が消えてしまったように思う。

 「英語が話せるなんて凄いな!」「コンピューターがわかるのか!」「男はしっかり働きに出ればいいんだ!」「大学を出た学士様だ!」
 「英語は使うから必ず覚えろ。」「パソコンが使えないと話にならない。」「男だろうが家事は手伝って当然。」「高卒は受け入れない。」

 ずいぶん、当然が遠く、普通は消え去った。学校で教育をするなら、また更に普通の基準が増えるだろう。
 本当に、人はそう言った普通についていけるだろうか?肉体によってIQや得意不得意が大きく出てしまう人間と言う動物は、普通に付いてこれるのか?

 私は、今のまま社会が進めば達成不能の「普通」が当然となり、社会は破綻するとそう信仰している。

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