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Sugarpractice、イメージ通りの写真を撮る、それについてくるカメラとは

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今日はカメラの話をします。
初めましてこんにちわ山岳写真ブログを書いてるRedsugarです。GW皆さんいかがお過ごしでしょうか、毎朝4時半に散歩コースの畑で撮影し続けて2週間くらいたちました。
365日毎日撮影を続けるSugerpracticeも7か月目に突入し、初期に比べると使うカメラもK-1mkIIが追加されずいぶんと作風も変わってきた気がします。

さて、何よりも現像を一切することなく撮って出しで写真を撮り続けることにより、その場で写真を完成させるというワークフローを練り続けているというのがこのsugarpracticeの特徴でしょうか。

noteでも写真を楽しむ人はたくさんいらっしゃると思うんですが、カメラ内の撮って出しだけでここまで7か月間毎日写真撮り続けてこうやって記事書いてるような人って少ないと思うんですよね、うん。

習慣備忘録のようなnoteですが、その週に思ったことを書いていくsugarpracticeまとめ、今週は先週に引き続きその場で写真を完成させる。
そのためにイメージを持つということと、そのイメージにその場でついてくるカメラの小話です。

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景色を見たときに目についたもの、そのもとにそそくさと向かっていくときに、とりあえず露出を合わせて撮影すると思うのですが、その時にイメージっていうのがなんとなく頭の中にあると思います。
それが鮮明なら鮮明なほど、迷わなくなるし、それがない場合、おそらくそれは撮ったあと家に帰っても微妙だなって思うんじゃないかな、と最近思います。

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タンポポの綿毛、かわいいなと思って近寄った時に、1枚目は周りが新緑で、緑が強くて柔らかい感じがしたのであえて緑を強く設定して撮影してみたり、2枚目は優しく浮かび上がってて、朝日に照らされつつもその下は真っ暗、ちゃんと浮かび上がるようにしようと思って設定を変えてみたり。
撮影後プレビューで絞りを変えているときとか、なんとなく撮影のイメージがあると思っています。

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イメージというのは色とかじゃなくて、漠然とした雰囲気とか、頭の中に浮かぶ映画や漫画、過去の記憶のシーンとか、そういうものがあるのかなと。
そしてそういうキーワードには色がついていたりして、写真を撮った時にそういう記憶を想起させるとかが出来れば、それはいい写真なのかなと最近思います。

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登山では記録という形で、絞り切って撮ることが多いのですが、普段の撮影はどちらかというとそういう雰囲気になりがち。
これはきっと撮影時の自分のテンションや気持ちが強く影響していると思います。

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登山しているときとかって、テンション高いし、ブログにすることも考えてるし、だから全部捉えようとする。

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けど普段の散歩ではそういうのがない、気になったもの、その時の気分が見つけてくれた景色や物、そこに引き寄せられていく。
だから写っているものの記録とか景色よりも、雰囲気や感情が想起させられるようなものになっているか、そういうことが気になります。

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雰囲気を撮るとか、記憶を想起させるとか、そういう形のないイメージをつかみ取ろうとするには撮って出しはとても勉強になるかなーと。
その場その場の気持ちや、感じたことって少し歩いたら忘れちゃうけど、その場で捕まえれるようになればいいじゃない。

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朝日や夕日を逆光で眺めているときって、朝日は希望があるんだけど、夕日は寂しい感じがします。ただ、照らされる被写体は必ずしもそういう雰囲気にはならないんだなと、写真の雑草とかは夕日なんですけど、ちょっときれいでキラキラしてる。キラキラして見えたからなんだけども。

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沈む間際の太陽の光とか、地平線間際の太陽の光はこんな感じでなんでも寂しくしてしまったりする。これは夕日の時間帯で、大体夕日の時間は子供がおうちに帰るために寂しく帰っていて、それにつられて僕もそういう感じのものを撮る。

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開放で、霞んだ目に映る景色みたいにして、眠い目に見える太陽みたいな感じにしたり、浮かび上がるイメージから絞りと色を割り出して設定をしてゆく。そして、最近思ったのはそういう「イメージ」を浮かべたときに、ちゃんと追いついてきてくれるカメラはいいなという話です。

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僕は長い事NikonのD850を使い続けていて、最近PENTAXのK-1を購入したんですね、どちらもイメージに追いついてくる写真をその場で表現してくれます、それはカメラ内の現像機能や、画像設定の自由度が高いから。
ちなみに最近K-1ばかりですねって言われますが、実は半分の写真はD850です、今週は少しK-1が多いけども。

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イメージを浮かべたときにどのカメラでも絞りはついてきてくれます、でも色はどうだろう、PENTAXは調色などを使うことによりLrの明暗別色補正みたいな質感がその場で作れちゃうし、D850も彩度のコントロールで結構頑張ってくれる。
自由度という意味では、K-1が圧倒的に素晴らしいんだけども、なかなかカメラエンジンを活かした撮って出しってする人がいないし、プロのほとんどはLrを使うから、みんなもやらないのかなって。

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でもカメラを作っている人はカメラの中でいろいろとできるように作ってくれているんですよね、画像処理エンジンもその一つ。それをちゃんと使いこなしてあげれば、下手なLrよりも全然楽にイメージ通りの絵が出せると思う。僕は最近そう考えることが多いです。
そして、カメラエンジンは破綻しにくいから、そこに目が慣れておけばLrを使った時も無茶な現像をしなくなるよねって思う、これはまぁもっと練習して目を養わないとだめだなと思うけども。

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RAWから写真を作るとき、画面の前で写真を見てイメージを考えていました。でもそうじゃなくて、現地で景色を見たときに思ったこと、考えたことをそのまま絵にするためにカメラの設定をいじる。
そしてそのまま写真にする、するとなかなかLrの前だと考え着かないタイプの写真が撮れるかなと思います。

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RAWから作りこむのが難しいとか、適正露出から距離のある表現って画面の前だと想起しずらいのかなと

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この写真はK-1の銀残しを利用しましたが、RAWだと緑色がもっと強いし、全体的にシャドウが浮いてるので、キーのコントロールを利用した光のデフォルメとかを思いつくかといわれると、難しいかなと思います。

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目の前の、手に持っているカメラがそもそもLrみたいな機能を持っていて、その場で絵を作りこめると考えると、とっても楽しくないでしょうか?

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僕のつたないイメージに、PENTAXとNikonは追いついてきてくれています、そしてカメラの設定値で出てくる絵をたくさん見ることで、現像のレパートリーやキーワードも増えました。
写真集で見たあの写真、記憶の中の景色のキーワード、そういったものをまず表現するのにも、撮って出しを使うって毎日毎日試行錯誤を繰り返すのはとても楽しいのです。

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今コロナで人との接触が95%くらい失われ、コンビニの店員すら釣銭を手渡ししてくれません、最後に息子と妻の肌に振れたのはいつだったろう、最近は人肌恋しくて自分の二の腕を触ろうかなとか思ったり。
そういう感じで寂しい時間が募ると、目の前の景色もそういう感じに写してみようかなって思ったり。
だから、全体的にキーワードの方向性が暗くなるんですね。

上の写真は蜘蛛の巣が朝露を浴びてリズムを刻むように現れてました、アンダーで不気味な感じに浮かび上がるように、明瞭とコントラストを上げて、色合いを下げる、D850をそんな感じにいじって撮影しています。

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被写体を見て、その時思ったことややりたいことに合わせて毎回設定を変えましょう、時間はかかるかもしれないし、NikonだとRAW現像画面で一回現像してからになるかもしれない。
でも半年も続けりゃ大体どんな色になるか大体の数値がわかるようになったり、毎朝同じところを歩いて撮影していれば、どの設定値であれがとれたなとか、そのうちわかるようになる。
反復練習が、よりイメージを鮮明にするし、イメージにたどり着くまでの工程をより強固にしてくれる。

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霧の向こうに立つ枯れそうな木が浮かび上がる、不思議な感覚を覚えたので、自然と彩度を下げて、コントラストも下げて、そんな感じで目の前の景色と設定値の感覚がリンクするようにいつかなる。
もっともっといろんな場所でその感覚がリンクするようになれば、もっと楽しくなる。

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ヒナゲシも本当はもっとキラキラとした光を纏っていたけど、どうしても暗い気持ちになる中だとそうは撮れないし、きれいだけど称賛するほどでもないきれいな光だ、そう思った時自然とやっぱり暗い設定にして撮影しているんですね。

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朝霧の向こうに立つシンボルツリーを見て、ちょっと興奮して、幻想的だなと思った時に、頭の中に浮かんだ絵の色はあんまり濃い色じゃなかったし、目の前の景色をそのままに、少し幻想的に。
そう思ったらK-1をほのかに合わせて調色は黄色系、彩度は落としてキーも真ん中より、みたいな感じで調整をしていきます。

そして3枚くらい微調整してみて、これだなってものが出る。
ちなみに取り込んだ後に色が違うことってあるんですか?って聞かれるんですが、なぜかないです。
多分取り込んだ写真のイメージや印象がなんとなく残ってると感じれば、色は些細な問題だなと思っているんでしょう。

どんなにきれいな色が出てても、受ける印象がなければそれは意味ないし。

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見る人の環境によっても色なんて変わるしプリントでも変わる、でもなんというかちゃんと雰囲気とかイメージが残っていれば大体似たような感じに見えるよねと、それをちゃんと撮影時にもって撮れてるか撮れてないかっていうのは、大事なんじゃないかなとここ数週間思います。

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あと、そういうことを考えてその場で頑張ってみて、撮影後のプレビューで思った通りのものが撮れていたとき。とてもうれしいです。

朝露を浴びて育ちゆくスギナ

現像迷子ってよく聞きますが、イメージをその場で決めれば迷うこともないし、迷うということはその時自分のイメージをちゃんとつかみ切れてなかったのかもしれない、それは目の前に良い景色があったからシャッターを押しただけじゃない?とか思ったり。
撮って出しはそんなときによく聞く薬なのかもしれません。

夕日に照らされる牧草地脇のベンチ

というわけで、寂しい写真を今週も撮り続けた1週間でした。
今週の選定枚数はK-1mkIIがD850よりも枚数が多いという結果でした。
正直ね、今売ってるカメラで一番カメラ内現像が優れてるのはPENTAXだと思うよ、Lrが入ってると同じくらいなんでもできるもん。
PENTAX使えばLrいらないなって過激なことが思えるくらい。

ちなみにD850は次点でしょうかね、設定値がちゃんと多いのですが
明瞭のコントロール次第でハロが出やすかったり、コントラストの設定が難しかったりするので、ちょっと慣れが必要かなと思ってみています。

世の中には、メーカーが定めたフィルム色をまず前提として使いなさいっていうカメラとか、Lr前提だから設定項目少なくてもいいでしょっていうカメラとか、いろいろあるので、純粋な性能以外にもそういうUI面や使い勝手のところにも目を向けてみるといいかもしれません。

登山ブログを書いたり、山で写真を撮っています、登山写真で気が付いた技術をひたすらつぶやきます。