Sugarpractice、日々の写真と徒然

こんにちは、Redsugarです。

2019年10月からtwitter上で行っているsugarpractice、自分自身でまとめて見れる場所が欲しいなと思っていたのですが、ブログは登山記録を中心にしておいてあげたいし、日々の練習は別途どこかにまとめたいなぁと。

そんなことを思っていたらnoteという便利なものを僕は描いていたではありませんか、ということで1週間の練習や考えていたことを雑記的にパラパラ―っと書き留めるnoteを飽きるまでやってみることにしました。

sugarpracticeとは、Redsugarが行う日々の練習で、モノクロ開放限定で撮影していたり使うレンズを限定していたりいろいろと毎日実験しながら撮影のことを考えるコンテンツです。

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1月1日、帰省初日ということで何も撮れねぇ!と思う、さっそくピンチ、だが朝早く起きたおかげで部屋の窓際が比較的光にあふれていたので、なんかうまくできんかなと頭を悩ませることができた。

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部屋の中でも撮れるものがあれば外の出ない日も何かしら取れるかもしれないよね。

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新年最初の山は面白山、吹雪の中だけどいい景色が見れました。基本撮って出しなんだけどその場で現像して設定を合わせてもう一度撮影するというめんどくさいことをやっています、そのうちその場で現像しなくても絵が大体わかるようになりたい。

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面白山は下から眺めるとこんな感じ、積雪はひざ下までで積もったばかりでした、天童高原からのコースは山頂直下の斜度がきつく、油断すると転げ落ちていきそうなので注意したい。

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稜線からは大東岳がとてもかっこよく見えます、山頂からの雄大なショットはフォトコンの機会とかがあれば出せそうな一枚だったので、とっとくことにしました。

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下山時に見えるこういう夕暮れが最近好きです。

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下山して次の日も自由を言い渡された僕はそろそろ離婚されるのかなと思い悩みつつ母校へ、学生時代に戻りて―なと思いながら母校裏の丘へと駆け上る。

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山形市を一望できる丘がある芸工大、僕は山形市のガスタンクのことをキンタマと呼んでいたことを思い出す、ライムグリーンなんだけどな。

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霞城セントラル、上山の不思議なマンションと双璧をなす山形の高層建築だ。

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新年あけて早々の林道なんて人はいないだろうと思ったら意外に散歩客がいたのが驚きだった。

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枯葉の季節だ、秋と違って死の雰囲気というか寂しさが全力を出している枯葉が撮れる、いや、そういう風に見ている自分が撮れているのかもしれない、ストレートフォト的には。

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50㎜f1.8を持ってきていたのでD7200に取り付けて中望遠として遊んでいた、出来れば50㎜で使ってあげたい。D7200はとてもいいカメラなんだけども、僕のやつ少しセンサーゴミが付きやすいんだけど気のせいか?

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竹林に差し掛かったところで日が傾いた、斜光の竹林ってめちゃくちゃかっこいいやんけ、ここは様々な被写界深度を試すべきだったと後悔した。

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北海道には竹がない、だから竹はいつ見ても新鮮だ。

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地面の何の変哲もない景色だが、なんとなく癒されることがある、田舎で育ったからだろう。都会で育つとアスファルトを見ると落ち着いたりするんだろうか。

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妻の実家の近くをうろうろするときは人間将棋で有名な舞鶴山周辺を歩いた、山形県の天気はちょっと変わっていて、日本海側から雲が黙々とやってくるが月山に阻まれて山形に来る頃にはこんな感じに薄明光線交じりのエモい雲でやってくることが多い。奥羽山脈側を見ると雲が山を越えようとしてエモくなっている、松尾芭蕉もエモいエモいといった山形の景色は東北と上信越いろいろ言った僕から見ても確かに特殊だ。

特に朝方と夕方の水墨画のような山の世界、折り重なる低山の稜線が見せる景色はほかの県では見たことがない、長野とか山デカすぎるしな、アメリカ人的なダイナミックさがあるけどWABISABIはない、と東北贔屓の僕は思う。いや、Disなわけじゃないんです、どいつもこいつも特徴的でかっこいいから困るといっているんです。まぁこの写真は奥羽山脈側ではないので山は何も映ってないんですけどね。

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東北だとね、こういうの山の上から良く撮れる、山が小さくてそれが東西にずーっと連なっているから、新潟とか福島も行けるんだけど結構特徴的かつかっけーやつが沢山いるから「お、燧ヶ岳いるやんけ!」ってなってしまう、ちがう、そこじゃないんだと涙を流したくなることもある。

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舞鶴山のおじさん、24時間テレビのサライで泣くおじさんに似ている。

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枯葉にカメラを向けているときに構図を極めるの背景をシンプルにしろっていう言葉を思い出す、トレーにパンを載せるけどトレーの柄がめちゃくちゃだと食欲が減衰するだろっていうアメリカ人にありがちな例文で説明されたやつ。

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ニコンの撮って出しの雰囲気がいまだにつかめない、撮影後にRAW現像画面に入ってすぐにこうかな?こうかな?とやってみるが、余裕がない時は当然できない、膀胱が破裂しそうとか、おなかが痛いときとかさ。

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撮って出し太郎はその場で終わりとする競技だ、自分が良いなと思った瞬間を画にとどめたいなと思うその瞬間を逃さないようにと意識はしているが、見たまんまありのままに捉えても自分の気持ちが他人に伝わることはない。ので構図を気にしたりするし、色をいじってインパクトを求めたりするんだろう。僕の場合はどうしても明瞭でメリハリを求めてしまう、ハイキーゆるふわーとかも選択肢としてはあるのになんでそういうのをやらないのか、いわゆる男根思想なんだろうか、男根的っていうとシンディシャーマンのディザスターの一枚を思い出す、教科書に「男根的なカメラの視線によって死へと追いやられる社会における女性」的なことが書いてあったけども誤った覚え方をしてしまう、中学生か。

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帰りの日は吹雪だった、12時間寝て起きたらお昼。カメラをもって水滴を撮りながら背景に雪が写って白飛びした部分があると水滴にアイキャッチ行かねーもんな、こういうところ普段から意識しないとなと思って練習をしていた、教科書は読んでも内容が身につくのは年単位必要なんじゃないかと頭を抱える。

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日が傾けば車が光る、サービスエリアで必死に撮影を繰り返しながら帰る。

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背景は一食ならいいというわけでもないんじゃないか、森というか枝しかねぇというテクスチャ的なものでもいいだろ、そんなことを考えながら那須高原のSAを子供を背負いながら歩いていた、そして僕の正月は終わった、おかしいな天狗岳に3日間ほど入り浸っているはずだったんだけどなぁ……?


子供が風邪をひいて6日に通院の関係で東北に帰り、再び家族で埼玉に帰っていた2020年年明けでした、一人になる機会はまた今度、その時行ける山よ待ってておくれよ。



登山ブログを書いたり、山で写真を撮っています、登山写真で気が付いた技術をひたすらつぶやきます。