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執筆活動で僕がかなり苦労した話・3

 いよいよ最終となる第三回目になります。

 一回目は執筆活動初めの苦労、二回目は執筆活動中の周囲を気にした苦労。そして三回目は、一回目と二回目の要素を混ぜ込んだ内容でお届け致します。

文章を書く上で

 いきなりですが執筆活動している皆様、こんな経験はないでしょうか? 学生時分の作文で台詞を書く時、締めの鉤括弧で、句点をつけてから括弧をつけませんでしたか?

 僕は初めて小説を執筆した時、それをそのまま生かしてしまい、全ての台詞の締めには句点+括弧でした。けど、どの小説でも構いません、開いて見て分かるはずですが、台詞には括弧だけで締めています。

 こういったように、小説内ではそれなりの常識が存在します。この鉤括弧も、何かの引用をまるまる用いた場合では句点+括弧の場合もあり、他にも台詞は改行しないとか、二重鉤括弧”『』”を用いるにはどういった場合があるかなど、調べてみれば奥が深いです。そしてそれも確実ではなく、そういった方法を使う方もいれば別の方法を使う方もいるというのです。

 これは自分で経験し、自分なりの方法を見出すしかありません。

 他にも、”?・!”を使用した際、次は一文字開けてから次の文を書くのです。一例をあげます。

例:「おはよう! ん? 元気ないじゃん。どうした?」

 そいつは訊かないでくれよ。大人は色々あんだよ……。←やかましい! 違うわ!!(; ・`д・´)

 話を戻します。例文では、先に説明したように一文字開け、”?+」”と”句点後に文章”の場合は一文字も開けません。(余談ですが、?←これは、ハテナマーク・クエスチョンマーク・疑問符と読み、!←これは、ビックリマーク・エクスクラメーションマーク・感嘆符と読みます)

 他にも探せば色々ありますが、僕にはそれら全てが分かっていません。ですから、有名作家さんの小説を読んで勉強したり、小説の書き方をネットで調べています。

応募期限ギリギリで焦る

 夏休みの宿題は七月中に終わらせる。そう意気込んで最終的に宿題は八月末で必死になって行い、新学期が始まってもまだできていないが、提出する科目の授業日までの”延長戦”を利用して間に合わせた。

 こんな方が多いのではないでしょうか。ちなみに僕はこれに当てはまり、九月の終わりにようやく全てを提出した。(当然先生に怒られてます)という年もあり、思い出さなくてもいい夏の思い出です。

 そんな黒歴史はさておき、”コンテストの期限ギリギリまでに執筆を完成させ、応募すれば問題ない!”←こんな考えの方はかなり危険です。苦労して書き上げた小説をみすみす落選ゾーンに投げ入れる暴挙です。僕もこの、夏休みの宿題手法(勝手に命名(一一"))を何度か行い、気持ちよく落選し続けました。

 あるテレビ番組での事です。プロの作家さんも、書いた小説は三日かそれ以上眠らせる。という事を言ってました。なぜすぐに見直して担当編集者に渡さないかというと、書き上げた時の興奮や脳を落ち着かせるためだそうです(たしかこのような理由です。間違っていたらすいません)

 書き上げてすぐは、思考がその作品に没頭しすぎてしまい、冷静に文章のおかしな点などに気付きにくいのだそうです。

 僕も書き上げてすぐの見直しで、誤字脱字はある程度気付きましたが、妙な文章校正、描写がおかしな、辻褄が合わないなど、気付かないところが多かったです。それに気づいたのは、その作品が落選し、数年後に無料投稿サイトに投稿しようとした時です。

 『よくこんな作品を応募しようとしたな』←これが久しぶりに見た自作への、僕が思った事です。そう、まさに妙な文章校正、描写がおかしな、辻褄が合わないがあり、さらに加えて読者置いてけぼりの無理な展開やキャラが話を勝手に進める台詞など、赤面ものでした。

 執筆中は全然気づかず、これはいい感じで映像化とか出来るんじゃないかな? など、今思い出しても当時の自分の頭の痛さ加減にこちらの頭が痛くなる次第です。

 きちんとした見直し期間。これを設ける前提で執筆し、何度も見直して応募する。これでも落選の確率は高いですが、夏休みの宿題手法で応募するよりかは、落選率が減ります。

 勢いと熱を冷ます期間は、落選しまくりの馬鹿野郎が言っても説得力は弱いですが、とても重要です。

同年代の活躍と心的負担

 僕は十数年前から朝昼は仕事、夜は執筆活動と、大まかですがこのように生活は二分しています。収入は大したことないですが、独身だと生活には支障をきたしません。

 仕事と日の目を見ない執筆活動生活を十数年送っていると、当然耳に入るのは同年代と年齢の近い人達の事です。

 身近な所では、結婚・出産、出世、転職して前向きな未来を進んでいる等。当たり前の事ですが、結婚・出産、出世、転職をしたからといって、必ずしも幸せではありません。ドラマのハッピーエンドで人生の幸福ゴールとは行かず、物語エンド→そのまま新番組突入が人生です。

 ですが、周りの変化が『適した年齢になると発生するイベント』みたいに思えてしまった時が僕にはありました。皆は当たり前の流れに乗り、僕はその流れに乗れていない。

 これは身近な友人達の例ですが、テレビでも年の近い芸能人が活躍している姿を見ると、自分の小ささを痛感してしまいます。これも冷静に見れば、芸能人は一般人よりも人目や印象に気を使い、仕事もいつまでもあるとは限らず、精進し続けないといけない職だと思います。(もっと気疲れが凄いと思いますが、どこまで表現してよいか分からず、このように書きました(;^ω^))

 自分自身が情けないと痛感し、精神的に落ち込み続けると周りが凄い人たちのように思えてしまいます。そういう時期を過ごしてきました。

 もう今では吹っ切れて以前のように落ち込みはしませんが、気落ち時期は執筆活動をどうしようかと、よく悩みました。僕の解決方法は、一方的な思い込みと、参考にならない解釈の賜物です。

 二十代後半、気落ち時期が強かった時、僕は思いました。『自分は有名人と同じ生き方をしているのか?』この答えは当然NOです。向こうは色んな理由で芸能の道を歩み、日々気苦労と精進を続け、売れて調子に乗った人もかなり痛いトラブルに遭い、その気苦労の中で精進し続けなければならない。生き方云々より、生活している世界が違いすぎる。

 なら次の問題。『自分は友達と同じ生活をしているか?』これもNOです。いくら一般人だからといって、職場も違う、考え方も違う、性格も違う、住所も違う、違うところを数えればきりがありません。それで結婚・出産だ、出世だ、転職だと言われても、出来る者やしたい者が出来ただけだ。

 結婚も、お見合いという選択をすれば、うまくいけば結婚、そして出産も出来るはずだ。それをしないのは、僕が結婚をする気がないからである。(深い理由はこの際省かせてもらいます)

 どこの誰とも自分は違う。日々精進し続ければいつか成果は出る。将来、自分の続けたこの執筆活動で生まれた作品が何かを起こすかもしれない。

 色んな理由が生まれ、自分を見つめなおし、僕はくだらない悩みを吹っ切りました。(吹っ切れないのはあらゆる所での人間関係です(-ω-)/←上手くねぇよ(;´Д`))

 気にせずに活動を続ける。これはとても難しいですが、こんな馬鹿野郎でもそれなりに続けれてます。逃げていると思われるかもしれませんが、執筆活動は内緒で続けていけば、ある程度は誰にも気づかれず、心的ストレスが低いまま、地道にコツコツと精進し続けれます。

 書き続ければ、調べ続ければ、実力は必ず少しずつでも身についている。休憩はいいが、立ち止まりつづければ何も身に付かない。諦めれば終わる。

 色んなYouTube動画や執筆活動をしている方々が言っている言葉を信じ、僕はこれからも書き続けます。(実際、文章は成長してると実感してますから(*´ω`*))

まとめ

 さて、これにて最終回となる第三回目が終了致しました。第一回目で書きましたように、この記事は【かなり苦労した話】であり、【かなり苦労している話】でもあります。そして、これからも【かなり苦労していく話】でもあります。

 個人的(怠け心が働いた(;一_一))理由により三回で終了しましたが、苦労話はまだまだあり、読者の皆様や全人間がかなりの苦労話を作って生きています。

 だから、執筆活動で苦労している皆様、他の活動や仕事で苦労している皆様、周りの自分とは全く違う人達の活動や成果に影響されて自暴自棄にならないでください。気休めにしかならないかもしれませんが、活動した人や成果を上げた人も苦労人です。

 人間=苦労人。様々な苦労人の世界で生きているのですから、自分を信じ、精進し続けてください。それが努力であり、努力は何かの成果を上げるはずです。それが自分の思ったものと違っても、自分の生活に何か変化を起こす成果になるかもしれません。

 続けるも辞めるも自分次第であり、どっちを選んだからといって、悪くもないし生活が激変するわけではありません。

 どの道を進み、どの活動をしても、一番大事なのは【自分の意志とやる気】だと僕は思います。

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