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オクラに願いを。

今回は「オクラ」について。

終息を祈るばかりではあるけど、なかなかその兆しは見えてこない。入ってくるあらゆる情報を自分なりに考察してみても、大局は少しずつ、だけど確実に、悪い方に向かっているように感じてしまう。その一方で、自分のごく身近なところでは、その脅威をまだそれほど感じられないし、そして信じられない気持ちもまだある。当方、田舎住まいの畑と家を往復するだけ仕事のうえに、あまり人とは会わない生活なもんで、手洗いうがい以外に出来ることと言えば、「何もしない」こと。そうは言っても、どこにも行かず、外部に何も求めなければいい、という条件は、簡単そうで結構難しい。

そんな、少し悶々としながらビニールハウスで作業をしていた時にふとネットニュースを見て知ってしまった。志村けんさんの訃報。軽トラに寄りかかり、しばし呆然としてしまった。もちろん面識もないし、こちらが一方的に知っているだけの芸能人。ただ、自分でもびっくりするくらいショックを受けていた。

子供の頃、欠かさず見ていたお笑い番組だった。姉や妹と一緒になって大笑いしたり、たまにあるエロいシーンの気まずさを覚えたのもあの頃の志村けんの番組だった。スイカ男が本当に怖くて、スイカの種を頑張って食べないようにしていたし、スイカとてんぷらの関係を覚えた。「すき焼きよ~」から始まる「雪国/吉幾三」の替え歌のフレーズをなぜか今でも何となく覚えている。

平成も超えて、令和の時代になってからでも健在だった「バカ殿」やお馴染みのキャラクターによるお馴染みのコント番組も、つい先日子供と観て笑っていた。自分が子供の頃に笑っていたことで、また同じように笑っていた。子供だった自分も、大人になった自分も、現代の子供も、みんな笑う。それがどれほどすごいことか、こんな風に痛感するとは思ってもみなかった。本当に驚いたし、本当に悲しかった。

「春に三日の晴れなし」という言葉通りの天気で、邪魔雨も多いなかの合間を縫って、始まる春、そして夏に向けていろいろ動き出していかないといけない時期。落ち着いたら、きっとまた笑えるとばかり思ってはいたけど、そう易々とはいかない状況になってしまっているのかもしれない。予期せぬ訃報にも打ちのめされた。それなのに、晴れた日はいつも通りに清々しい。穏やかな風と青い空が、優しくもあり、悲しくもあった。そんな時、ふとよぎった曲がある。スガシカオさんの「風なぎ」。おそらく、こういう別れの歌ではないのかもしれないけど、ささくれにひっかかるような、だけど嫌ではない感覚。「風なぎ」というタイトルなのに、曲の一節一節に心が波立つように感じてしまうのは、強く吹き荒れてしまっていた心の中を鎮めようと、無意識のうちに思ったからだろうか。とにかくスガさんの声は不思議なくらい、悲しげだけれど心地よく響く。

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そうして播いた種は「オクラ」。ここ数年、いまいち思い通りの育て方が出来ていない。一昨年大失敗したのを受け、昨年は試行錯誤したものの、芳しくはなかった。その流れでの今年。まだ寒いか、もう少し待つか、いやもう大丈夫だろう。そう思いながら、播いてしまったのは、きっと、大丈夫であってほしいと、自分がそう思いたかったからだろう。今年は上手くいく、夏にはたくさん収穫できることを祈った。そうやって祈ることしかできないことが最近は特に多すぎて少し嫌になる。誰か何とかしてくれよと、憤りのような声を上げたくもなるし、先日読んだ本のように、「こんなこともあろうかと、ちゃんと準備してました!」的な展開を安易に待ち望んだりもしている。そうは思いつつも、自分の無力さを嘆くよりも、できることを探したいという思いの方が、今は少し強い。「やらないこと」が「できること」の一つという変なジレンマもそこにはあるけども、幸いなことに「オクラ」については、できることが実はある。乾いたら水をやる。雑草が生えたら抜いてやる。虫や病気がつかないように、世話もしてやれる。ささやかな手間だけど、それが今年の夏の「オクラ大収穫祭」につながるはず。そう願いを込めて種を播いた。何の因果か、オクラは星型…に見えなくもない。波乱の予感しかしない新年度を、オクラにいろんな願いをたくさん込めて。

今回はこの辺で。それではまたそのうちに。

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