追憶。
「おれたちならできる!」「後半も頑張ろう!」
そこかしこでポジティブな声がかかる。前半終わって0-1のビハインド。まだ4月だというのにまるで真夏の世界に入り込んだかのような高温と高湿度。久しぶりにゴール裏で跳ねて声を出したおかげで私は喉も足もかなり限界点が近い。ヘロヘロになりながらも周りの声に感化される。誰も諦めていないどころか、周りにいる全員が「逆転して帰る」という気持ちでいる。そんな空気感が溢れかえっていた。
ここは浦和から約8600km離れた中東サウジアラビアの首都リヤド。中東の砂漠をも凌駕するほどの熱気が漂う中、浦和レッズは今、ACL(AFCチャンピオンズリーグ=アジアのクラブNo.1を決める大会)の決勝を戦っている。
First time
2001年5月11日。この日見た光景は22年経った今でも強烈に脳裏に焼き付いている。
「サッカーを見に行かない?」。きっかけは中学生当時プレーしていたサッカーチームの友人による何気ない一言だった。クラブチームに所属していた私はほぼ毎週末サッカーをしていた。この日はたまたま練習が午前で終わりということで、駒場スタジアムでのナイトゲームの試合に誘われた。たまにはプロの試合を見てみたいな、そんな軽い気持ちで友人の誘いに二つ返事に了承した。浦和レッズといえば小野伸二が以前いたな、くらいの事前知識しかなかった。
私は元々野球が好きでテレビや球場で見ていたけれど、サッカーについてはテレビですら試合観戦をあまりしたことがなかった。実際、サッカーの現地観戦といえば小学生の頃に所属チームの方々に連れられて国立競技場(国立霞ヶ丘競技場)に試合を見に行ったこと程度しかなかった。それも試合終了後の大混雑と移動でぐったりしてしまって、サッカー観戦は少し疲れるものというイメージしかなかった。
北浦和駅で友人と集合してバスに乗り駒場スタジアムへ。入場するとすぐに圧倒された。まだウォーミングアップ前なのにとにかく人が多い。そして自由席を買った私たちは席がない。とりあえず観戦慣れした友人の助言で通路に陣取る。幸いにもウォーミングアップが始まる直前の席つめと同時に優しい方々が場所を開けていただき席(場所)を確保できた。
驚嘆
試合結果は1-2での敗戦。ガンバ大阪の攻撃に圧倒されて負けてしまった。それでも試合中の一体感のある応援と、駒場スタジアムの包み込む雰囲気にはとても驚いた。しかも試合終盤でも熱量が変わらず、むしろ声が大きくなっているように感じて、試合途中からサポーターの方々には胸を打たれた。そして、ミッキーマウスマーチをベースにしたFWトゥット選手のチャントが楽しい。
1-2の最終盤にもなると敗戦がちらついてくるものだが、スタジアムにいる方々は誰も諦めていない。自分がプレーヤーとして出場している試合では、最後まで諦めないのはもちろんだが、やはりビハインドの終盤になるとどうしても相手との力の差が歴然と出てきて足が出ないケースがある。しかしながら、目の前にいる浦和レッズの選手たちは最後まで勇敢に戦っている。プロは必死だ。そして何より、駒場スタジアムにいるサポーターの方々の強烈な後押しとピッチ上の浦和レッズの選手たちがまるで呼応しているかのように感じた。
選手もほとんど知らず初めて見た試合だったのが、試合は負けたものの興奮が収まらなかった。これまで東京ドームで見たプロ野球の試合でも、国立競技場などで見た他のサッカーの試合でも感じたことのない感覚が全身を襲う。言葉に言い表すことが難しいのだが、今までのサッカー観戦とは違った感覚を得たことを覚えている。気が付けば帰り道の電車どころか月曜の学校でもずっとトゥット選手のチャントを口ずさんでいた。
遠征
大学に進学すると、これまで部活に費やしていた土日に比べて時間に余裕ができた。高校時代の友人に長らく浦和レッズを好きな友人たちにも恵まれ、本格的にスタジアム観戦が始まった。社会人になったゼミの先輩の格言「大学生は時間はあるがお金がない」とのことを身をもって感じていたが、友人たちとは松本・山形・京都など浦和のアウェー遠征では車を乗りあって遠征したし、時には青春18きっぷを使用して広島など遠方にも遠征した。直行直帰の遠征もあったが、どのスタジアムも駒場や埼玉スタジアムとは異なり、各々のクラブの色があった。知らない土地に行く遠征は楽しい。北は山形から西は広島まで、友人たちとはほんとに多く遠征した。この時に体験したアウェー遠征の楽しさが今の自分の基礎になっているのは間違いない。
2007年シーズン、私は浦和レッズのほとんどの試合を現地で観戦した。最終節あと一歩というところで優勝を逃したが、私自身がプレーしてないにもかかわらず自分事のように悔しい気持ちであふれかえった。その時、浦和レッズというクラブと一体に戦っていると実感した。
社会人になり「時間は制限されるが、お金は学生時代よりある」ようになった自分は極力スタジアムに行くことにした。各ニュース媒体や浦議SNS・浦和関連のメルマガはあれど、やはり現地で自ら見たもの・感じたものに勝るものにはないと思った。テレビ画面越しに見るより選手たちが必死に戦っている姿を見るとより応援したくなる。そんな気持ちからだった。これは今でも自分の観戦感として心に留めている。今はSNSを通して様々なものが目に入りやすくなったが、現地に来れない方々にも少しでも現地で感じた生の情報を届けようと思っている。それは学生時代に現地に行けない私にとり、サポーターの方々の生の情報を拝見してとてもありがたかったから。今度は自分が少しでも後世のためになればとの思いで現地で見て感じた内容をツイートすることがある。気が付けば日本を含めた6つの国で50を超えるスタジアムで浦和レッズを応援している。
喜怒哀楽
1年間浦和レッズの試合を日本中追いかけていると様々な場面に遭遇する。
「あそこで得点できていれば」「あの失点さえなければ・・・」試合を振り返ると話題が尽きない。ヒリヒリする海外勢との鍔迫り合い、息をのむようなスーパーゴール、移籍した選手の恩返しゴール、目を背けるような惨敗、ポジティブな事柄もネガティブな事柄も様々あるが、フットボールは人生の学校のようだ。(もちろんポジティブなものが多いと良いのだが・・・)
5点6点を奪っての大勝利、後半ロスタイムでの決勝ゴール、0-3からの逆転勝利など時としてサポーター冥利に尽きる試合に遭遇することがある。そして、直近のリーグ戦では0-3から後半だけで3-3に追いついた昨年横浜Fマリノス戦のような、スタジアムがとんでもない雰囲気と一体感で後押しして、まるでサポーターでとった試合だな感じる瞬間がある。だからこそ現地観戦はやめられない。もはや中毒のようなものである。つける薬はない。
試合結果だけでなく選手に対しても特別な感情がわく。特にユース出身の選手が初めて出る試合はうれしい。今ではすっかりヨーロッパで戦う原口元気選手を筆頭に、橋岡大樹選手、荻原拓也選手、鈴木彩艶選手など各選手の初戦はとても良く覚えている。(関根貴大選手のデビュー試合は残念ながら無観客だったことが悲しい。)。
試合内容や選手動向で一喜一憂することは生活に彩りを与えてくれる。
幸福
灼熱のリヤドでの後半は諦めなかったことが結実して同点で幕を下ろした。遠く離れたアウェーでのドロー(ゴールゲット)はとても貴重な結果。最低限の結果で日本に帰ることができる。万難を排してリヤドまで来て、足も痛いし喉も痛いけれども心地よささえ感じた。
2023年5月6日。埼玉スタジアム最寄りの浦和美園駅を降りると既に大勢の人がスタジアムに向かっている。キックオフまではまだ時間があるのでバスには乗らずスタジアムまで歩くことにした。スタジアムに向かう歩道には両脇にサポーターの方々による夥しいビラや横断幕のようなものが設置されている。少しずつ、でも確実に自分の中のテンションが上がる。スタジアムまでの約1kmの道のりはあっという間だった。
スタジアムにつくと学生時代から友人やスタジアムで知り合ったサポーター仲間に挨拶を交わす。もちろんリヤドのお土産を携えて。決勝戦だけあって普段よりスタジアムで挨拶する方が多い気がした。時間にはかなり余裕をもってスタジアムについたつもりだったが、指定席に着席した頃にはピッチ内でウォーミングアップが始まろうとしていた。
アジア王者を決めるにふさわしい均衡した試合展開続く。後半ふとしたフリーキックから待望の先制点が生まれ、虎の子の1点を守り切った浦和レッズは2019年以来、実に3度目のアジア王者になった。選手たちが優勝トロフィーを掲げる瞬間は、何にも代え難い幸福な瞬間である。2007年と2017年の優勝はゴール裏で声をからした結果だったが、今は妻もできて指定席に座って妻と友人と観戦している。観戦場所は違えどシャーレやカップを掲げる瞬間はいつだってかけがえのない時間である。
感謝
先日会社の部署内で私の趣味紹介の時間があった。驚かれると同時に上司から「社会人になって仕事や家族、地域以外の方々と集う機会は貴重だし良いね」という声をかけられてハッとさせられた。私の日常はある人の非日常、スタジアムに行けば学生時代の友人から名前も知らない顔見知りまで幅広く知り合いがいる私は幸せなことなんだと実感した。
「And, football is going on」(そしてフットボールは続く。)スカパーのサッカー番組で流れていた言葉で私の好きな言葉である。
あの日何気ない誘いに乗ったことがきっかけだった。当時はここまで浦和レッズを強く長く好きになるとは思いもしなかった。家庭環境や職場環境が変わるかもしれないが一つだけ変わらないものがあるとすれば、それは浦和レッズへの情熱だと思う。ゴール裏から指定席へ、情熱を発露する表現方法は変わったが、これからも妻と、友人と、スタジアム仲間とともに浦和レッズを楽しんでいきたいと思う。
浦和レッドダイヤモンズが世界一になる日を夢見て。