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『薄桃色にこんがらがって』感想。シャニマスが新時代のアイドルマスターであることの証明。

これは赤色でも白色でもない、ほんのちょっとだけ大人よりな「薄桃色」の物語。

※この記事はネタバレを含みますので全部読んだ方のみどうぞ。初体験大事に。

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「3人でアルストロメリア」

アルストロメリアというユニットにとって何よりも重要なキーワードです。この言葉を見たとき真っ先にあの曲が思い浮かんだプロデューサーは少なくないでしょう。

今回のイベント『薄桃色にこんがらがって』において、アルストロメリアは「3人でアルストロメリア」であることの難しさに直面します。


復刊が決まった雑誌「アプリコット」のカバーガールを決めるオーディションに参加することになった甘奈。オーディションに向けて練習を重ねますが、実はそのオーディションは出来レース。初めから甘奈がグランプリを取ることが決まっていました。

一方で休刊前の「アプリコット」を愛読していた千雪さん。「アプリコット」は雑貨を好きになるきっかけをくれた、今の千雪さんの原点とも言える雑誌なのでした。甘奈との競争になってでも、オーディションに参加したいと宣言します。

ユニットで誰よりも「大人」な千雪さんらしくない強情さ。一歩引いて気を配る立場を求められていた千雪さんの新たな一面は、しかしアルストロメリア3人の関係をこじれさせてしまいます。



ところで皆さんは、アイドルと言えばどんな姿を想像しますか?

本家アイドルマスターにおいて、アイドルは「大人未満」のキャラクターとして描かれました。(あずささんは「大人」なのですが、一方で幼さ、頼りなさの残る「大人らしさ」の欠けたキャラクターです)

「大人」でも「子ども」でもない「大人未満」の一瞬。未完成であることがアイドルの輝きをさらに強める構造となっていました。

そして時は移り、個性、多様性の時代がやって来ました。シンデレラガールズやミリオンライブは様々なアイドルの形を示し続けています。子どもも、大人もアイドルとして輝ける世界がそこにはあります。


ではシャイニーカラーズは?

「大人」の年齢に達しているのは夏葉と千雪さんですが、夏葉は大学生であり、モラトリアムに当たります。「放課後クライマックスガールズ」の名が示すとおり、彼女はまだ放課後の真っ只中です。

僕は千雪さんがこの世界の「大人」なのだと思っていました。「大人っぽさ」を形にしたようなキャラ造形、ユニットの保護者的立ち位置、何よりもプロデューサーがスカウトした時には既に自立していました。

しかし、しかしです。

今イベントの白眉。

自分の子どもっぽさに愚痴をこぼす千雪さんへの、はづきさんのセリフです。

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そう、千雪さんもまた「大人」ではなく。シャイニーカラーズにおいて「大人」のアイドルは実はいないのです。

シャイニーカラーズが原点回帰したのはゲームシステムだけではありません。キャラクターたちもまた、「大人未満」というアイドルマスターの始まりへ戻ってきたのです。


しかし、ただの焼き直しでは意味がありません。単純な「大人」と「大人未満」の世界の対立に持っていかないところが本ストーリーの真骨頂です。

最初から出来レースのオーディション。まさに「大人」らしいやり口です。961プロを連想した方もいらっしゃるのではないかなと思います。765プロの物語ならば、「不正」を突っぱね正々堂々と立ち向かい勝利する、王道とも言える展開が待ち受けるところでしょう。

ところがシャイニーカラーズのプロデューサーはこの「不正」を飲み込みます。「不正」の裏に、大人たちの純粋な思いが詰まっていることを知っているから。プロデューサーの、甘奈にグランプリを取ってほしいという気持ちは本物だから。

シャイニーカラーズは、単なる「大人」と「大人未満」、「暗」と「明」の対立構造にはせず、「大人」の世界の上に「大人未満」の物語を配置してみせたのです。



ストーリー終盤、プロデューサーはオーディションが出来レースであることを伝えた上で、3人に結論を委ねます。

3人の選択の決め手になったのは「反対ごっこ」でした。ごっこ遊びという「大人未満」の手段で、彼女たちは勝負するという答えを選びます。大人たちの世界との対立ではなく、大人たちの世界の上での、公正な勝負を。


勝負の結末はもうご覧になったことでしょう。勝者は敗者の思いを胸に前へ進み、敗者は痛みを胸に勝者を讃えます。そして3人は再び1つとなりました。



これは赤色でも白色でもない、ほんのちょっとだけ大人よりな「薄桃色」の物語。エンドロールは流れず、また新しい季節がやってきます。


3人でアルストロメリア。

可憐に咲き誇る、新時代のアイドルマスター。

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