津野米咲さんが亡くなって1年間で考えたこと

つのさんが亡くなって1年が経ちました。つのさんのことを愛している人みんながそうだったと思うけど、すごく長くて辛い1年でした。その間に、いいこと・やなこと・さまざまな出来事があり、自分も一時はどん底まで落ちたけど、なんとか今は持ちこたえました。そんな1年間で自分の考えに変化が出てきたので、書き留めておこうと思います。

まずはこのnoteを書いて、すごく大きな反響をいただきました。改めて読んでいただいた皆様にはありがとうございますという気持ちをお伝えしたいです。中には厳しい意見も見かけましたが、不思議と嫌な気持ちにはなりませんでした。それは、七夕にいつも「みんなの願い事が叶わなくても、なんかいい感じになりますように」といっていたつのさんのように、「みんなショックだろうけど、みんながいい感じになればいいよな」っていう精神が根付いていたからだと思います。今でもそう思ってます。みんながいい感じになりますように。

このnoteの「赤い公園・津野米咲さんと僕」では、後半、特に『THE PARK』リリースの前あたりからどんどん赤い公園とその周囲がおかしくなっていったように感じられて、そうした矢先につのさんのことがあったので、どうしてもそこは切り離せずに書きました。また、つのさんが亡くなった直後のコメントでは、うたこすが「ひかりさんも理子も私も、鳴らしたい音が、届けたい音楽があります。」と言っていたのに、赤い公園の解散が決まった時のひかりさんは「米咲のいない3人の船を漕いでみたい気持ちもありながら、不安の海に飲み込まれてしまったのが正直なところです。」と言っていて、そこには我々の知らない間に3人の中で心境に変化があったように感じるし、さらにそこからファンクラブの更新などが再開され始めたら、いつの間にか3人ともすごく前向きになっていて、それが無理やり楽しそうにしているようにも見えました。そんな3人の様子を見て、正直いろいろ気持ちが振り回されたし、ちょっと3人のことを恨んでると言ったら言葉が良くないけれど、そんな時期もありました。新体制になってからの赤い公園は、いつも言葉足らずに感じられました。

ただ、あれから時間が経った今となっては、『THE PARK』前にバンドが迷走しているように感じられたのは少し考えすぎだったのかなと思うところもあるし、その後の残された3人の心境にいろいろと変化があったであろうことも受け入れられるようになりました。それもこれも残された3人が、ラストライブの前も、ラストライブ中も、ラストライブの後も、すごく前向きな姿を見せてくれていたからだったと思います。本当にバンドが迷走し続けていたらあんなに素晴らしいラストライブはできなかっただろうし、心境の変化がどうあったにせよ、こちらのネガティブを覆すくらいのスーパーポジティブなパワーがラストライブにはあったように思えたからです。あれを観て、もうみんなが前向きなのにいつまでも後ろ向きなのはおかしいかなって思いました。なので、これまでnoteに書き記してきたことは、今となってはちょっと書き換えたい部分もあるのですが、それも記録としてそのまま残しておこうと思います。改めて辛い中でも前向きにバンドを終わらせてくれた理子さん、ひかりさん、うたこすには感謝の気持ちでいっぱいです。

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ただ、それらのこととは別にもう一つ、つのさんの死に関するあること、詳細を書くわけにはいかないとあることを知り、つのさんの死やバンドの解散と同じくらいのショックを受けました。そのことに関してだけは、うまく自分の中で答えを出したいなと思っているんだけど、どうしても気持ちに整理がつけられないところがまだあります(奥歯にものが挟まったような言い方ですみません)。ただ、誰しもの幸せを願っていたつのさんのように、自分もみんながいい感じになってほしいし、お願いだからつのさんという人を最初から最後までありのままで受け入れてあげてほしいとも思っています。

つのさんがなぜどうやって亡くなってしまったのかは発表されていませんが、もしそれが自殺だったとしたら…自分はつのさんの死を受け入れるにあたり、最終的に「自殺はダメなこと」という考えを改めようと思いました。一般的に自殺というのは残された周囲の人を悲しませるし、かなりの迷惑もかけるし、してはいけないこととされてると思います。でも、もうそれすらも許そうという気持ちになりました。言っておくけど自殺を推奨しているわけではありません!誰にも死んでほしくはないし、悲しい気持ちにもなってほしくない。ただ、つのさんは常に「どんなものでもいつかは終わりが来るよ」っていう諸行無常感を歌詞の中に描いてきた人だったし、どんな人のことでも愛するような人だったことを思い出して、つのさんが最後にしたこと、つのさんの身に最後に起こったことが何であれ、それを受け入れようと思いました。

正直、ついこないだまでは、「ネガティブな人がゆえにポジティブな曲を作ってきた人だったけど、結局はネガティブさに負けたんだ」とか考えていました。「消えない消さないって言った約束も消えていっちゃうんだ」とか、「翌日の燃えるゴミの日を希望にしてなんとか生きた人が、それすらも諦めるほどの闇に覆われたんだ。赤い公園は、燃えるゴミの日にすら負けたんだ」とか。そういうことばかり考えて卑屈な毎日を送っていました。

でも、つのさんがなぜ亡くなったのかは何も分からないけれど、ラストライブを観て、そのBlu-rayも観て、最終的には「もしかしたらつのさんってやりきっちゃったのかな」って思うようになりました。たぶんアーティストって、いつも締め切りとかさまざまなスケジュールとか、前よりいい売れ行きとか前よりいい曲とか、いろんなものに追われて戦い続けなきゃいけないところがあると思うけど、もう充分に追われ尽くして、もう充分に戦い尽くしたんじゃないかなって(それは「EDEN」の考察に書いたことにも通じるような気がしています)。何より、赤い公園が最後に出した「オレンジ」「pray」という2曲がこの上なくいい曲だったし。あれで納得したというか…納得はしてないけど、でも全部を受け入れようと思うくらいすごくいい曲だったと思います。

そりゃあつのさんの大ファンとしては、もっともっと生きてほしかったし、欲を言えばもっともっとたくさんの曲が聴きたいです。でも、最初はなんだか理解するのが難しく感じられる歌詞や曲を書いていた人が、だんだんと曲にみんなが分かるようなメッセージを込め始めて、それも「KOIKIでいようぜ」「誰かが泣いてる時はたんぽぽの花のようにいようぜ」「嫌なやつにも自分にも愛を分けてあげようぜ」「君が好きだぜ」ってどんどん素晴らしいメッセージを書くようになっていって、もうこれ以上ないくらいたくさんの素晴らしい言葉を残してくれたなって思ったんです。これらを超えるメッセージなんて何かあるかなあ。もうやれることはやり尽くしたんじゃないかなあ。もちろん、何かをやり尽くしたからって死んでいいというわけではありませんが、自分の終わりを誰かに決められるより自分で決めたい人だっているだろうし、とにかく、つのさんの身に起きたあらゆる最後を「もしかしたらこうだったのかな」って想定して、どんな選択であれそれを受け入れようという気持ちになりました。

(何度も言うけど、つのさんがそれを選んだかはどうかは分かりませんが)自ら死を選ぶということが善か悪かなんて万人共通の正解は誰にも決められません。だってもう生きてるだけで誰かに迷惑かけっぱなしじゃないですか。大事なのは自分がそういうことに直面した時にいつでも判断できるように、自分の中にいつも判断基準を持つことなのかなって思います。それが人によっては死生観とか宗教とか哲学なのかもしれないけど、だとすれば自分の中ではつのさんの歌詞や生き方から受け取った考え方がすごく役に立ってるなと思います。つのさんの死が、そういうことを考えるいいきっかけになったんだと思います。(とか言ってると「そんなに悟ってどうするんだい」とか言われるから怖いんだけど)

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というわけでnoteを書き終えて、「このnoteをまとめて本にしたい」という目標があったのですが、考えていることも書きたいことも少し変わってきたし、さっき書いたような自分の中で答えを出さなきゃいけない問題もまだあるし、今はその目標を少し変えようと思っています。このnoteの内容はもちろん使いつつも、イチから文章を書き直して、つのさんの人生についてのもっときちんとした内容の本にしたい。なるべく起きたこと全部を中立の視点で書いて、さっき言ったようなつのさんがいつも考えていたこととか残してくれたメッセージも盛り込んで、本当にすごい人がいたんだっていうことをもっときちんと残せたらなと思っているところです。ちょっとこれまでのnoteだと偏りがありました。もちろんそのためにはもっともっと時間もかけなきゃいけないだろうし、まだまだいろんな人にも話を聞きにいかないといけないし、大変な道のりだとも思います。でも、もし話を聞きに行った際はぜひ皆様にもご協力いただけると嬉しいです。(ちなみにその本で商売をするつもりはさらさらありません!注文が入ってから本を印刷・製本する自費出版のシステムがあるので、もし代金をもらうとしても印刷・製本代しかいただかないつもりです。何か費用がかかる場合は、このnoteでいただいた利益か自分のお金でやるつもりで、全部趣味でやろうと思っています。ゆくゆくは国会図書館もそうだけど、立川の図書館とかにも寄贈できたらいいな…)

それからもうひとつ、来年の1月4日から勝手に個人的に「もぎもぎカーニバル」を復刻させて、毎年この日にどこか場所を借りて何かやろうかなと考えています。最初は数人のファン友達で飲み会をしたり、赤い公園の歌を歌ったり、映像を観たりするだけになるかもしれないけど(記録してあるテレビ・ラジオ・WEB動画だけで何日分もある)、みんなでつのさんと赤い公園について考えて語れる場所がほしいし、さっきも言ったように自分もいろんな人の考え方を聞きたいし、もしかしたら自分と同じようにずっとモヤモヤ悩んでて苦しい人もいるかもしれないなと思ったので…。庭先で実った実がたとえ酸っぱくっても、もいで祭りに持って行ってみんなで食えばいいんじゃない?これもゆくゆくはカバーバンドとかも呼べるイベントにならないかな〜とか思っています。もし参加したい方は、下の「クリエイターへのお問い合わせ」からご連絡ください。ファン歴がどうとか好き度がどうとかは全然関係ないです。もちろん感染対策はきちんとします!

まだつのさんのお墓に直接手を合わせることはできていないけど、こうやって作ろうとしてる本が誰かにとってのお墓とか記念碑の代わりになったり、そういう会が誰かにとってのお葬式とかお別れ会の代わりになったりすればいいなと思っています。そんなの要らない?でも自分はあった方がいいと思うから一人でもやるよ。よく「お葬式は残された人のためにやる」とか言うじゃないですか…ファンはそういうお別れの会にすら呼ばれていないので。もちろん、いつかつのさんにも「こういうことをやるんだよ・やったんだよ」って直接報告ができたらいいなとも思っています。優しい割には口が悪い人だったので、たぶん爆笑しながら「そんなの要らねーよ!お前は自分の仕事しろよ!」って言うと思いますが。

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(これはウチにある、それまでの暫定的な記念碑のようなものです)


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いっつも「みんなの願い事が叶わなくても、なんかいい感じになりますように」なんてことを願ってたつのさん。じゃあ、そんなつのさんの願いはいい感じになったのかなあ。最近はそんなことをよく考えています。

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