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津野さんが亡くなってしまった
津野さんが亡くなってしまった。
津野さんが作る音楽は、とにかくすごかった。カッコいいし、かわいいし、激しいし、壮快だし、変だし、共感できるし、泣けるし、笑えるし、おもしろいし、落ち着くし、興奮するし、いつも創意工夫に満ち溢れていたし、いつも「なんじゃこりゃ」って思ったし、こんな音楽は他になかった。J-POPを変える人だと思ってた。パフォーマンスもすごかったし、言動とか人柄もすごい人だった。
フ
赤い公園・津野米咲さんと僕①
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赤い公園、という不思議な名前のバンドと出会ったのは2012年でした。それからすぐに彼女たちのファンになり、彼女たちが奏でるような素晴らしい音楽を紹介したくてそういう仕事に就き、その間に様々な出会いと別れがあって、今に至るまでずっと彼女たちのファンです。その間のいろいろな思い出を忘れないように、消えないように、その一部ではありますが、書き残そうと思います。(これから書く事実以外の物事は全ての個人
赤い公園・津野米咲さんと僕②
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赤い公園のライブに行ってみて、また衝撃が走りました。演奏は乱暴でヘタクソな時もあったけど、4人とも爆発してたんです。髪の毛を振り乱して楽器をぶん回してステージで暴れ回る。大声で客を煽る。デカいスピーカーに乗っかっちゃう。自分の頭を殴る。ステージから降りて来る。何度めかに見た立川バベルのライブでは、彼女たちのホームということもあってか特に調子に乗っていて、ちーちゃんが「私、お客さんの上に乗ってP
赤い公園・津野米咲さんと僕③
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つのさんの活動休止の発表があったのが2012年の10月9日。そして活動再開を発表したのが翌2013年の3月1日(実際の再開は5月5日)。その半年間で、個人的に大きな発見が2つありました。
ひとつは、赤い公園はバンドとして活動できなくなったものの、その代わりに始まったちーちゃんの弾き語りがすごく良かったということでした。これまでほぼ歌に専念していて、キーボードを弾きながら歌うということを経験し
赤い公園・津野米咲さんと僕④
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「えっ!?うそ!?レッパーさんでしょ?何でここに!?」とつのさんに言われ、これまでのこと、そしてここが自分の住んでる町の近くであることを話しました。つのさんは、話が盛り上がるようになのか、身の危険を感じたのかは分からないけど(そうではないと思いたいけど)、すぐにさっき仕事で別れたばかりというミッツを電話で呼び出し、その日は3人で呑み明かしました。実は2人とも近所に住んでいるということを教えても
赤い公園・津野米咲さんと僕⑤
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2014年は、赤い公園にとって怒涛の1年でした。シングル「風が知ってる/ひつじ屋さん」、「絶対的な関係/きっかけ/遠く遠く」、アルバム「猛烈リトミック」のリリースと、それにまつわるプロモーションの嵐。そしてライブ、フェス、マンマンツアー。「オールナイトニッポンZERO」も始まり、雑誌の連載など細かいものも含めればこの年はほぼ毎週、赤い公園に関する何かしらのニュースと予定がありました。ファンと
赤い公園・津野米咲さんと僕⑥
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2014年、赤い公園が怒涛の快進撃を見せたので、その勢いのまま2015年も突っ走るのかと思いきや、2015年は割と静かな年でした。「何やってんだろーなー、もったいないなー」と思いながらも、これは後で分かることだけど、事務所もレーベルも移籍がありスタッフや体制の入れ替えがあったようで、あの忙しさに慣れたファンからすると少し寂しい1年でした。
2014年9月から始まった「赤い公園のオールナイト
赤い公園・津野米咲さんと僕⑦
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しかし、2017年はバンドにとっていろいろな変化がある年でした。まず、年末にリリースの発表があった「闇夜に提灯」のMVが公開され、これまで白一色だった赤い公園の衣装がカラフルになりました。曲は、和風なテイストもあるノリのいいロックで曲も歌詞も大好きだったけど、衣装に関しては「赤い公園と言えば白」という固定観念が強かったので、そこだけは地味にショックな出来事でした。
それから、続く「恋と嘘」
赤い公園・津野米咲さんと僕⑧
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その頃、漫画の編集者をしていた僕は、深夜の残業が多いしブラックだしで疲れ果てていて、やりたいのはこんな仕事じゃないと思い、転職をします。赤い公園の活動を通じてこれまでたくさん読んできた音楽雑誌や音楽メディアの編集者になりたかったのです。もちろん夢は、いつか赤い公園と仕事をすることでした。「ゆうパラ」にもそれを書いたメールを送って、つのさんに読んでもらえたことがありました。
そうして転職して
赤い公園・津野米咲さんと僕⑨
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「熱唱祭り」で燃え尽きてからは、圧倒的に赤い公園不足で、常に赤い公園の新しい情報を欲していました。長く感じた数か月の沈黙の後、3人になった赤い公園からようやく新しいニュースが来たのは、12月のことでした。2018年の1月4日も「もぎもぎカーニバル」をやるということ。そして出演者は3人体制になった赤い公園のみ、全曲新曲で挑むということでした。直後にはベストアルバム「赤飯」を来年2月にリリースす
赤い公園・津野米咲さんと僕⑩
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「VIVA LA ROCK」開催の2日前、赤い公園は2日後のライブを新ボーカリストを迎えた新体制で行うことを発表しました。実は3人体制での活動は早々に諦めて、新しいボーカリストを探していた、ということを後から知ります。あれはあれですごく面白かったけど、でも新しいボーカルを迎える方がもっと面白そうだったので、ドキドキワクワクの2日間でした。
そして迎えたビバラ当日、相変わらずステージ最前列に
赤い公園・津野米咲さんと僕⑪
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2018年の9月、赤い公園は「BAYCAMP2018」というフェスに出演しました。理子さんはもともと抜群の歌唱力を持っていたけど、ビバラでは当然、バンドにおけるパフォーマンスはまだ不慣れなように見えました。でもこの日は観客を煽ったり、ちょっとした振りを踊ったりしながら歌っていて、週末何度も広島から東京に通って練習を重ねた成果が出ているようで、バンドのボーカリストとして成長しているようにも見え
赤い公園・津野米咲さんと僕⑫
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フェスで何とか会話ができたとは言え、新体制になってからはスタッフのガードが堅めになりました。そりゃあ未成年の元アイドルのメンバーが入ったんだもん、しょうがないと思います。むしろ今までがおかしかったんです。でも、10月2日、つのさん27歳の誕生日に下北沢ガレージで行われた、勝手につのさんの誕生日を祝うライブ「KATTENIオメデトウマイサ」は違いました。事前に本人は来るかどうかは分からない、と