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空になすりつければ

11/12 Sun.

 朝9時半から、後輩2人と野菜を推してるカフェでモーニングを食べる。深夜3時まで一緒に酒を煽っていたから、前日から引きずっていた不健康を転換しようという試みだ。サラダのプレートにはお米のなり損ないみたいなものが入っていた。私の人生に初登場の野菜。調べたところ『もち麦』というらしい(多分)。違ったらどうしよう。裏で「この時期にもちむぎがあるわけないでしょww」って店員さんに笑われてるかもな。笑われていた方が面白いから、違っていて欲しい気持ちも少しある。最後に、全粒粉という単語の情報量が無いという話をした。オチは無い。
 昼前には解散して、各々の行き先に向かう。私は図書館でPCを充電しつつ、博論を進める。ここは後でやろう、みたいな箇所がありすぎて結局何も進まない。根本的に大きな物語を紡ぐことが下手なんだよな私は。あまりに寒くて体調がダメになりそうだったから1度家に帰って寝る。

11/13 Mon.

 傾倒している作家さんの日記を読んでいたら、人間の顔を認識するのが不得意という一文が出てきた。生まれ持った顔(icon)で個々人を認識する社会ってそんなに自然だろうか。納得が行っていないから、スマホの顔認証機能は一度も利用したことがない。あと、高校生の時に、野球部の人間が全く見分けられなくて、名前を呼び間違えたことが何度かある。これは、顔だけじゃなくて、立ち振る舞いも似ているから仕方がない。
 該当箇所は有料で後から検索できないから、自分のためにログを残しておく。note、単語検索ができる割に、有料箇所についてはたとえ購読していても引っかからないのが惜しい。技術的に難しいのだろうか。分岐を一つ増やすだけでは..?と外野からは思ってします。@narumi さん、なんとかしてください。

11/14 Tue.

 先輩のD論発表お祝い会で元同期と3年振りに会った。「会話のテンションが変わらないね」と言われて、自分では変わったつもりだったからすこし驚いた。「その服、3年前も着てたね」とも言われた。思えば、私の保有しているモノはあんまり更新されない。特に服。「布じゃなくて学で身を着飾ってるから!」って反論したけど、そういう所も変わらないって笑われた。負け。
 帰り道、寒さが厳しい。ウルトラライトダウンを買う時期が来た。週末、ユニクロに行くことをきめる。少しお酒を飲んだから、ビックリするぐらいすぐ眠れた。

11/15 Wed.

 あまりに寒いので銭湯に行く。サウナと水風呂の交互欲で皮膚感覚をバグらせる。この効果がもっと持続すればいいのになぁと思うけど、それはそれで生存に不利なことも分かっている。
 友人から朝日新聞に掲載されていた金原ひとみのエッセイが送られてきた。

「結果論とは全く別の次元で、アイデンティティーを大きく左右する事象に関して自分の意思が通らなかったことは、人生に対するコントロール感覚をそぎ、尊厳を奪われたと感じるに十分だった。」

https://www.asahi.com/articles/ASRCB2VCMRBRUPQJ00H.html

 この言葉が、細いニードルのように突き刺さる。自分のコントロール化におけないものがあまりに近くに存在してしまうこと、そして自分自身がそれに飲み込まれてしまうこと。そうなってしまったとき、それは果たして「私」なんだろうかと答えの出ない問を突きつけられた。
「尊厳」「自分」
そういう単語が世界に存在していることは確かだけれど、それを意識していることや理解していることは全く別だと思う。失わなければ自覚できないことが大半だし、失ったとしても気が付かないことの方が多いとすら言える。私は、どちらだろうか。

11/16 Thu.

 技術支援の方が、カバンにかわいい生き物のグッズを付けていた。シナモロール(シナモンロールでは無い)らしい。ポムポムプリンかと思った。食べ物にアニマシーを付与するという文化はいつ頃から出来たものなんだろう。やっぱりやなせたかしかな。
 夜、久しぶりに研究所のバドミントンサークルに参加した。学生の中では私が一番年次が上だから、号令をかけなければならない。留学生もそこそこいるから、英語を交えるけれど、雰囲気で誤魔化している。こうやって、生きている。運動ができる人、見ててカッコイイなあ。私ももう少し運動しよう。終わってから、家の近くの中華料理屋でご飯を食べる。麻婆茄子定食を頼んだら、「ラーメンは何?」って聞かれた。麻婆茄子定食にラーメンが付随するの、人生で初めてかもな。

11/17 Fri.

D論を書き進める。以上。

11/18 Sat.

金原ひとみさんのエッセイ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』を少しずつ読んでいる。

掌節の05シエルがとても良い。「空」というキーワードを巧みに使いながら、日常を切り取っている。
 他者の行動・思想の「わからなさ」というものからは、誰も彼も逃れられはしない。
– 何度指摘されても、ついつい指をしゃぶってしまう次女
– 先刻まで不機嫌だったのに、すぐに顔を輝かせてマックに行くことを提案する長女
– 夫の浮気に怒りを表明する友人
そういった、瞬間瞬間の行動とか感情というものが立ち現れるバックグラウンドには、その人がこれまでに培ってきた人生がベースになっているから、本人以外が(本人ですらも)正確に理解することはあまりに難しい。そして、「理解できない」ということは、言うなれば顔のない人たちに囲まれるような形容しがたい軽微な不安を即発するのだと思う。だから、せめてもの共通項として「同じ空の下に生きている」から人生は「全部空のせい」と考えたくなる。そうすることで、少し、息がしやすくなるのだと思う。


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