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レンズキャップを外して歩く

11/19 Sun.

  家の最寄りの美容院で髪を少し梳く。
# 日記のいいところは、音では使うけど漢字が分からない単語への造形が細やかになること(コメントアウト)
  足元に黒い塊が落ちていく。髪も爪も、人間の身体から離れた途端に気味が悪くなる。あれだけ整えて慈しんでいたものなのに、なぜだろう。美容師さんとのお喋りがあまり円滑に出来ないタイプの人間だから、こういう目に入った不思議は有難い。ずっとぐるぐる脳みその上で転がってくれる。転がった疑問は解決することもなく、シャンプーと共に知らない管へ流されていく。

11/20 Mon.

  ボスに主張をぶつける。いつもは適当なところで折衷案に以降するが、今日は折れたくなかったので言葉を選びながら耐える。疲れた。21時頃に1度帰って2時間ほど軽く寝てからまたD論を進める。
  STRESS CLUBというdiscordチャンネルに加入した。深夜ユーモアがたくさん載っていて脳が喜ぶ。2chの傑作編まとめみたいな場所。アーリーアダプターのみが活動しているコミュニティの面白さを崩さないために、レイトマジョリティである私は何も投稿しないことが貢献。

11/21 Tue.

  冷やし中華っていう命名はあまりにチャレンジングだなぁとふと思う。冷やすという具体的行為に対してオブジェクトが抽象的すぎる。麺が必須の割に名前に入っていないのも前衛的。こういう名前って他になにがあるかな。逆引きが難しいタイプの疑問。

11/22 Wed.

  D論を書きながら、ダウ90000のコント「20000」を配信で観た。面白い...が、前に見た「また点滅に戻るだけ」があまりに良かったから、その比較をしてしまうというのはある。短編というものへの感動は同じ質であれば長編に対してどうしても薄れてしまうんだよな。長い物語に感動したいのかもしれない。ただ、良かったことは確かだし、出したお金以上の気持ちにはなれたから皆さんもぜひ。
  マクドナルドでD論の続きをやろうとする。いつの頃からか、どこもかしこもストローが紙製になってほんとにストレス。環境に配慮するポーズを取りたい人だけでやって欲しい。自慰行為に私を付き合わせるな。

11/23 Thu.

  前日床に着いたのが3時頃だったから、しっかり寝ようと思っていたら、12時ジャスト。朝がまるまる睡眠で潰れた。パソコンを使えるカフェを探して、Googleマップが教えてくれた喫煙OKの喫茶店に向かう。喫煙が良い場所ならパソコンを触っていてもまあ大丈夫だと思っている。洒脱度合いが半端なところではなかなかキーボードを叩く音に配慮してしまうよな。
  ベクター形式の線画を太らせたいんだけど、イマイチいい感じのパッケージがない。仕方がないから解像度を若干下げることで対応する。こういう時に、その場しのぎの技量が私を支えているんだなあと実感して情けない気持ちになる。息が出来ることと酸素が足りていることは別問題。
  陽が落ちてから、研究所の個室スペースでまた作業を進める。何か耳に雑音を入れたくなって、ユーネクストでちょうどいいものを探したが、みつからないのでFRIENDSに流れ着く。人生で1番繰り返してみたコンテンツだから、脳が新しい情報として処理しない。自分に関係の無い音が構築してくれる安心感ってなんなんだろう。世界が、私ひとりで構成されている訳ではきっとなくてどこまでも無限に拡がっていることが確信できるからかな。わからないけどとりあえずサブカクテルパーティー効果と呼ぼう。

11/24 Fri.

  夜、後輩のラボでダウ90000の布教活動をする。こういう、好き嫌いが別れ得るものの布教は少し緊張がある。少なからず他者の時間を奪ってしまうことに対する申し訳なさだろうか。やらなければいいだけの事だが、ただ、好きなものを表明して押し付ける時にしか出来ない私らしさの表現があるとも同時に思う。だから、「これは私が無理やり押し付けている!」というポージングを大袈裟にとる。こうすることで、「迷惑だと思われてないだろうか...」という不安を「迷惑だと思われている」という確信に変えることが出来る。書いてて思ったがこれも配慮ポーズの自慰行為だな。次からは不安と共にサジェストすることにしようと反省。本当は、確信をもちたいんだけどな。

11/25 Sat.

  前日に後輩の車で家まで送ってもらったから、自転車が研究所に置きっぱなし。天気も良いので、歩いて自転車を取りに向かう。ついでにミラーレスを肩からぶら下げてサブカルを気取る。写真家の幡野広志さんが以前、レンズキャップを付けていたら、写真を撮るのが億劫になるよと(いうようなことを)言っていた。レンズを保護するあまりに撮る枚数が減ってしまうのはとても勿体ないという趣旨。百理ある。
  普段は自転車で通り過ぎてしまうような風景をパラパラとカメラに収める。どこにでもある風景だけど、写真に収めると愛おしくなる。不思議だ。

  生活にレンズキャップを付けてしまうことが多々あるように思う。安全側に生活を設計しがちだから、例えば15分前行動のせいで睡眠時間が減るし、旅行の時にはいらない荷物が歩みを遅らせる。キャップを外して歩かないと出会えないものだっていっぱいあるし、そうして生きている人の無敵感に憧れがある。

冷やし季節

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