見出し画像

monster イタリアでの出来事③大阪編

2度目のイタリア滞在の終盤、ミラノの街を友人であるイタリア人夫妻に挟まれて歩いていた。
秋も終わりの頃で石造の街並みと冷えた空気、ミラノの街の色、全てが上手く溶け合っていた。
ミラノは秋から冬に移り変わる瞬間が一番好きで、フィレンツェは秋の初めの頃が好きだ。
残念ながらイルカが住む海沿いの町は2日間ずーーっと雨だったから散歩もしていない。
あの町がどんな町なのか、全く分からないままだ。

イルカに「オレはmonsterの彼氏にはなれない」と言われた。
私も私で、「そんなん、分かってる」と返したが、強がりが半分以上は占めている。
そういう場面で泣けないのだ。
一度で良いからこういう場面で、「そんな事言わないで」と泣いてみた…い、とは、全く思わない。
そういうの、monsterである私には全く似合わない。
良いではないか。別に。
彼氏、彼女と呼称を付ける存在だけがロマンスではない。
イルカとイタリアで出会えた私はとてもラッキーだ。
イルカの記憶の片隅に「ああ、monsterという女が居たな、二晩共に過ごしたな」と残るかもしれない。誰かの人生の記憶に、しかもイタリアでの記憶に残れる、私もイルカの事を記憶に残すので良いのだ。
イルカは自由な男だ。
誰にも縛られず、自分の意思で人生を切り開いていく人だ。夢を追いかけて、周りには何と思われようと気にせず実行して実現させた。
何と素晴らしい男なのだ。
そんな男と私は出会えたのだ。
イルカの自由な魂と身体は誰にも縛ることはできない。
女に縛られて消去法で生きていく様な男では無いのだ。

そんな風にミラノの街を歩きながらイルカの事を考えた。
そして数日後、私は京都の実家に帰った。
歳が明けて2010年になり、私は現実に自ら戻った。
2005年から仕事をしながらイタリア語を学び、通訳案内士になる夢を描きイタリア留学を実現させたけれども2010年、諦めた。
そして再度物を売る仕事に戻ろうと就職活動をし、春にはアパレルブランドに就職し、再びデパートの店頭に立った。
季節は過ぎて、また年が明け、2011年の正月も休みは元日だけで2日から店頭に立っていた。
正月の何日だったかは覚えていないが、昼休み、京都の街が一望できる社員食堂で昼食をとっていたらケータイが鳴った。
また、見た事のない電話番号…
鼓動が速くなる。
「はい」と短く電話に出る。
「monster?オレ!」
(イルカよ、それはオレオレ詐欺の電話のかけ方だ。あなたはイタリアに居るからオレオレ詐欺を知らないのか…)
一瞬で胸いっぱいに抱いた期待通り、イルカだった。
「イルカ⁈帰ってんの?」
イルカは一時帰国していた。
「monster、会える⁈」
と唐突に聞いてきたことを覚えている。
「もちろん」

数日後、私たちはお互いの家の中間という事で大阪の梅田で会った。
阪急梅田駅でイルカを待っていたらイルカが笑いながらやってきた。
良かった、元気そうだ。
最後に会った時はイルカも私も笑顔などほとんど無かった事をこの記事を書きながら改めて思い出した。

梅田駅でハグしてラテン式の挨拶を爆笑しながら、「ここでこれ、するんか!」「ええやんか」わはは!
と笑いながら頬にキスの挨拶をした。
「何が食べたい?」とイルカに聞くと、
「monsterと大阪で会う時にお好み焼き食べたいなって思っててん!」と答えてくれた。
良かった、ボローニャの時の様に投げやりに「迷いたく無いからマクドでええわ」などもう2度と聞きたく無い。

そしてお好み焼き屋で注文をして…
イルカが言った。
この時の言葉、イルカの姿はこれからも忘れたく無い私の人生の中でも大切な思い出だ。

「monster、オレな、どうしても会って謝りたかってん。オレに会いに来てくれた時な、オレ、ほんま精神的に参っててな。夏の仕事、めっちゃ忙しかって、ほとんど寝てなくて…なんかあれから色んなことがどうでも良くなってしまって。夢も実現したし、オレ、これからどうしたらええのか分からん様にもなっててん。
けどな、monsterが来てくれて、オレmonster置いて友達の家にサッカー観に行ったやん。あの日な、集まってた友達みんなに、イルカが帰ってきた!本来のイルカに戻った!って、喜んでもらえてん。多分な、monsterがオレの心開けてくれたと思ってん。そやのになんか冷たい態度しか取れんくて、ごめんな、あの時…」

驚いた。
え?それを言うための帰国?と思ったが、帰国は一人で暮らすお母さんと一緒にお正月を過ごす為で、けど、monsterにも会って謝りたいと思っていた、と言う。
(親孝行にも泣けるよね、お母さんがお正月一人で過ごさない様に、だなんて…)

そして私は答えた。
正直、ボローニャの時も会いに行った時も辛かった。
何故かいつもイルカとのお別れの後は号泣だ。
サッカーを観に友達のところへ行けと私も勧めたくせにあの後泣いた。
泣いてばかりだ。
けれども、それだけイルカが好きだった。
それから、私のイタリア語を子供みたいと言ったのも気に食わなくてイルカの前でイタリア語話すの恥ずかしくて嫌だった。
けれども、私が会いに行った事でイルカが元気になったと聞いて嬉しい。
どんな順でどんな言葉で答えたかは覚えていないが、この様な事を伝えた。
そしてお好み焼きを食べ始めた。
店内には中森明菜のセカンドラブがかかっていた。
6歳下のイルカはこの曲を知らないと言っていたのが残念だった…

それから夕方まで私達は梅田をぶらぶらと歩き回った。
とても寒い日だった。
ふと私の手に触れたイルカは、手の冷たさに驚いて、そのまま私の右手をイルカの黒いダウンコートのポケットの中に入れてずっと握っていた。
イルカは次の夢を語ってくれた。
次はオーストラリアへ行くのだと。

私は嬉しかった。
何て自由で力強い男なのか、と。
そんな男が自分のコートのポケットの中で私の手を握っているとは、何と可愛い人なのだ、と。

そしてやはりイルカの側には居られないし、求められてもいないのだな、と認識した。

その日の最後、梅田の観覧車に乗って、お別れした。
私はまたしても梅田駅で号泣した。
でも過去の2回と違うのは、笑顔でハグをしてイタリア人の様にお別れの挨拶をして見送ったこと。
その後、もう、本当にイルカに会うことはないのだ、と感傷的になって京都へ帰る電車で一人で泣いた。

あれから12年経つが、イルカと会った事は一度も無い。
連絡も、無い。
何も無い。

けれども私は時々イルカを思い出す。
イルカの不安定も、イルカの夢も、イルカの声も、イルカのイタリア語も、イルカと過ごした夜も、イルカの機嫌の悪い顔も、イルカの笑顔も、全て私の大切な思い出だ。
イタリアでイルカに出会えた、あのヴェネツィア帰りの電車。
人の出会いは面白い、とつくづく思う。

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?