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鉄道の歴史Ⅱ(戦後編)⑨ 高度経済成長と私鉄経営の明暗

 高度経済成長に伴う都市部への人口集中は激しいものがありました。
 例えば、首都圏、中京圏、京阪神圏のいわゆる三大都市圏における昭和35(1960)年~45 年の人口増加率は30%を超えていました。
 そんな中で、都市近郊を結ぶ大手私鉄(東武、西武、東急、小田急、京浜急行、京成、名鉄、近鉄、阪急、京阪、南海、阪神、西鉄)は、通勤需要の大幅な伸びを受け、その経営基盤を拡大していきました。
 国鉄同様、大手私鉄も設備投資と運賃値上げを繰り返し、輸送力増強と安全性・サービスの向上に努めました。車両や駅などの設備の近代化、列車の増発、或いは一部区間での複々線化などが進められました。
 その一方でこの間大手私鉄は「副業」を充実させていきました。兼業とは、不動産、観光・リゾート開発、タクシー、運送、デパート、遊園地、建設、ホテルなどで、大手私鉄では高度成長期に兼業固定資産(子会社への投資を含む)が本業の固定資産を上回るようになっていました。鉄道やバス事業が作り出す利益が相対的低いのに対して、これらの副業は、鉄道・バス事業から派生して、大きな利益を各社にもたらしました。
 しかしその一方で、都市への人口移動に伴う地方の過疎化、モータリゼーションの波が、中小私鉄の経営に圧迫を加え始めていました。
 都市近郊にあって通勤需要が増大したり、大手との相互乗り入れによって一定の乗客を確保したりできた鉄道や、有名な観光地を有する鉄道はまだしも、地方都市で細々と営業を続けてきた生活路線が主体の中小私鉄にとって、新しい時代の波は、大きな衝撃を与えました。
 昭和30年代に入って地方私鉄の廃線が目立つようになっていましたが、昭和40 年頃には、毎年平均して100km の地方私鉄が廃線になっていきました。例えば近畿地方では、「島の鉄道」として愛されてきた兵庫県淡路島の淡路交通(洲本-福良間)が廃線に追い込まれたのも、昭和41 年9 月のことです。
 地方鉄道廃線後は、路線バスがそれに取って代わりました。さらに過疎化が進んだ地方では、その路線バスさえも廃線に追い込まれようとしています。また、国鉄の赤字路線などが転換した第三セクター鉄道も、一部の路線を除いては苦戦を強いられています。
 もっとも近年は、大手私鉄の経営環境も決してゆとりのあるものではないようです。駅のバリアフリー化など、新たな設備投資には莫大な費用がかかり、関連事業は不況のあおりを受けて振るわないものもあります。21 世紀の生き残りをかけて、鉄道会社はさらなる経営努力に頭を痛めているようです。

連載第146回/平成13年4月18日掲載

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