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鉄道の歴史Ⅱ(戦後編)③ 私鉄王国の再編

 戦争中の交通調整の方針に従い、大手私鉄が統合されていた大阪、東京近郊では、終戦と共に、分離・独立の気運が高まりました。
 昭和17(1942)年に設立された東京急行電鉄(東急)は、東京横浜鉄道、京浜電気鉄道、小田急電鉄の3社が半ば強制的に統合されて生まれた会社で、2年後に京王電気軌道を加えたマンモス私鉄でした。昭和22年に施行された過度経済力集中排除法は、鉄道会社には適用されませんでしたが、合併の経緯もあって東急内部では旧各社の独立志向が強くありました。そこで昭和23年に東急が、京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王帝都電鉄に鉄道の一部を譲るかたちで、東京南西部における私鉄網が再編されました。
 私鉄王国と呼ばれる大阪でも、同じような動きがありました。
 関西においても、阪神電鉄以外の大手各社は戦時統合され、昭和18年に阪神急行電鉄が新京阪線(現阪急京都線・千里線)を含む京阪電気鉄道と合併して京阪神急行電鉄(現阪急電鉄)に、翌年には、関西急行電鉄と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道(近鉄)になっていました。
 まず、昭和22年に、近鉄から旧南海鉄道が分離して独立しました。この年は、国有鉄道でも八高線の転覆事故など、大事故が発生していますが、私鉄では、日本一の路線を持っていた近鉄でもしばしば事故が起こっていました。所帯の大きさが復旧の遅れを助長していると考えた経営陣は、南海の傍系会社であった高野山電気鉄道を南海電気鉄道と改称し、近鉄から旧南海の路線を譲渡するかたちで新たに発足させました。
 この動きは、昭和21年に復活していたプロ野球界にも影響を与えました。
 戦前の第1次黄金期を築いた巨人軍に代わって、南海軍を継承した近畿日本グレートリング(ちなみにこの愛称は、隠語で卑わいな意味だったので、進駐軍に密かな人気があったと言われます) が、一躍強豪チームとなっていました。親会社の分離のため、近畿日本軍は南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス) を名乗り、近鉄は2リーグ分裂時に新チーム・近鉄パールズ(近鉄バファローズなどを経て、オリックス・ブルーウェーブと合併して消滅)を結成させることになります。
 さて、昭和 24 年には、京阪神急行電鉄から京阪電鉄が分離独立しました。公式には、国鉄との競争が激化する中、神戸線、新京阪線のテコ入れに重点を置かざるを得ず、後回しとなる京阪線、大津線を独立させて独自に復興に力を入れる、という理由が発表されました。実際には旧京阪から京阪神急行に参画していた経営陣は、合併前の姿、つまり、新京阪線を含んだかたちでの独立を求めていました。しかし合併されたときの力関係が結局ものをいい、新京阪は京都線として阪急に残されました。
 こうして関西の大手私鉄の、現在の顔ぶれがそろいました。
 西日本一のターミナル・梅田を要し、唯一京阪神を結ぶ私鉄の雄・阪急。本体は小規模ながら、山陽電鉄姫路からの直通特急を、近鉄と相互乗り入れで神戸と奈良を直結させた阪神(この2社は、現在同じホールディングス・カンパニーの傘下にあります)。テレビカー、ダブルデッカー、プレミアムカーと、弱点のスピードをサービスでカバーする京阪。名古屋、伊勢志摩、吉野と京阪奈を特急網でつなぐ近鉄。高野山、和歌山、関空へと、斬新な車両が駆け抜ける一番の老舗南海。終戦から70年以上の年月が流れ、関西の大手私鉄は、会社こそ同じ顔ぶれながら、未来に向かって新たな躍進を続けています。

連載第140 回/平成13 年2月28 日掲載

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