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明治憲法の素顔 Part 2 ⑧「専門家の評価」

 明治 22(1889)年7 月、金子堅太郎は、伊藤博文枢密院議長の命により、議会制度を調査するために、欧米諸国に派遣されました。この際伊藤は、自らの著書である大日本帝国憲法(明治憲法)の解説書『憲法義解』の英訳を持参させ、欧米の政治家や憲法学者の意見を聴取してくるように、併せて金子に命じていました。
 教科書や一般の歴史書では、日本国憲法と単純比較して、明治憲法はダメだというレッテルを貼っています。しかし、国内では自由民権運動家がこの憲法を歓迎していたという事実もあります。では欧米の専門家は明治憲法をどのように見ていたのでしょうか。
 『権利の為の闘争』で知られる、ゲッチンゲン大学(ドイツ)教授、ルドルフ・フォン・イェーリングは、「勅選議員によって貴族院を構成することは政治の安定に寄与するだろう」と述べています。そして「衆議院の過激な議決を調停するために貴族院は力を発揮する」と力説しています。
 今日では、衆議院と対等であった貴族院の役割については、否定的見解が多いのですが、「調整」という役割を担っていることがこれでわかります。今日の参議院の役割を考える上でも示唆に富んだ指摘ではないでしょうか。
 オーストリアの法学博士ローレンツ・フォン・シュタインは、「明治憲法が緻密かつ正確であることはヨーロッパの憲法に勝るとも劣らない」と最大級の賛辞を贈っています。しかし、「憲法制定に至る歴史が添付されていな
いことが気になる。なぜ日本が憲法を制定するに至ったかがわからねば、外国人は『トルコの憲法』(ミドハド憲法。アジア初の憲法として制定されましたが、短命に終わりました)と同一視するだろう」と警告を与えています。
 教科書では、明治憲法制定が、あたかも伊藤の憲法調査旅行から始まったかのように教えられていますが、実際には五箇条の御誓文によってすでにその道は示されています。一方、現行憲法がGHQ の圧力で制定された歴史についてもほとんど語られていません。シュタインの指摘も、今日私たちが憲法を語る上でも重要な点でしょう。
 オックスフォード大学(英国)教授アンソン卿は「明治憲法は、大権を天皇に帰せしめ、天皇をして万機を統裁させるというところに特徴があり、これが『ドイツ主義』だといわれる所以である。しかし、英国憲法(英国は不文憲法の国ですが、「マグナカルタ」をはじめとする国王との約束や慣習が「憲法」とされます)の精神も実は同じなのだ。英国議会政治が多数派の支配によるというのは、憲法の趣旨を誤解している」と語りました。また同大学のアルバート・ヴェン・ダイシーは「ドイツ憲法に範を求めたのは、起草者の識見の高さを示している」と評価しています。
 これも教科書で語られている「明治憲法は、皇帝の権力が強いドイツ憲法のみを参考にした」という内容と齟齬しています。実際、伊藤は英国憲法も充分に斟酌した上で起草に当たっていたのです。またドイツ憲法は、欧州
の法学者の間では高い評価を得ていたのです。
 このように金子が訪ねた欧米の専門家は、細部にわたっては様々な問題点を指摘しながらも、概ね明治憲法を、素晴らしいものだと評価しています。今日の価値観だけで明治憲法を裁くことは、歴史を学ぶ上で意味がない行為です。

連載第115 回/平成12 年8月23 日掲載

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