急いては事を仕損じる『Shenmue the Animation』第8話「冀求」

『Shenmue the Animation』第8話の感想を書く。

https://www.nicovideo.jp/watch/so40492535

秀瑛の部屋に下宿する涼は、引き続き武徳を求めて香港を駆け巡る。

これまでのあらすじ
涼は朱元達の居場所を秀瑛に尋ねるも、彼女に協力を拒まれてしまう。
意気消沈しその場を後にする涼だったが、文武廟の道士・漢輝から武徳を知れば秀瑛の気が変わるかも知れないと助言され、香港にある光武館という武術道場を訪れる。光武館の師範・周善は武徳を知ってはいるが、かつてある弟子を正しく導けなかった自分には武徳を語る資格は無いと語る。涼はその後、周善が破門した弟子・宗泉と出会うが、彼も同じく武徳を語ることは出来ないと話す。宗泉は実際に戦えばかなりの実力者だが、チンピラ相手でも戦おうとはしない。それを疑問に思っていた涼だったが、宗泉は破門されてもなお、みだりに武術を見世物にしないという周善の教えを守っていることに思い当たる。
宗泉が守っていた教えこそ、武徳のひとつ「戒」だった。
涼は新たな武徳を会得したが、秀瑛はそれでも協力できないと返す。そう言いつつ彼女は自分の部屋に涼を案内し、ここでの滞在を許す。

虫干しの思惑

涼は文武廟の書庫にある書物を虫干しするよう秀瑛に依頼される。朱元達のことを知りたい一心と、居候の身ということもあり、不承不承その頼みを引き受ける涼。慣れない作業に苦戦しながら、道士見習いの芳梅の助けを借りて書物を外に出し終えるが、それらは再度夕方に仕舞い込まなければならないという。午後3時には戻るよう芳梅と約束すると、涼は再び香港の街へ武徳を探しに行く。
ゲーム『シェンムーII』ではこの虫干しイベントは一種のミニゲームになっており、涼が山積みの本を抱えて、書庫から外にある台へ運ぶというものだった。涼の体勢が崩れた際にQTE(ボタンの早押し)が発生し、成功すればバランスを持ち直し、失敗すると本が崩れ落ちてタイムロスとなる。このイベントは何日も掛けて進行し、最終的には書庫にある朱元達の著者「武林書」を発見し、手に入れることで終了する。
この虫干しは勿論ただの雑用ではなく、秀瑛に思惑があってのものだ。その意図を大まかに三つに分けてみる。まず一つ目は仇を討つべく気持ちの急いた涼を落ち着かせるという意図で、注意を要する作業を任せることで涼の頭を冷やそうという目的がある。
二つ目はこの虫干し自体が武術家としての鍛錬になるという意図で、崩れやすい荷物を運ばせることは、涼のバランス感覚や体幹が鍛えられるトレーニングになっている。ゲーム後半にはよりシビアに涼のバランス感覚が問われるQTEが登場するが、この虫干しは涼とプレイヤーにとってその予行演習だといえる。
三つ目は遠回しに涼へ朱元達のヒントを知らせるという意図で、ある程度作業をしたころには涼の気持ちも落ち着くだろうと踏んで、武林書のある書庫の虫干しを任せている。また秀瑛の過去を考えると、直接的に教えることは憚られたということもあるだろう。
さて、これまでゲーム版の虫干しについて述べてきたが、本題の『Shenmue the Animation』はどうだろうか。実はアニメでは上に挙げた三つの意図はあまり当てはまらない。確かに一つ目の先を急ぐ涼を落ち着かせるという意図はあったかもしれない。では二つ目の鍛錬に関してはどうか。アニメでも涼は書物の扱いに苦戦しており、書物を持ったまま本棚から転げ落ちている。しかし涼は抱えた書物は全く崩さず、それらを手に携えたまま自分だけが落下している。加えてそのすぐ後には、街中で落としそうになった荷物を間一髪で受け止めるというシーンまである。こうした点を見ると既に涼はある程度バランス感覚を備えているように思え、虫干しが鍛錬になっているとは言い難い。
三つ目の朱元達のヒントについても、武林書のことは虫干しの最中に発見するのではなく芳梅から聞く形になっており、涼自身でその在りかを知るわけではない。また、アニメにおいて涼が先を急く気持ちを抑える役目を担っているのは虫干しそのものではなく、新たな武徳を獲得するまで過程である。
前二回で集めてきた武徳は、それらの意味自体が各回で話の根幹を成していた。今回は「今ある景色を見ず、前へ進もうとする」ことを諌められた涼が、考えた末に「今ある景色を見る」大切さに気付き、桂花のもとで武徳を授かる。桂花から教えられた武徳「義」には「正しいことの為に躊躇うことなく行動する」という意味が備わっているが、これまでの武徳に比べ「義」そのものの意味と今回のストーリーには直接的な繋がりを見出しづらい。今ある景色を見ろ、というメッセージはあくまで、再開発される香港の姿と桂花の言葉などから涼が気付いたものだ。
今挙げた点を見ても、アニメ版の虫干しは涼の修養という要素は薄くなっていることがわかる。アニメでは芳梅と涼の関係に重きが置かれ、秀瑛は両者に都度短い言葉を投げかける役目となる。秀瑛は芳梅と涼の真っ直ぐな所が似ていると思っているようだが、私にはそうは見えなかった。これについては、秀瑛が芳梅と涼の境遇に自身を重ねており、そこを共通項にしているからなのではないかと想像した。

芳梅は物語にどう寄与したのか

今回は主人公の涼以上に、薫芳梅の印象が残る回だった。前回の感想にも書いたが、芳梅の性格はゲームとアニメで明らかに異なっている。仕事熱心で秀瑛を慕っている点こそ同じだが、少し生意気で涼に対して苛立ちを募らせるような描写はアニメにしかない。これまでもゲームとアニメの違いについて色々と書いてきたが、自分としても最も大きな変更点だと感じた。彼女の人気の高さもあり、違和感が大きかった人も多いのではないだろうか。ゲームには他に二名の同士見習いが登場したが、アニメでは芳梅ひとりだ。それを思うと、芳梅ひとりに彼らの性格や役割が統合されたのではないかと思えてならない。実際にゲームの同士見習いには虫干しを一緒に行ってくれる者と、涼にあまり友好的でない者が居た。
アニメでは短い尺の中で朱元達の情報収集と武徳集めを同時に進行させなければならず、虫干しに時間を割くことはできない。そんな中で芳梅が涼の作業を手伝い、武林書の情報をもたらす役割になるのは必然だったと言える。性格の変更もストーリーをコンパクトにするうえで必要だったのだろう。今回の大筋は、涼と芳梅の間にあった諍いが解消され、最後に朱元達の情報を伝えるというものだったが、物語と武徳の繋がりは弱く、また芳梅が最終的にどのような形で涼を理解したのかが腑に落ちなかった。


今回は、3時までに戻ってくるよう言われたり、武徳を探して聞き込みをしたりと、いかにもゲームらしい回だ、という印象が最初に感じたことだった。武徳の聞き込みの際に、基本的にサブイベントでしか関わらないアイリンや和泉がわざわざ登場して涼と会話したのには驚いた。ゲームのプレイヤーとしてはそうした本筋に関係ない人物が登場することは勿論嬉しいことだ。とはいえ、それが尺の短いアニメ作品のなかで、特に今回のような話の中で出すべきだったかは疑問に思ってしまった。
シェンムーはひとつなぎの物語を追うことよりも、景色を見たり、NPCとの会話をするといった体験に価値があるゲームだと思っている。『Shenmue the Animation』はそんなゲームの物語の部分をアニメ化している。ゲームのままでアニメ化しない、それはそれでゲームと異なる本作の価値なので、物語の部分がより描かれたものを観たいと自分は思う。


『Shenmue the Animation』公式サイト

『シェンムーⅠ&Ⅱ』公式サイト

『シェンムーⅢ』公式サイト



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