芹沢あさひの夢を見た


数日前に、アイドルマスターシャイニーカラーズというゲームに登場するアイドルの一人である芹沢あさひさんの視点で進む夢を見た。それがどうにも忘れられないので、ここに覚書として残しておこうと思う。

正確に言うと外見も思考回路もそっくりそのまま私自身なんだけれど、一緒に行動する黛冬優子さんと和泉愛依さん(ゲーム内では「ストレイライト」という三人ユニットで活動している)が私のことを「あさひ(ちゃん)」と呼び、私も自分のことを芹沢あさひだと思い込みながら進んでいく。今後の展開であさひの思考回路が私ということによる支障はないに等しいので、便宜的にここでは芹沢あさひが主人公となった一人称視点の夢ということにする。

夢の話というか、目覚めた後に書き留めたものを参考にはしているものの移動経路などの細部はぼんやりとしているので、夢の大筋をそのままに辻褄合わせ等の若干の再構成を加えた話だ。といっても夢は支離滅裂なのが当然だし、あんまり気にせずフィクションの読み物として読んでほしい。あとめちゃくちゃSFファンタジー。



その日はご飯屋さんで愛依ちゃんとロケを行っていた。交通量の多い大通りの交差点を構成する道路の一つに面した、テーブル席よりもカウンター席が多く、狭く細長い、定食屋か街中華かその辺りのお店。

引き戸を滑らせて数歩外に出ると、何処か違和感のある風景が広がっている。振り返ると愛依ちゃんはいるものの、少し後ろにいたプロデューサーさんや店員さんは煙のように消えていた。

空気が重い。齧りついた綿飴のように甘く濁っている。世界の彩度が一段階落ちている。前に進むのが難しい。水中にも似た抵抗を感じる(これはこの夢のみならず夢の中特有の感覚だと思う)。

交通量がごっそりと減り、車も人もまばらになった。訝しげな私と愛依ちゃんは、とりあえず移動してみようとすぐ近くの交差点へ向かう。交差点をつくる四つの角の歩道のうち一つに差し掛かった瞬間、何故だか本能が「もう戻れない」といったようなことを感じさせてきた。この四つの角それぞれの先の歩道は見えない壁が進行を遮るのだという確信を得る。


多分異界に迷い込んだのだと、自分はいてはいけない場所に来てしまったのだと、その段階で気付いた。ここから出なければいけない。愛依ちゃんも同じことを思っていたようだった。


信号を待つ。体感速度の問題か実際そうなのかはわからないが、青に変わるのが異様に遅い。自分も周囲も動くものすべての時間が限りなく遅く感じられる。ハイスピードカメラが映し出す世界そのものへ入ってしまったような。対岸に立つ人間は虚ろな目をしていた。

信号が青になる。向かいの角にはショッピングモールがある。従業員の服装をした人間がゆっくりと滑るように迫ってくる。多分私たちは、この世界に存在する人間全てに緩やかに追われている。異分子は排除される。


信号を渡ってすぐ、逆側の角─────最初に店を出たところの歩道の角から正反対の位置にある場所──────へ繋がる信号へ向かう。従業員らしき人が緩慢な動作で迫る。向こう岸には冬優子ちゃんがいる。冬優子ちゃんと合流しなければ。この人に捕まらず逃げなければ。

背後を見ることができない。じわじわと気配が迫り来ている。鼓動が激しくなっていく。捕まったら終わりだということだけがわかる。彼女は確実に近づいてきている。スローモーションで、あるタイミングから体勢を一ミリも変えないまま、床を滑るように、でも確かに一歩分の距離を詰めてくる。

鼻息すら届きそうなほど背中ギリギリまで近付かれた瞬間に信号が変わった。慌てて走り出すが思うように動けず、水中を懸命に歩くように駆ける。信号のすぐ近くで待ってくれていた冬優子ちゃんが「ここには駅があるから電車に乗れば抜け出せる」と断言した。走りながらそのどこか説得力のある論に頷いて、合流した信号のすぐ後ろにある駅を目指す。


見慣れた緑の看板の奥、明らかにJR系列の駅、三台ずつ並んだ改札の頭上に掲げられた電光掲示板は、本日の電車は残り二本だと示していた。こんな真昼間に、しかも都内で、二本しかない?次の電車は十時間後?そんな馬鹿な。隣に佇んでいる冬優子ちゃんが絶句している。

ここは普段私たちがいるべき世界と、そこからは知覚できない完全な異世界の狭間にある。狭間のものは現実(どちらも現実だけどとりあえず普段いる世界を現実として定義する)ともリンクしていて、現実にいるうちはそうと認識できないが狭間と現実両方に存在するものもある。そのせいで現実では沢山走っているはずの電車や沢山いるはずの人や車が、狭間に入ってこれないものが認識できなくなったせいで激減したのだ。

本能でそういうことを認識した。多分冬優子ちゃんも愛依ちゃんもその時に理解した。

とりあえずこの狭い交差点の中で十時間逃げ切るなど無謀に等しい。改札の奥から黒いスーツとサングラスの男が一人。彼も例に漏れずこちらを追う人間の一人だった。唯一他と違うのは、動く速度が私たち三人と同じということだった。


無重力空間でもがくように逃げ、無重力空間でもがくように追う。

信号が変わる。

虚ろな目をした人とすれ違う。肩が触れそうなぐらいの距離。捕まることは無かった。

最後に訪れた角は駅ビルのようなマンションのようなショッピングモールのような、用途不明のビルがあった。ここもほぼ無人だが、高級そうな雰囲気は感じ取れる。三人で一心不乱に走って、ビルの入り口のすぐ脇にある、地上と三階のガーデンを直接結ぶ、緩やかにカーブを描いた石の外階段を駆け上る。(都内に住んでいる人は六本木ヒルズとか東京ソラマチとかを想像してもらえるとイメージしやすいかもしれない)

無我夢中だった。階段の左右を彩る花壇の中の草花がぼんやりと色を放っていた。


そこで、気付いた。見えてしまったことに気付いた。

私がやっていたのは鬼ごっこではない。かくれんぼであった。

何もないところからぱっと現れるように別のスーツの男が見えた。階段の途中で突然立ち止まった私と目が合って、躊躇いつつこちらへ歩み寄る。

「何止まってんのよあさ────」冬優子ちゃんの言葉が詰まった。私が見えたものを二人も見えるようになったみたいだった。

目の錯覚などを利用したそういう画像は、一度種明かしをされたりそう見えてしまえばどう頑張っても最初に見えた像として認識できなくなりやすい。いつか話題になった金と白のドレスか青と黒のドレスか、のような感じで、もう二度目以降は脳が先入観で勝手にどちらか片方を正しいと決めて固定する。それと同じような感じで、ふと気付いたら階段脇の花壇の縁にびっしりと老若男女様々な人が腰掛けているのが見えた。さっきまで誰もいなかったはずなのに。けれどもう見ないことにすることはできない。

ああ、「あっち」だけにしかいない人たちが見えてしまったんだ。鬼ごっこもかくれんぼも終わったんだ。見つけてしまったからには三人全員がこの狭間から現実へ抜け出すことはできない。誰か一人が犠牲にならなければならない。「あっち」の世界に行く人を一人決めなければいけない。そういうルールなのだ。

怯える冬優子ちゃんと愛依ちゃん。

最初に彼を見つけたのは私だ。

怯えるより先に、現実に干渉はできないし知覚もされないけれど、停滞した時間の中で現実さながらの風景のある異世界で生きることに、少し興味を持ったのも事実だ。

二人と永遠に会えなくなるのは悲しい。でも怯える二人のどちらかを犠牲にするより、楽しそうだと思った自分が代表して行くべきだと思った。気付いたのは私なのだから、二人を守る責任があると思った。

何も言わず一歩前へ出る。全てを理解したようにスーツの男が私の手を握る。手の中に残された一枚の汚れたICチップ。勝者に渡される成功報酬。きっとこの中には、この世界の構造をどうにかして「あっち」が現実に影響を及ぼしてしまう狭間の存在を消し去ることのできる情報が入っている。そして手を握られたことで、契約が成立した。私はこれから「あっち」の人間になる。

泣きそうな顔をした愛依ちゃんが見えた。

「愛依ちゃん」

手を出して、と言ってチップを手の中に落とす。もう触れてはいけない。私の代わりに二人がこの中身を調べてくれるだろう。それにしてもこのチップが鍵だなんて、なんだかあんまり面白みがないというか、肝心な場面で味気ないなと思う。


スーツの男二人が先導して私たち三人をそれぞれの世界へ連れて行ってくれるらしい。ドッキリの種明かし直後のような和やかな雰囲気を醸し出すスーツの男たちとは裏腹に、私たちは神妙な顔で階段を下っている。

「今までありがとうっす」

「……あさひ」

「……あさひちゃん……」

これが最後の会話になった。




スーツの男の正装は、黒子のような服装らしい。サングラスの代わりに薄い黒の布を顔の前に垂らした黒服の男は、私を「あっち」の人々が普段生活する家へ案内する。どうやら集団生活を強いられるらしい。

ここには冬優子ちゃんも愛依ちゃんもプロデューサーさんもいない。

みんなもう私のことを知覚することはできない。私が干渉することもできない。

そこは平屋の木造家屋だった。玄関は土間になっている。隣接する部屋が全員共同の居間────個人の部屋があるのかも不明だが────のようだ。その部屋を縦断するように縦に長い炬燵が置かれていて、黒子の服装をした同居人が約八人程度、その全員が同じ方向を向いて寝そべり、肩まで炬燵布団の中に入っている。

炬燵の上に置かれた盆に、数枚の煎餅。

少し高めの位置にある小さめのテレビからは笑点が流れていた。

全員がそれを見ている。

抗いきれない同調圧力の匂い。抗えば生命さえ侵害されるような。

奇妙なほど綺麗に、炬燵布団の一番手前の部分が一人分の口を開けている。多分そこに私が入るのだろう。入らなければいけない。

停滞。怠惰。そこには何かがあるようで、永遠に何もなかった。


これ、なんかつまんないっすね。


そう言おうとして不意に顔を上げる。

ちょうど私の居場所となるであろう炬燵布団の空間のすぐ上。


太い梁に強度のありそうな太いロープが、人の首ぐらいの輪を作って所在なさげにぶら下がって揺れていた。


なるほど、と思った。




ここで目が覚めた。

この場におけるあさひである私が、ショッピングモール前で人が迫ることには心から怯えていたのに、最後にロープを見た時は驚くほど醒めた感情だったのが怖かった。

この永遠に刺激のない、苦痛もないが快楽もない世界は、多分行きたいという人間もいるのだろうけど、あさひにとっては地獄だろうなと思う。

それを瞬時に悟ってしまったあさひはこれからどうするのかわからなくて怖かった。部分的に自由意思を許されてはいるが、法や道徳以上に人を縛る暗黙の了解がそこにあって、それであさひが楽しいと思う気がしなかった。

あさひはどうするんだろう。いつかそのロープを使うのだろうか。

首を吊ることは、「あっち」の世界の脱出に繋がるのだろうか。

それともただ死ぬだけで、あさひのように狭間に迷い込んだ人間を補充して終わるのだろうか。

夢から覚めて、ずっとこのラストシーンが脳裏に薄ぼんやりと焼き付いたまま、今このnoteを書いている。

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