「銀月の聖遺物狩り」第3話

「——そら、起きろ」
「うげっ!?」

 腹部に落ちてきた重い衝撃で目が覚める。驚いて見上げると、聖衣を着たシェリーと目が合った。僕のお腹の上には重い頭陀袋が乗っている。

「ええと、おはよう」
「もう昼過ぎだ。寝坊助。マナが食事を出してくれるそうだから、行くぞ」
「う、うん。あれ? これ……」

 ベッドから出ようと頭陀袋を持ち上げて違和感に気づく。眠る前にはこんなものはなかったはずだ。周りを見渡すと、長細い木の杖とつばの折れた帽子が枕元に置いてあった。

「お前の荷物だ。自分のモンは自分で持てよ」
「シェリーが買ってくれたの?」
「着の身着のままで旅ができるわけねぇだろ」

 相変わらず言葉は荒っぽいけど、先に起き出して必要な物を揃えてくれていたらしい。その優しさに思わず目を潤ませると、シェリーは気持ち悪そうな顔をこちらに向けた。

「何を考えてるか知らねぇが、必要だから揃えただけだぞ」
「うん。ありがとう!」
「本当に分かってんのか……?」

 ベッドから飛び出して上衣を着る。獣の耳と尻尾が隠れているのを確認して、礼拝堂を挟んだ向かいにある居住部に向かう。テーブルの上には既にパンとスープが揃っていた。

「おはようございます。よく眠れたようですね」
「おはようございます。お陰様で、疲れもすっかり取れました」

 食器の準備をしていたマナさんが振り返って微笑む。僕も丁重にお礼を言って、促されるまま食卓につく。

「あまりご馳走はできませんが」
「十分だ。ありがたく頂くよ」

 三人が揃った所で、シェリーとマナさんは指を組んで俯く。戸惑っていると、二人は囁くような声で女神セラスといくつかの神様らしい名前を連ねて、感謝の言葉を告げた。
 どうやら天秤教の礼儀作法らしい。トーマスもやっていたのだろうか。困惑しながら、とりあえず二人と同じように指を組んで目を閉じる。

「それじゃあ食べるか」

 祈りを終え、シェリーは早速ナイフとフォークを握る。そして流れるような所作でサラダをこちらに押しつけ、代わりに厚切りのハムを掻っ攫っていった。

「ちょっ!? 何するの!?」
「野菜と肉、交換だ」
「全然吊り合ってないでしょ!」

 天秤教徒が聞いて呆れる暴挙だ。突然のことにマナさんも目を丸くしている。反応が遅れた隙に、シェリーは自分のぶんと僕のぶん、2枚のハムに綺麗な歯形を付けた。

「ああっ!?」
「魔獣を倒してやったのを忘れるなよ。あと、野菜は栄養があるからな」
「なんでちょっと気遣ったふうになってるの!」

 むむむ、と唸りながら仕方なく二人分のサラダを食べる。新鮮な葉野菜は瑞々しくて、とても美味しい。それだけが救いだった。

「ふふっ」

 憮然としてパンをちぎっていると、突然マナさんが堪えきれなくなったように笑いだす。戸惑う僕に、彼女はすみませんと謝りながら笑い続けた。

「うふふ。お二人はとても、仲がよろしいんですね」
「ええと……」

 昨日出会ったばかりだとか、むしろ殺されかけたとか、そういうことは言わないほうが良いんだろう。僕はシェリーの従者ということになっている。

「コイツはあたしの弟子でもあるからな。修行を付けてやってるのさ」
「えっ」

 突然知らない設定を追加されて驚く。シェリーに睨まれて、慌てて口を抑える。恐る恐るマナさんの方を見ると、彼女は特に気づいていない様子だった。

「シェリーさんは異端審問官でしたね」
「ああ。あっちの谷に異教徒の集落があるって話で、調べてた」

 シェリーは僕の村があった方角を向いて言う。

「あら、それは……」
「結局空振りだったがね。豚鬼オークの巣穴はあったが」

 彼女はハムを噛みちぎり、飲み込む。そうして、聖衣の内ポケットを弄って、何かをテーブルの上に載せた。うっと咽せるような臭いがして、思わず食事の手を止める。シェリーの置いたものを見て、目を丸くした。

「これ、豚鬼の牙じゃ……!」
「なるほど。お預かりしますね」

 食事中になんてものを、と抗議の拳を上げようとした直前、それよりも早くマナさんが平然とした顔でそれを集めて手のひらに載せる。そうして、ひとつひとつ状態を確認してから部屋の戸棚に並べてあった壺の一つに入れた。

「ええと……?」
「魔獣狩りは天秤教徒の仕事の一つだ。教会に持ち込めば、路銀を稼げる」

 マナさんが背中を向けているうちに、シェリーが耳元で囁く。そんな仕組みがあったなんて、全然知らなかった。
 マナさんは別の壺から数枚の銀貨を取り出して、シェリーに渡す。これが豚鬼の値段らしい。けれど、シェリーは差し出された銀貨をマナさんに突き返した。

「コイツの道具一式の代金だ」
「えっ」

 さっき渡された頭陀袋と杖と帽子、てっきりシェリーが揃えてくれたものだと思っていたけれど、寝ている間にマナさんが用意してくれていたらしい。シェリーに送った感謝の言葉を返してほしい。

「必要って言ったくせに」
「だから後払いで代金払ってんだろ」

 そう言えば、彼女は一言も自分が買ったとは言ってなかった。僕は納得できないまま。彼女の得意げな顔を見た。

「この後、祭壇を見させてもらうぞ」

 スープを皿から飲み干し、パンを飲み込み、素早く食事を終えたシェリーが言った。

「ええ、よろしくお願いします」

 マナさんも分かっていたのか、素直に頷く。僕は急いで残りの料理を口に詰め込み、礼拝堂へと向かったシェリーの後を追いかける。彼女は祭壇の前に立って、そこに並べられたものを注意深く見つめていた。

「祭壇を見るのは、異端審問官の仕事?」
「表向きはそうだが、実際は違う」

 居住部にいるマナさんに聞こえないように声を抑えて、シェリーが言う。

「異端審問官は聖遺物やその入れ物に異教のものが無いかを調べる。あたしは聖遺物の神聖性を調べる」

 祭壇には分厚い聖典と、金色の天秤、そして正方形の金色の箱が置かれている。どれも汚れや傷もなく、古びてはいるが丁寧に扱われていることがよく分かる。

「聖典に異常はないな。天秤も」
「一応、異端審問官の仕事もするんだ」
「軽くな」

 それぞれをさっと調べた後、いよいよ彼女は金色の箱をつかむ。手のひらに載るくらい小さなものだけれど、なんとも言いようのないむず痒さを感じる。

「やっぱり、違和感あるか?」
「ええと、鼻がむず痒くなるかな」

 シェリーが箱を持ったままこちらを覗き込んでくる。素直に答えると、彼女は興味深そうに眉を寄せた。

「これって、僕が灰毛アッシュフェールだから?」
「だろうな。聖遺物の放つ神聖性に反応してるんだろ」

 シェリーも狼血の特性についてはあまりはっきりとしたことは言えないらしい。けれど、真剣な表情をして慎重に金の箱を開く。

「うっ」

 途端に芳香が広がった。花の蜜に似ているけど、それを煮詰めたような甘ったるい匂いだ。思わず鼻を抑えて後ずさる。

「大丈夫か?」

 容器を閉じながら、シェリーがこちらを窺う。箱の蓋がおりた瞬間、甘い香りは薄くなる。

「だ、大丈夫。これが、聖遺物の匂い?」
「聖遺物に匂いがあるなんて話は聞いたことがないけどな。神聖性を匂いとして感じ取るのが、狼血の能力なのかも知れん」

 シェリーも狼血について詳しいことを知っているというわけではないらしい。
 なんとも厄介というか、いつの間にか知らない能力を持ってしまった。まだきつい匂いが鼻の中に残っているような気がして、僕は思わず耳を伏せた。

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