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成人の日に思い出すこと

当時の私はどんな姿だったかは、既に上げてる記事にあります。IZAMやってました(笑)

成人の日についてはなんやかんや書けるんですが、ちょっとしんどいかな?って話は早い方がいいと思うのでこのタイミングで。


…以下に続きます↓







小学校卒業して中学入学のタイミングで引っ越ししてるんですが、

小中高とイジメを受けていました。


程度については今となっては分からないので、イジメと表現させて下さい。

一部の男子、そいつらと付き合いがある女子から。容姿についての悪口、よく分からない噂を流される、バイキン扱い、仲間外れetc…常に偏見の目で見られてる感覚。あの気持ち悪さはいくつになっても忘れません。

小学生のうちは、他の子より弁が立つもんで鬱陶しがられてるんだと母に言われました。中学生まではまあまあ太っていました。中学生からいわゆるオタクになりました。当時コミケは晴海で開催されていて、あそこに行くんやろ〜?みたいなことも言われたっけ。

とても、とても嫌でした。

ずっと登校拒否気味でした。

でも、私は自分を曲げずに生きることが出来ました。

母も無理に学校に行けとは言わなかったし、私のことを一度も否定はしませんでした。友達も沢山いたので、オタクライフはかなり充実してました。どう充実していたかはまた改めて書きます。恵まれていたんだなと思います。

先生には頼った覚えがないけど、ありのままの私を受け入れてもらえてたんじゃないかな?ちょっとしたことで猛烈に下してしまう厄介な体質だったので、特に保健の先生にはお世話になりまくりでした。熱も出すし。今では嘘みたいにケロッとしてるので、あれはきっとストレスだったんだろうな。

卑屈になることはなかったけど、しんどいもんはしんどかった。

体重は高校に入ってからスルスルと落ちました。あれから今までそこまでの変化はなし。それから声優になりたいという夢を持ち、1年地元に残ってアルバイトをして、大阪に出てきたのがまさに20歳になる年でした。

専門学校は楽しかったです。恋もしたし、今でも付き合いがある仲間が沢山います。ただもう田舎には戻りたくなかった。今まで同窓会も一度も出たことはありません。案内は実家で捨ててもらうように頼んでます。高校での友人とは2人だけ、年賀状だけの付き合いだけが続いてます。

それでも流石に成人式には出なくてはなと、正月3日の式に合わせて帰省しました。赤毛で厚底ブーツ…田舎には私のより厚いものは売ってませんでした(笑)着物は断り真っ黒なベロアのパンツスーツとそれと同じような生地のスカートを買ってもらい、ジャケットにスカート首元には黒のファーというコーデ。そして大阪から履いてきた厚底。それはもう浮いてましたよ。派手じゃないけど異質だったと思う。でも、母はノリノリでサイズ直ししてくれて、ニコニコしてました。嬉しそうだったな。 

会場にはドキドキで入りました。だって奴等が居る訳です。私の事を散々馬鹿にしたあいつらが…白やシルバーの羽織袴の集団がたむろしてます。しかもヤンキー座り(苦笑)私は当然立ってますし、更に厚底ですから完全に見下す形になります。目が合って、お互いのことを確認しました。私は動揺してはいけないと、心の中でギュッと拳を握りました。

会話は、なかったです。

でも、何故か私は勝ったなと思いました。勝ち負けで表現するのは適切ではないかもしれません。それでもあのときの感情を一言で言うなら『勝った』しかない。

私に対して、あのときのようなノリで言葉を投げげようとして出来なかった。それが全てでしょう。



上手くまとめられないので、これで終わりです。成人の日にまつわる思い出の1つでした。ここまで読んでいただきありがとうございました。

楽しんでいただけて嬉しいです(*^ω^*)ありがとうございます!