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【エッセイ】ガトーショコラ、サンドウィッチ、アップルパイ。君たちのことは忘れない。

 突如として冬の寒さが襲ってきた今日この頃。読者諸君は元気だろうか。是非、ご自愛いただきたいものだ。

 私はご自愛できないぞ。全くもって体調管理ができない。何故か? 朝は冷え込みすぎて体が凍りそうなのに、布団から出て会社に行かねばならない。夜はより一層冷え込む中、電気代節約のため極寒の部屋で眠らなければならない。誰にご自愛と言われようがどこ吹く風だ。きっと私はもうすぐ風邪をひく。

 加えて、2ヶ月後にはクリスマスが控える。今年のクリスマスはどうやら何も無さそうだ。何もない事が一番の屈辱となり、一人で過ごすことが深い悲しみに繋がる日。それが12月25日なのだ。

 そもそもキリストの降誕祭だろう。恋人や家族と過ごす為の時間なんて定義はどこにあるのか。どうせ文化と宗教に託けて物を売ろうとする無礼者が、編み出した風習ではないのか。早急に資本主義のご都合主義を見直さねばならない。このままでは、笑い合うカップルとイルミネーションの眩しさに苦しみ続けるだけだ。陽の光を受けたドラキュラのように、悶えて霧散せねばならない。読者諸君も非リアだろう? 共にクリスマスを壊してご自愛しようではないか。儚く霧散する前に……。

 完全なる孤独と健全なる卑屈を携え、死に物狂いでこの冬を乗り越える所存の私だ。

 今回は、私とお菓子が熱い友情を育んだお話にしよう。読者諸君もお菓子は好きだろう?

 私には仲の良い同期が二人いる。冷静沈着、沈思黙考、明鏡止水のメガネ君。そして、容貌と話し方は可愛いことこの上ないが、心が暗澹たることこの上ない根暗さんだ。

 そんな暗澹たるはずの根暗さんが、最近幸せそうにニヤニヤしている。何か良いことでもあったのだろうか。やたらと顔がうるさい。夜勤の仕事明けですら、疲れ一つ見せずに幸せそうにしている。早朝のジョナサンで、ガトーショコラをニヤニヤしながらパクパクしていた。
 それでいて、どんな顔をしても私は可愛いから大丈夫という態度でいるから厄介だ。ひと口は小さいのに、態度はデカいし顔はうるさい。手に負えない女性とは彼女を指すのだろう。

 対して、私はハムと玉子が挟まった大きなサンドウィッチを頬張っていた。冴えない男が素直に食欲と向き合い、恥ずかしげも無く口を開けてムシャムシャしていたのだ。可愛い性格ではないか。
 ひと口は大きいが素直で謙虚。私こそが人間の鏡だと自負している。反対に、鏡ばかり見て自らの可愛さに見とれるのが根暗さんだ。ちなみに、メガネ君は静かにパンケーキを口に運んでいた。


「ニヤニヤするな、気色悪い」

根暗さん
「ん?」


「ん? じゃない。なぜそうも幸せそうな顔をしているのかと聞いているんだ。今は夜勤終わりだろう。常人ならそんな顔はできない」

根暗さん
「彼氏とね、お散歩デートしたの」


「はぁ」

根暗さん
「すっごく楽しくて。一緒にサンドウィッチ作って公園で食べたりしたの」


「ほう……………」

根暗さん
「一日使って都内の色んな所を回って、途中で鯛焼きとかも食べて、でもやっぱり彼氏と一緒に作ったサンドウィッチが一番美味しくて。見てこれ! 美味しそうじゃない? 結構上手に出来たの! 彼氏と一緒に作ったんだけど……」

 人は幸せで満たされると饒舌になるようだ。普段、彼女は挨拶すらまともに交わしてくれない。私からのおはようは毎朝毎朝虚空に消えていく。何かウィットに富んだジョークを披露しようものなら、それも容赦なく虚空に消す。人の感情を無に帰する能力をいかんなく発揮して、会う度に心を潰してくる。

 それが今はどうだろう。ニタニタしながら惚気ている。幸せの感情がひたすらに口から溢れ落ちている。溢れ落とすことに夢中で食べる方は置き去りにしながら……。
 大きいサンドウィッチはとうの昔に私の胃袋へ収まったが、彼女のガトーショコラは未だお皿の上にあった。

 ガトーショコラが可哀想だ。目の前にいるのは自分なのに、彼女の脳内ではサンドウィッチが燦然と輝いている。おい、ガトーショコラよ、私が貴様を食してやろうか。その方が貴様も幸せだろう。

 だが、サンドウィッチに罪はない。非リア男の空腹を手軽に満たしてくれるサンドウィッチがあれば、女性の惚気話を引き出すサンドウィッチもあるのだ。もちろん、それぞれのサンドウィッチが担う役割は変わらない。人に食べられる、ただそれだけ。置かれた場所が違ったのだ。私が食べたものも、根暗さんがデートで持ち歩いたものも、同じ使命を全うした。ただ、食後の結末のみが分岐してしまったのである。

 そう考えると、私に貪られたサンドウィッチも可哀想だ。散歩デートに付き添った同類の話を聞きながら、誕生後すぐにむさ苦しい男の胃袋へ直行したのだから。さぞかし己の運命を悔いたことだろう。すまぬ、私のサンドウィッチ。生まれ変わったら根暗さんの所へ行きたまえ。

 拝啓サンドウィッチ伯爵。さぞかし驚かれたことかと思うが、現世では今、サンドウィッチがこんな感じだ。どうか私の胃袋で既に溶けてしまった彼を、次は根暗さんの元へ転生させてやってほしい。あなたにそんな能力があるか分かりませんが。

 とにもかくにも我々は惑わされた。彼女の饒舌に私は呆れ、彼女の無視にガトーショコラは悲しみ、彼女の幸せにサンドウィッチは嫉妬する。振り回されて仕方ないのだ。根暗さんという悪魔に。根暗さんというキャッチーな呼び名は改めた方が身のためかもしれない。悪魔さん、いやサタンとかの方が良いだろう。

 ふと目をやると、メガネ君はパンケーキにかかっていたメープルだけが残ってるお皿を、無表情で見つめていた。


「おい、早くガトーショコラを食べるんだ。もう帰るぞ。すまぬなメガネ君、待たせてしまって」

メガネ君
「大丈夫だよ。でも、そろそろ帰ろうか」

サタン
「そうだねー。あ、そういえば実家から林檎が送られてきたんだけど、欲しければ後で渡しにいこうか?」


「もちろんだ。ありがたく頂戴する」

 ガトーショコラ、サンドウィッチ、そして私の感情。数々の屍を超えて、サタンから林檎が一つもたらされた。一瞬、毒林檎の可能性を危惧したが、さすがの彼女もそこまで悪に染まっていない。真っ赤で艶のある素敵な林檎をくれた。

 さて、この林檎をどうしてくれようか……。無味乾燥に生きている読者諸君ならば、剥いて食べることぐらいしか考えないだろう。しかし、私は燃えていた。憎むべきサタンに幸せを見せつけられた雪辱を果たすことに。メラメラと。
 臥薪嘗胆を解放する時は、今だ。ガトーショコラ、サンドウィッチ、お前らの死は決して無駄にしない。


「アップルパイだぁ!!!!」

 こうして弔い合戦の火蓋は切って落とされた。幸せには、さらに大きな幸せをぶつけてやればいい。サタンの林檎を、アップルパイという大きな幸福にして打ち返してやろうではないか。幸福の意趣返しに降伏させてくれる。その時は、彼女の前で堂々と勝ち鬨を上げて叫びたい。私が作る幸せはこんなにも偉大なのだと。

 それでは、これより戦闘体勢を整える。まずはパイの準備。これは造作もない。パイシートを買ってきた。
 第二段階はカスタード。薄力粉、卵、砂糖、牛乳とバニラエッセンスを混ぜてフライパンで温めるのみ。すぐに終わる。
 お次はメイン、林檎の用意。薄く切ってバターと一緒に温めた。温め終わったものを少し食べる。美味しかったのでさらに食べる。足りなくなったので林檎を買い足し、また同じ工程を繰り返した。阿呆ではない。林檎とバターの香ばしい匂いに勝てるやつなどいないのだ。ちなみにカスタードもスプーンで掬ってしっかり舐めた。
 そして仕上げに入る。これまで作り上げた材料を組み合わせ、オーブンで焼く。待っている間は瞑想でもしておこう。サタンを倒すべく精神を磨いておくのである。抜かりなくて逆に自分が怖い。

 30分後、ついに完成した。我ながら誇るべき出来栄えになった。サタンを打ち倒す大団円がはっきりと目に浮かぶ。笑いが込み上げて抑えきれない。是非、サタンの口から聞きたいものだ。私がいくら幸せでも、あなたの幸せには及ばないと。

私より創生されしアップルパイ


──いざ、出陣じゃあ!!!!

 完成した次の日、早速サタン討伐に向かった。無敵のアイテムを手にした私は、二度とあのニヤニヤに苛まれることもない。


「いただいた林檎をアップルパイに錬金術したぞ。是非とも食べてくれたまえ」

サタン
「私の林檎……。こんなに綺麗になって。美味しそう、ありがとう! 」


「ん? あ、うん。どういたしまして……」

 願っていた反応とは違った。私より生み出された幸せにひれ伏し、さめざめと涙を流すサタンは何処へ行ったのだろうか。勢いよく飛び込んだものの、敵がこうも素直に褒めてくれるとやりようがない。アップルパイを食した彼女はこう言った。

根暗さん
「美味しいなぁ。このアップルパイを生き甲斐に明日頑張る」

 サタン改め根暗さんに伏して謝りたい。まさか生き甲斐にまでなるとは。恨みを込めた意趣返しの一撃が、優しさでひっくり返されたのだ。臨戦態勢は簡単に解かれる。
 そして何よりアップルパイにお詫び申し上げたい。私は彼を復讐のための道具として使った。オーブンの高熱に耐えた末にようやく降臨した彼を、私利私欲の闇に染めたのだ。
 だというのに、食べられる前に肩透かしを食わされ、さぞかし困惑したことだろう。話と違うではないですか、と。どうやら、またしても根暗さんによる犠牲者を増やしてしまったようだ。

 振り返ってみると、私の方が悪役的思考だったような気もする。恨み骨髄に徹する正義のヒーローなどいるはずない。

 唯一の収穫は、ガトーショコラと悲しみを分かち合い、サンドウィッチとこの世の無情を嘆き、アップルパイと復習に失敗した男は、世界で私だけということである。我々はひと時、打倒根暗さんを掲げて確かに気持ちを同じにしていた。あの結束は未来永劫忘れないだろう。
 ちなみに、メガネ君にもアップルパイをお裾分けした。

メガネ君
「いやぁ見事。器用ですなぁ」

 素直に嬉しい。私は幸せになった。脳裏には、かつての同胞であるガトーショコラ、サンドウィッチ、アップルパイがよぎる。悪いな、お前たち。私は少し先に進む。読者諸君、私は学んだよ、幸せとは屍の上に成り立つものだと。

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