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Photo by
akiyamahiroki
花火の思い出がない
今日見に行ったのにいったい何故か、それには理由がある。
まず僕は写真を撮らない。見るのは好きだけど撮るのはあまり好きではない。写真を撮るよりも、今しかない瞬間を100%感じていたい。また技術もないので写真に残したいことが表現しきれないので諦めている部分もある。
そんな中、今日1枚だけ写真を撮った。あまりきれいな写真でなく申し訳ないが、これだ。
花火を2人で見に行った帰り、電車を降りたら出口とは逆の方向におもむろに誘導されて椅子に座らされた。そして彼女がポーチから取り出したのは2枚の絆創膏。自らしゃがんで靴擦れしていた自分の足に貼ってくれた。これ、感動しない人いるの?最寄りの駅に着いて彼女と別れたところでこの日唯一の写真を撮った。
花火の思い出がない理由はもうひとつある。熱心に花火を見ていた自分。いまの瞬間を100%感じたいってやつ。花火のプログラムも中盤に差し掛かった頃であろうか、彼女が寄りかかってきた。完全な不意打ちだった自分は平穏を装いながらも内心ドキドキしていて、それ以降の花火の色も形も頭に入らなかった。彼女には妙な行動力がある、ある占いでそう書かれていたことだったが「これか!」と思い知らされながら意識は彼女の方へと奪われた。
花火を見に行ったはずの今日だが、空に打ち上がった大玉級が放つ鼓動以上に僕は彼女の行動に衝撃を覚え、見事に思い出が彼女一色に塗り替えられた。
今度写真を1枚でも撮ることがあれば、そこに写る被写体は自分の足ではなく、彼女であり、また彼女の人柄が描写できるよう写真の技術とそれを言い出す勇気を持ちたい。
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