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旅のような1日

一、 チャイ屋のおやじ

 おやじとは二日前からの付き合いだ。朝飯はここで食うと決めている。今日はお別れの時。少し早いが店はやっているだろうか。俺はバスの来ないバス停を見捨てて、おやじに会いに行った。おやじの店はバス停から二分、沐浴場となっている砂浜を過ぎたあたりにある。おやじの店は開いていた。まだ四時前だというのに。俺が行くとおやじはにこっとして、コーヒーを作ってくれた。台の上を見たが、今日はまだあのおやきのような食べ物は出来ていない。俺はビスケット一枚とコーヒーの朝飯を済ませ、おやじの笑顔に見送られて、四時にバスが来るというバス停へ向かった。それにしても、おやじは毎日、こんな早くから店を開いているのだろうか。寺の参拝が始まる少し前の時間の空は当然まだ暗かった。

二、 窓から見るインド

 四大巡礼地のひとつ、ラーメシュワラムを後にした俺は、いまバスに乗っている。バスは「街」と「街の間」を通り過ぎていく。窓から見ておもしろいのはもちろん街だ。少し眠ったので、いまはもう七時、街はとっくに起きている。生活を垣間見ながらの旅。これもまた楽しいものである。バスのシートが硬いのは困りものだが。

三、 ウォーターパーク(前編)

朝の九時にはマドゥライに着いた。残り半月を過ぎ、予定が詰まっているためにここには泊まらず、有名な寺とガンディ博物館を見に行く予定だった。だが、バスを降りて二分で、俺の予定はどこかへ飛んで行った。マダルのリキシャーに乗ってしまったから。マダルは二十二歳らしいがおっさんだ。とても年下には見えない。バススタンドで荷物を預けたかったのだが、安ホテルに部屋を取ってそこに置けばいいと、リキシャーを走らせる。今日は時間に余裕がないのだからまかせてみるのもありか。リキシャーは宿に着き、荷物を降ろして、ポンガルとチャイの朝飯を食ってから、マダルに「観光」へ連れて行ってもらうことにした。
 
 マダルはさっそくインド人らしさを発揮する。走り出したリキシャーは五分もしないうちに止まり、マダルの家の近くへ。お兄さんを紹介され、マダルは、「エーク セカンド」と言い残して、家に入ってしまった。きっと、朝飯を食いに行ったか何かだろう。一秒はもちろん無理で、十分後くらいに戻ってくると、お兄さんのリキシャーの後を付いていく。どうなるのだろう。なにか違和感を覚えながら、河原を走るリキシャーに乗っていると、またしても三分で止まった。今度はリキシャーの修理工場でお兄さんのリキシャーの修理だ。整備士と共に二人はリキシャーをいじる。俺があげた煙草を吸いながら。
 
 十五分程して修理が終わったらしく、マダルが戻ってきた。何か英語で話しているが、俺は英語が苦手だし、マダルの英語もなかなかあやしい。「スリーパーソン」、「マイブラザー」、「リキシャーチェンジ」、「ウォーターパーク」という単語を拾い、俺は勝手に想像した。これは、お兄さんのリキシャーに他の二人の見知らぬ客と乗って、ウォーターパークに連れて行く気だな、と。いわゆる乗り合いだ。別に安く済ませられるのなら、それもありだと思った。ウォーターパークって何だろうか。聞いてみると「ウォール」などがある場所だということだけは分かった。自然公園だと思った俺は、マダルの提案に乗ることにした。
 
 その結果が、あれだ。

四、 ウォーターパーク(中編)

リキシャーは一度、マダルの家まで戻っていった。お兄さんのリキシャーも一緒だ。お兄さんはこちらのリキシャーに乗ってきた。三人とは、俺、マダル、お兄さんだったのか。だが、俺は驚かない。なんせ、ここはインドなのだから。さあ、よく分からないけど、今日はマダルにまかせて、ウォーターパークとガンジー博物館へ行き、ホテルで降ろしてもらってから、寺をゆっくりと見よう。夜は長距離バスまで送ってくれるらしいし、その前にビールを飲もうと言っていた。まあ、良いことづくめだ。お兄さんが乗っていることくらい何でもない。お兄さんは四十四歳だ。

 リキシャーはウォーターパークへ行く前に一度チャイ屋へ寄って一休み。これももう驚かない。むしろ、歓迎だ。チャイを飲んで、俺の煙草を吸って、さあ出発の前に、立ちはだかる黒帽、黒サンの怪しいおっさん。どうやら煙草が欲しいらしい。久々に俺の前に現れた煙草物乞いだが、マダルとお兄さんに促されて、おっさんを無視してリキシャーへ乗り込む。目的地はもうすぐだ。

 駐車場に到着すると、目の前にウォーターパークの門があった。動物の像が立っていて、いかにも自然公園らしい。ただし、「ナショナル」とも、「ナチュラル」とも書かれてはいない。まあ、ここは予定には入ってなかった余計のところだし、そう期待せずに見て歩こう。三人のおっさんがいま、門をくぐる。

五、ウォーターパーク(後編)

中に入ると、すぐに異変に気付いた。なんだ、プールか。もうぶっ飛びすぎていて、どうでもよくなった。3人分の料金を払って、2人のおっさんと一緒に入場。受付で水着代わりの短パンを買い、更衣室で着替えていざプールへ。プールは日本とさほど変わらないように思う。マダルとお兄さんは浮き輪を取りに行ったので一緒に付いていった。浮き輪を持って向かった先は子供用滑り台。だが、角度が急で、油断していたのでバーから手を離してしまい肘を打った。マダルは両肘を擦りむいて笑っている。

少し浮き輪で浮かんでから、ウォータースライダーへ。マットのやつは日本ではないかな。うつ伏せでマットの先を持って突っ込むなんてのは。浮き輪のスライダーは危なっなしかった。横から飛び出しそうで冷や冷やした。その後、波のプールが稼働する時間になったのでそちらに移動した。今日はあまり込んでいないからなのか、いつもそうなのかは知らないが、ウォータースライダーを止めて波のプール、波のプールを止めたら滝のプールというように動いているものにみんなで集まる感じだった。波のプールは波が雑だったが、インドの人たちはみんなで騒いでお祭り気分。

その次は曲芸のショーで、中国人もまじっていた。逞しいな。昼はご飯と梅干しのようなアチャールとローティカレー。それからまた移動して遊園地エリアでスプッシュマウンテン。時計を見たら3時半。ガンジーは遠いらしいのでもう断念した。そこから3人でバーへ行ってビールを飲んで帰路についた。

六、 親切な人たち

マダルは結局送ってくれなかったので、マドゥライのミーナクシテンプルを見た後、街中のレストランで夕飯を食べ、チェックアウトして自分でリキシャーを拾ってバススタンドまで行った。バススタンドといっても、スタンドがあるわけでなく、道にバスが来るらしい。リキシャーのおっさんもそれを心配してくれて、だいたいの場所にリキシャーを止めると、近くの屋台にいたおっさんにバス会社へ連絡するように頼んでいってくれた。屋台のそばで煙草をふかしていると、すぐ後ろの建物の警備のおじさん、と他三人の警備でないおじさんがこっちへ来いと言ってくれ、椅子に座らせてくれた。これだけでも助かったが、コーヒーまで買ってきてくれるらしい。細かいお札はなかったので、百ルピーを預けた。三人のおじさんに話しかけられたり、三人の会話(言葉はわからない)を聞いたりして十分たち、おじさんがチャイを四人分を買って戻ってきた。それでこそインド人。一杯はさっきの屋台のおっさんが飲んだので、買ってきたおじさんの分がないが、いいのか。そう思いながらもチャイをすする。おっさんが電話してくれて、バスドライバーの携帯の番号もわかり、これで一安心。だが、バスは来ない。その間、二、三回おじさんが連絡してくれたし(おっさんはおじさんに後を託して帰っていった)、一人のおじさんは道路をバスが通るたびに止めようとしてくれ、一人のおじさんは道路わきに椅子を持って行って見ていてくれた。おれはそれに感謝しながら、星を見ながら、そばの犬と一緒に蚊に刺されたところを掻きながら、煙草を吸っていた。三十分遅れてそれらしいバスが通り過ぎ、道の少し先に止まった。一人のおじさんは足早に確認しに行ってくれ、一人のおじさんは運転手に連絡してくれ、バスに乗ることができた。こうして、旅らしい(?)一日は終わりに近づいた。

七、 続インドの車窓

バスは寝台車、上下ふたつの寝台が左右に八個くらいあって、カーテンで閉めれるようになっていた。窓を少し開け、外の風を受けながら、空と木々を眺め、過ぎ去りし日々を思い返した。今日は充実していたなと考えながら、しばらくうとうとし、そして、眠りに落ちていった。

 朝起きると、チェンナイに入るところだった。地図を見て道を確認し、思ったより早いと考えつつ、そわそわと到着を待った。チェンナイはごちゃごちゃしていた。  (旅のような一日、完。)

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