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論語とBAR #バーテンダーとの思い出

 私は二年程前にインド旅行へ行ったが、その時に孔子の書いた『論語』という本を持っていった。なぜならあの人が薦めてくれたから。これはいつかは書いてみたいと思っていた【後悔】の物語である。

 初めて会ったのはあの人がbarで働き三年目、私がここに通い始めてから二年目のことであった。いままで月曜は来てなかったので会わなかったようだ。あの人は私より二つ程年上だったが、一つの大学を卒業してから、他に入り直していたので当時は大学生だった。黒髪で落ち着いた雰囲気。静かな感じだが暗くはなく、控え目に笑う女性というのが私の持つ、barのカウンターのなかに立つあの人のイメージであった。私は半年ほど月曜日の常連になった。

 barに行くと毎回、「いまは何を読んでますか。」とあの人は聞いてくれた。私には本の話をする友達がいなかったので、それはすごく新鮮で楽しいことだった。私が読んでいる本の話をするとあの笑顔で聞いてくれる。当然、私の読書熱はさらに上がっていた。「本当によく読書してますね。」とも。たとえお世辞であっても、私は嬉しかった。

 また、「ギムレットには早すぎる。」という台詞を初めて聞いたのもbarで飲んでいる時だった。あの人が他のお客さんから教えて貰ったと言って教えてくれた。そう、ハードボイルド小説で有名なレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』のなかに出てくる台詞である。その日の最後の一杯はギムレットを飲んだ気がする。私はチャンドラーの小説は読んだことがなかった。だから、ギムレットの台詞がどの小説のものかも知らない。ネットで調べれば分かることなのだが、なぜか私は出版された順にチャンドラーを読むことにした。チャンドラーの小説にはbarがよく出てくる。描写も頭に浮かびやすい文章なのでとても楽しく読んだ。私はあの頃、仕事を辞めてインドに行くことを決めていた。あの人に旅行に持っていく本の相談もし、その日に『論語』が話題に出ていたので、『論語』を持っていくことになった。

 大学を卒業するので、あの人が三月でbarを辞めることを聞いたのは私が旅に出る半月前くらいだった。しかも、私は当初は六ヶ月間インドにいる予定でいたので、帰って来たときにはもうあの人はいない。大学を卒業して地元で就職するのだから仕方がないことだが、旅の話もしたかった。最後に会ったのは、私が旅に出発する二日前にあったbarの十周年記念パーティーでのことだった。あの人もカウンターに立っていて、忙しく働いていたが少し話も出来た。私の隣には関西出身の人が座っていて、面白いことを言って皆で笑っていたときに、あの人と目が合った。それは幸福な時間だった。そして、あの人が先に上がって帰るとき、前に読んでみたいと言ってくれたので、私は自分で書いた拙い三百字小説を渡した。「旅行楽しんできて下さいね。」とあの人は言った。

 私はインドへ行った。しかし、ビザの注意書きを見逃していたために、三ヶ月で帰ってくる羽目になった。それでも、その三ヶ月は全力で楽しんだ。特に、『論語』のなかに次の言葉を見つけてからは、それが心の支えになった。

巻第四 述而第七 三六
子の曰わく、君子は坦かに蕩蕩たり。小人は長えに戚戚たり。

 「君子はいつも穏やかであるが、小人はずっとくよくよしている。」という意味だ。くよくよしてはいけない。旅でつらいことや不安にあうと、私はいつも自分に言い聞かせていた。

 二月に旅から帰って、一ヶ月あったのに私はあの人に会いに行かなかった。それは自分なりにカッコつけて出発したために、中途で戻ってきたことが恥ずかしかったからである。もし行っていれば、きっとあの人は笑顔で旅の話を聞いてくれただろう。結局、私は論語のあの言葉をいかせなかったのだ。私はbarへ行って飲んでいると、いまもまだ、カウンターのなかにあの人がいないかと探してしまう。

(1598字)



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