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プリーの夕日~森戸海岸にて~

《海というのは暖かいという先入観により、軽はずみで出掛けて来てみたが、本州の冬はどこへ行ってもそれなりに寒いものである。いま海岸にいて、眼前に広がる海の波音と、隣に建っている神社から時折聞こえてくる鐘の音を聞くとはなしに聞いている。冷たい風と、頼りない太陽のもと、私は日の入りの刻を待つ。

 ふと考えたのだが、神聖な場所に鐘の音が付き物なのは何故だろうか。教会にも鐘はある。神社にもお寺にも鐘はある。それは、誰もが手軽に鳴らすことが出来るからであろうか。はたまた銅を売るのセールスマンがやり手であったのだろうか。その辺は定かではないが、鐘の音は世界共通の祈りである。

 雨の降る気配がないことが、私を安心させるが、一人でベンチに佇む私はとにかく寂しい。たまに通る複数形の人たちも、その気持ちを強めることを手伝っているように感じられる。こうなることが分かっていながら、どうして来たのかと問われれば、ただ夕日が見たいがためである。ここ、森戸海岸のきれいな夕日を。真っ赤な海岸を見たかったのだ。何故夕日が見たいのかと問われても、特に答える言葉はない。》

 普段、夕日などなかなか見れない。かといって、夕日は見ようと思って見るものでもないとも思っていた。偶然に見るものだと。ただ、ある日、その私の考えに疑義を挟む夕日があった。インドの東、プリーの海岸でのことである。

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 プリーはインド一周の旅行も残りひと月を切った一月の中旬頃に寄った場所である。大きな寺院と海岸くらいしか見るものもない、ありきたりな街であったが、「日本人宿」と呼ばれているゲストハウスがあり、そこにはたくさんの日本語の本が置いてあるということをガイドブックで見て、私は行ってみることにした。宿に着き、チェックインを済ませると、特にやることのない私は、海を見るために外へ出た。夕飯の時間は決まっていて、食堂で宿泊客皆で食べることになっていたので、それまでには帰ることにした。だが、初めての所なので、道は分からない。住宅街の生活のなかを突っ切って、漸くビーチへと着いた。そこはものすごく雑然としていた。砂の上に船が並び、木の棒や海草がそこら中に落ちている。観光客の姿もとくに見えない。ここであっているのだろうか。私は宿の人に日本語で聞いてから出て来ればよかったかなと少し後悔しながらも、海岸を歩いていた。すると、男の人に声をかけられた。少し警戒するものの、やることもなく暇であった矢先だったので、家に連れて行ってくれるという彼の後について行った。これが私の不幸の始まりであった。

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 ということは、幸か不幸か全然なかった。ただ家に着いて行って、家族に紹介され、椅子に座らせてテレビを見せられたのだが、全く何故連れて来られたのかも分からず、居づらかったので、海が見たいと家から出してもらった。その後もバイクで何処かへ連れて行ってくれるようなことを言っていたのだが、あいにく夕飯の時間まではそう長くなかったので、私はそのお誘いは辞退して、ローカルな海岸の先の、きれいな海岸まで案内してもらった。

 何となく気まずい思いをしたが、まあ仕方がないと海岸を歩く。ちょうど夕日が奇麗に見えていた。海岸全体を赤く染める強い夕日。言葉では言い表せないとはこの事をいうのだと私は思う。海の家と、疎らな人と、犬とともに、その時間にその場所にいられたことに私は感謝の念すら覚えた。写真を撮ることさえもったいなく感じる夕日を見つめ、明日もまた来よう。そう考えながら砂浜を歩いていると、海の家の人に呼び止められる。そこでチャイを飲み、大きなお金しか持っていなかったためにお釣りがもらえず、明日渡すと言われてその日は宿に戻った。

《 と書いている間にも一時間が経ったので、一服してきた。女性二人が写真を撮りながら笑い合っている。それにしても寒い。そして、空を見上げる。雲が多く、夕日が見えないかもしれないという不安材料に戸惑う。あと一時間と少しできれいな夕日が見られると思っていたのだがどうか。さっきから、やたらとヘリコプターが飛んでいる。》  

 宿に戻って一服すると、夕飯が出来たと呼ばれたので食堂に行く。十人はいただろう宿泊客はほとんど日本人だった。人見知りな私は逆に緊張しながら席につく。まわりでは、いつここを発つ、どこへ行く、インドの飯は飽きたなどと話していた。目の前の席に少し年上の男の人が座った。四人で一つのテーブルなので、自然と話に加わる。男の人は割と短い期間の旅行らしい。残りをどこに行くか考えているから良いところがあれば教えて欲しいと言われたが、私は咄嗟に酒の飲めるゴアをあげてしまった。男の人が求めているものはそれではなかっただろうなといまになってみれば分かる。彼はプリーの火葬場のことを教えてくれた。何でも、布に包まれただけのご遺体が目の前で灰になっていくのを眺められるらしい。歩いていれば見つかると言っていたので、見つけたら少し覗いてみようと思った。

 私はインドにいる間、一度しかドミトリーには泊まらなかった。人見知りな私には、安いが一人になれないドミトリーは性に合わない。そんな私は、ここでも居づらさを感じた。私は本を借りてきて、部屋に閉じこもった。確かに、このゲストハウスの本棚にはたくさんの日本語の本が並んでいた。「深夜特急」や「ガンジス河でバタフライ」などの旅行記から、又吉直樹の「火花」など比較的新しいものもあった。私はその中から、安部公房の「密会」、と三島由紀夫の「永すぎた春」の二冊、それと漫画の「バーテンダー」を借りた。部屋でベッドに寝転び、日記を軽くつけてから、その本を眠くなるまで読んでいた。

 朝、目が覚めると朝食の時間が近づいていた。身支度を整え、朝食を食べた後、あの海岸へと向かう。海岸はもうとっくに起きていて、あの海の家も開いていた。お釣りを返してもらってから、チャイを飲む。煙草を吸っていると、フランスから来た男性に声をかけられた。海パン姿の男性は陽気に海の家の人と英語で話していた。チャイを飲み終え、腰を上げる。有名な寺院は一応見ておこうと。ついでに火葬場を見つけたら入ってみよう。

 長い海岸の前の道を歩いていくと、向かいの通りに煙りが上がっている場所があった。さっそく火葬場を見つけた私は、少し中を伺ってから入って行った。確かに、そこでは野外で火葬が行われていた。目の前の火のなかからは足が見える。うろうろする訳にもいかず、端によって静かに眺めているとインド人のグループに声をかけられた。咄嗟に、観光客かと聞いてしまったが、どう考えても遺族だった。日本でもこういう風に火葬するのかと聞かれたので、火葬はするが外ではないと説明する。その後、もう少し眺めていると、ここから出ようと声をかけられ、海岸の入り口まで一緒に行った。遺族としては、赤の他人である観光客に眺められているのは良い気分ではなかったのだろうといま振り返ってみて思う。彼らとは別れて、寺院を探すためにまた歩く。

 寺院は少し迷いながらも見つけた。だが、中には入れない。ヒンドゥー教徒しか入れないことはガイドブックを見て知っていた。せめてお祈りだけでもと、寺院の周りについている礼拝所に足を踏み入れた途端、そこにいた老人に凄い剣幕で怒られた。土足で入ってはいけなかったのだ。気が緩んでいたとはいえ、迂闊だったと反省し、私は老人に謝ってそこを去った。まあ、外に一足も靴がなかったので、やむを得まい。自分にそう言い聞かせながら、露店を覗き覗き歩く。

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遅い昼をあの海の家へ行ってライスと焼いたツナを食べた。そして、煙草を吸い、海の家の人と話しながら時間を潰していると、あの時間になった。私は真っ赤な海岸を歩いていた。途中で、スナックを買って食べた。数匹の犬が寄ってくる。牛に残り物をあげる感覚でスナックを落とすと、あっと言う間に食べ終わり、もっと欲しいとせがまれる。あれには困ってしまったが、スナック売りのおやじに追っ払ってもらい事なきを得た。それから、赤い砂浜に座って雰囲気に浸っていると、地元のお兄さんが隣に来た。少し話をして、会った記念にお札が欲しいと言われた。あの夕焼けのなかでなかったら断ったかもしれないが、私はあのなかにいたので、千円をあげた。お兄さんからはブレスレットをもらった。海岸は段々暗くなってきた。ただまだ少し赤く、ここを去るのは心が引けたが、夕飯の時間も迫っている。私は海の家に寄って挨拶を交わした後、宿に向かった。宿へと戻る道すがら、私はお祈りの声を聞いた。目の前に寺院があったので、もちろんなかへと入る。入口を入ると、絨毯や椅子に腰掛けた人たちがお祈りを唱えていた。マイクが人へ人へとまわされていて、みんな楽しそうに単調なお祈りをカラオケでも歌うかのように唱えている。私は良いなと思った。私も絨毯の上に座り、夕飯の時間を気にしながらお祈りに耳を傾ける。「ハリークリシュナ、ハリー、ハリー」


 夕飯の少し辛いカレーを食べ、借りた本を読み終えて寝る。「永い春」は恋愛ものでさほど面白く感じなかったが、「密会」は不思議な話で内容は理解しきれなかったが、読み進めるのが楽しかった。

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次の日は少し離れたコナラクの海岸を見に行った。はじめはバスで行くつもりだったのだが、成り行きでオートリキシャーに乗っていくことにした。運転手のかけてくれたBGMを聞きながら、海に着く。海は期待していたほどきれいなものでもなかったが、寺院もいくつかまわれたので行った甲斐はあった。帰りもそのリキシャーに乗って帰り、ブッタガヤへ行くために宿を出る準備をした。夕飯も食べ、宿から出る前に宿泊客のお兄さんと話をした。彼は何度もインドに来ていて、今回は6カ月間まわるという。あと、食堂で一度同じ席に座った初老のおじさんに「またな」の声をかけてもらった。またな。良い言葉だ。リキシャーを拾って駅まで行き、そこからブバネシュワルへの列車に乗った。列車の扉は開いたままで、そこから、星と椰子の木を見た。

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 《余りにも曇っていたので、諦めかけていた夕日は今、オレンジ色の光を放っている。ただ、あの時のように海岸全体を赤く照らすものではなかった。夕日のは海の遠くの方に見える。その距離は、まるであの夕日の場所までの隔たりを表しているようだ。私はまたあの夕日が見たいと思った。いや違う。私は旅に出たいのだ。そう考えていた時、夕日を何かの鳥が横切るのを見た。沈み終わるまで見るのはなにか悲しい気がしたので、私は海に接する夕日に背を向け、砂浜を後にした。》

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