たった一本のサービスエース

これは、僕が監督をしていた高校女子バレーボール部のあるミドルブロッカーNさんのお話です。

この選手は中学校からバレーを始めた女の子です。身長は170cm弱ありましたが、決して器用ではなく、他の選手は小学生からバレーをしていましたので、そのことにコンプレックスを感じていました。ただ努力を惜しまない生徒で、熱血なお父さん、お母さんと中学校の時には部活以外にもママさんバレーなどに顔を出して、人一倍練習する選手でした。

彼女が高校2年生のときに、僕はバレー部の顧問になります。2012年の春です。2年生になるまで、スタメンにはなれず、スタメンの練習相手として反対側でミドルのポジションをしていましたが、ブロックもスパイクも基本的な考え方や、体の使い方がわかっておらず、あまり良いプレーはできていませんでした。

そもそも、僕が顧問になった時点では、チームは毎日同じ練習メニューで、集中力も足らず、中学校のバレーをそのまま高校でもやっているような、そんなチームではありました。一言でいうとチームとしての基礎がない、そういうチームでしたので、そういう意味ではNさんも他の選手と技術的、精神的な差はないと僕は思っていました。

6月になって新チームが始まったら、チームの基礎づくりを厳しくしようと態度を改めました。チームの目標は何なのか、練習にどのような気持ちで望むのか、どのような戦略を築くのか、そしてどんな選手を目指すのか。2年生にとっては残り1年しかありません。気の毒になる程、彼女たちの甘さを指摘し、厳しい言葉をかけ続けました。毎日のように誰かが涙を流していました。今思えば誰も辞めずについてきてくれたのが不思議でなりません。ついてきて当たり前という風に自分自身思い上がっていたような気もしますし、バレーボールを嫌いになった選手もいたかもしれません。今は反省しています。

夏休みが明ける頃までは基礎的な練習をしながら、練習中気づいたことをもとに、ひたすら心について話していたような気がします。返事や挨拶、表情について、一つ一つにきちんと意味を持たせなさいと口を酸っぱくして語り続けました。ただのお説教と言われればそれまでなのですが、どんなチームを目指すのか、どんな選手を目指すのか、勝利を目指す意味、自信を身につけるためには何をしなければならないか、目指すべき人物像を共有するために、選手同士でもミーティングをさせましたし、一人で考えさせましたし、沢山の会話をしました。

ただ練習メニューやアップ、トレーニングは全て一新し、チームの基礎的な戦略、基礎的な技術、フォームなどについては丁寧に指導しました。練習時間も伸ばしました。放課後の練習を1時間追加、毎日の朝練を追加、土日は基本1日練習。最大限に練習をしました。

さて、Nさんですが、不器用ながら非常に素直な選手で、練習に対して手を抜くことは一切なく、アップやトレーニングにも人一倍一生懸命取り組んでいました。もともと高さもありましたし、ブロックステップの足の運び、クイックの打ち方についても、個別に教えると少しずつできるようになっていきました。

彼女のように1年生の時に試合に出られなかった選手の方が、むしろ前向きに変化を受け入れていたような気もします。1年生も素直な子達で先輩以上に努力をしていましたので、全体の基礎的な技術は確実に向上していきました。

10人のチームにミドルブロッカーは2人でしたし、Nさんも試合にも出るようになりました。10月には近隣の8チームほどが参加する地区大会、11月には春高予選がありました。地区大会は優勝できませんでしたし、春高予選もシード校に負けました。チームとして納得のいく結果ではありませんでした。ただチームの土台は確実にできていると感じていました。Nさんにとっては、高校になってからはじめてのスタメンでしたが、本人の反省は今となってはわかりませんが、きちんとチームの中で役割を果たしていました。充分な出来だったと思います。

この後、もう一人のミドルが練習中に捻挫をしていしまいました。12月の練習試合で、相手校にNさんがずっと前衛をさせてもらえるよう頼みました。ローテーションをするのですが、サーブを打つときになったらまた前衛の一番左に戻り、サーブはリベロが打つという方法を取らせてもらいました。この時は、もともと経験の浅い選手でしたし、ちょうどいいと思っていました。

Nさん自身は調子も良く、Aクイックを相手コートに叩き込む場面もありました。僕ははっきりと成長を実感しましたし、本人もそうだったと思います。しかし、やはりずっと試合に出ていなければなりません。この日、膝を痛めてしまいます。半月板の損傷でした。結局その後、手術をすることになります。完治まで何ヶ月かかるかわかりません。取り返しのつかないケガでした。

明らかにオーバーワーク。僕の責任です。

お父さんはバレー部の父母会の会長をしてくれていました。平日だろうと、時間があれば仕事帰りに練習を見に来て見守ってくれていました。彼女はこの後3年生になるまでプレーはできませんでした。それでもお父さんは、普段の練習試合はもちろん他県での合宿にも全て来てくれましたし、厳しい言葉をかける僕の気持ちや、意図を理解してくれ、他の保護者の方たちにきちんとお話してくれていたのだと思います。叱ることばかりでしたが、保護者の方からやめてほしいというような声は一度も耳にしませんでした。きっとこのお父さんのおかげです。僕の考えの一番の理解者であってくれました。

チームはその後2年生も少しずつ僕の考えを理解してくれ始めました。1年生も大きく成長しはじめ、県内で一番一生懸命練習するチームになってきました。僕の考える一生懸命とは、誰よりも早く大きく声を出し、誰よりも早く大きく行動する、です。支えてくれる人のために最高に努力し、結果で恩返しをする。そういうチームに近づいていきました。たとえ自分の娘がプレーできなくても応援に来てくれる、Nさんのお父さんの姿は支えてくれる人そのものです。お父さんのために、そして自分のために歯を食いしばれる、お父さんの存在が彼女達を導いてくれたことは明らかです。

相変わらず厳しい言葉をかけ続けましたが、冬を乗り越え、いよいよNさんたちは3年生。引退予定のインターハイ予選は6月でした。新入生3人を加えて4月に一度ブロック大会の県予選があり、3回戦で敗退しましたが、このとき準優勝したチームを終盤まで苦しめる素晴らしいバレーを見せました。彼女たちも確実に自信を深めました。ミドルには153cmしかない元セッターの2年生を起用しました。相手のエースを一本ブロックで止めるなど十分Nさんの穴を埋めました。Nさんは、まだプレーできず、マネージャーとしてベンチで一生懸命声を出していました。

この大会のあとNさんは、少しずつ練習に参加しはじめます。とはいえ、ケガ明けでしたし、1年生にも170cmの大型選手が入ってくれましたので、ミドルはこの選手にします。最後の2ヶ月は練習試合をする内にあっという間に過ぎてしまいます。5月末に地区大会が開かれます。この地区大会は、僕の指導した中で、最強のチームが実現した大会となりました。

8チームほどの大会でしたが、県でベスト8のチームも参加します。簡単に優勝できるような大会ではありません。準決勝で、そのチームと対戦しますが、彼女達はそのチームを2セットとも15点に押さえて圧勝します。まさに圧倒的でした。練習の成果を最高の形で、見せてくれました。ちなみに僕はこの時大人気なく、些細なことで選手を叱った直後であったので、ほとんど指示らしい指示を出していません。恥ずかしい限りです。

決勝も圧倒的でした。最後の1点、決勝点を迎える直前にNさんに声をかけます。最後の1点は彼女のサーブだと予感がありました。彼女の顔を見て、予感は確信に変わります。試合に出ることができる喜びを抑えきれない、そんな笑顔でした。彼女にミスしても構わないから、全部の思いをボールに込めて思い切り打ちなさいと伝えます。

はい!

最高の返事でした。

メンバーチェンジ。。。仲間の祝福。。。ホイッスル。。。

そのあとは一瞬の出来事。彼女が打ったボールはとんでもない速さで飛んでいき、レシーブをはじきます。彼女は彼女自身の手で優勝を勝ち取りました。

感動という言葉を英語ではmovedと表現します。心が動かされ、震える瞬間、教師をしていてそういう瞬間というのを何度か経験しましたが、全て自分の予測を上回る生徒の成長を見たときです。この時もまさにそう。全く奇妙な感覚。震えてから今目の前で起きていることの意味に気づくのです。頭で理解してから震えるのではありません。あくまで、身体のリアクションの方が先なのです。そして、この快感は教師にとって、僕にとって何にも代えがたいものです。

Nさんはチームメイトに、保護者に、最高の笑顔で祝福され、大会は幕を閉じます。

Nさんは、どんな気持ちをボールに込めたのでしょう。お父さんと同様、彼女も僕のことをよく理解してくれていたと思います。叱ることもありましたが、彼女は叱られて泣いたことはありません。むしろ褒めたり、励ましたりしたときに涙を流していたような気がします。練習に一生懸命取り組む姿勢を、僕は信頼していましたし、彼女も僕の組んだ練習を楽しいと言ってくれていました。人よりも遅くバレーをはじめて自信が無さそうに見えることもありましたが、彼女の場合はその自信の無さを、悔しさとか前向きさとか、別の気持ちで塗り潰すことに成功していたような気がします。その結果が最後のサービスエースだったのだと思います。

最後の県大会も上手くいけば、話はきれいにまとまるのですが、残念ながら目標のベスト8に届きませんでした。僕も含めてはっきりと入込みすぎでした。相手チームをじっくり見る余裕を欠いていました。彼女達が1年間経験したのは文字通りの猛練習。限界を超えた練習でした。それでも練習後1時間以上残って自主練に励む生徒もいましたし、身体がボロボロになっても必死でボールを追いかける生徒ばかりでした。失いたくない、失敗したくない。そういう気持ちが強く出すぎた結果です。練習通りのプレーを出すことはできませんでした。監督の未熟さがありありと出た大会でした。。

僕も含めて本当の意味での自信をきっと身につけることができていなかったのでしょう。自信は二通りの方法で身に付けるものだと僕は信じています。一つは自分の努力を信じること。自分のやったことは自分には決して嘘はつけません。自分を信じるに足る努力が必要だと思います。もう一つは周囲の人を信じること。自分には素晴らしい仲間がいると信じること、そう信じられる仲間にお互いがなること。良い仲間を作るのは自分の態度です。だから結局は自分が何をするかが大切なのですが、まずは自分が最高の仲間と思ってもらえるように努力すべきでしょう。信頼できる自分がいる、信頼できる仲間がいる。どちらかでも充分です。おそらく信頼関係を充分に築けなかったことが敗因です。


この3年生は一番辛いことに耐えた学年です。誰も辞めることなく、苦しい練習を乗り越えました。身体能力抜群、負けず嫌いで意地っ張りのキャプテンでリベロのTさん。練習後、何度叱ったことかわかりません。それでもキャプテンとして、個性的なチームをよくまとめてくれました。地区大会優勝は彼女のおかげです。泣き虫でも情熱的なセッターのMさん。僕にとって歴代最高のセッターです。僕と一番会話をしたのが彼女だと思います。優しく、気配りができるミドルのAさん。厳しい言葉をかける僕に対しても常に優しく、素敵な笑顔を見せてくれました。この2人が一番遅くまで残って練習しました。最後まで自信が持てず、一番深くバレーについて悩んだレフトのOさん。それでも最後の大会では壁を乗り越えた姿をきちんと見せてくれました。マイペースで、小さな体を一生懸命使って、自分の技を追求したレフトのTさん。悩ませすぎて上手くいかないこともありましたが、チームで一番鋭いスパイクは、みなの自信にもなっていたはずです。ピンチサーバーとして、チームを精一杯盛り上げたレシーバーのYさん。負けず嫌いで、試合に出たらほぼ必ず強気のサーブで点を取ってくれました。バレーが大好きで、サーブカット、つなぎにパスでチームをしっかり支えてくれただったライトのTさん。後輩のために春高まで残ってくれました。それだけでもあなたの功績は充分です。自分の行動にきちんと誇りを持てる、そういう意味で一番立派な選手でした。

振り返れば負けず嫌いばかり。負けたくないという思い、強くなりたいという思いが、自然と共有できる。個性的で考え方はそれぞれかなり違ったでしょうが、その思いがきっとチームワークを生んでいたのだと思います。

奇跡のようなバランスで、奇跡のような道程で、それはどの学年も一緒ですが、バレーボールが生んだ彼女達だけの物語は、僕にとっても大切な宝物です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?