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続 排球狂騒物語 その1

さて、最初の卒業生であるHさんが引退した後のバレー部のお話です。

Hさんの次の学年には3人の生徒がいました。そしてその下の1年生は最初3人だったのですが、初心者の生徒は続かず夏休みに入る頃辞めてしまいました。つまりまた5人のチームのスタートです。

3年生のYさんはバレーを続ける選択をしてくれましたので、例によって11月の春高予選までは試合に出れました。チームの形はほとんど変わりませんでしたので、たしかこの直前の地区大会では優勝できたと思います。

2年生の紹介を。

身長175cmで、このときすでに優秀なアタッカーだったMさん。中学生のときに勧誘に行ってうちを選んでくれた最後の特待生でした。入学時はかなり線が細い子でしたが、1年間の筋トレで少しずつ筋力も伸びていました。もともと運動能力は非常に高い生徒で、目もよく、再現力が高いので他のスポーツをしても一流だったかもしれません。お手本を見せて少し練習すれば、細かい技術も吸収できる生徒でした。また素直で忠実に僕の言ったことをしようとする子でしたが、非常に負けず嫌いで先輩2人と同じくどんな時でも常に全力、体育だろうと授業だろうと一生懸命取り組みました。その辺りが彼女を大きく成長させているのだと思います。

彼女は特待生でもありましたし、身長も大きかったので入学した段階で、県で一番の選手になりなさいと目標を設定しました。彼女がどう感じたかはわかりませんが、充分実現可能な目標だったと思っていますし、実際に達成できたと僕は評価しています。高校卒業後は大学でバレーボールをすることを選び、インカレで準優勝。現在はプロのバレーボール選手として1年目から試合に出て活躍しています。

2人目はFさん。中学時代は厳しい先生の下、県大会でベスト4にもなったセッターでした。身長は152cmでしたが、フロアディフェンスはその分上手で地面すれすれのボールも上手にコントロールできる器用な選手でした。パスの精度も高く、入ったばかりでも先輩たちと難なくトスを合わせていました。ただいかんせん高さが無く、2年生になってからはリベロにポジションを変えました。本人は苦手意識を持っていたようですが、鉄壁のサーブカット、パス、トスでチームを支えました。

この子は中学時代の実績、経験もあり、自信家で社交家。誰が相手でも言いたいことを言える生徒で言葉を使ったコミュニケーションも得意。僕に対して直接自分の考え、気持ちをぶつけてくることもあり、そういう機会にたくさん色んな話もしました。Hさんに近い気質を持っていましたし、2年生になって、後輩の投票でキャプテンにもなっていました。ただ2年生の冬には僕がMさんをキャプテンに変えてしまいますが。この時は、悔しそうにあくまで自分がやりたいと僕に直訴してきました。彼女の強い思いを感じましたが、僕は決して感情的にキャプテンを変えたわけではありません。Mさんがキャプテンになることのメリットを説明して何とか納得してもらいました。表面上は納得してもなかなか気持ちの整理はむずかしかったと思います。辛い思いをさせました。彼女も現在教師となって活躍しています。MさんとFさんは全く物怖じせず試合でかなり自然に自分の力を出すことができる選手でした。

最後の1人はTさん。163cmのアタッカーでした。同級生でポジションも同じMさんと比べられる訳で、そういう意味で彼女が一番苦労したと思います。Hさんが引退してから、Mさんと2枚エースとなります。中学校では市内の予選を勝ち抜いて県大会には出場していました。あまり目立つ選手ではなかったのですが、トスが多少ずれても深いコースに長いスパイクをコンスタントに打つことができる選手でした。威力は物足りませんでしたが。

彼女は2人と少しキャラクターが違って自己主張をあまりせず、どちらかというと人に譲ってしまうタイプ。非常に大人しく、優しい生徒でした。ただ他人の評価や周囲の声を気にすることはあまりなく、マイペースにどんな状況でも、1人でもコツコツ努力ができる頑張り屋でした。ただ、当然スポーツ選手ですし、ずっとスタメン、しかもエースアタッカーでした。チームを盛り上げる大きな声を出すことや、強い気持ちをコートで表現すること、プレーについてきちんとチームメイトとコミュニケーションをとることも僕は要求しました。3年間で段々と言葉や表情、態度でチームメイトと深くコミュニケーションをとることができるようになりました。

技術的にも最初はパスに苦手意識を持っていましたが、練習を繰り返して徐々に成長し、チームの一員としてきちんとサーブカットもディグもできるようになりました。精神的にも技術的にも苦手なことを克服したという意味で、一番成長したのは彼女だったかもしれません。

少し話はずれますが、僕はバレーボールをしながら、苦手なことにチャレンジすることが大切だと思っています。むしろ苦手なことから逃げることを許しません。基礎練習は全ての選手に同じことをさせますし、精神的にも同様に自分の今までしなかったようなことをするように促しています。バレーの技術については、練習すればできないことは基本的には無いと思っています。それは心についても同じで、大きな声を出すことが苦手な人も繰り返してそれに慣れれば少しずつ変わっていきますし、自己主張の強い生徒も他の生徒の気持ちに目が向くようになっていきます。発展途上で、先生や親に見守られているうちにできるだけ苦手なことから逃げて欲しくないと思っています。

できるようになった上でどれかを選ぶのと、最初からできないのとでは大違いです。大人になるとは、自分がどんな人であるか、必要な資質を選んで身につけることだと思います。仕事ではつい〇〇してしまったという言い訳など通用しませんし、子どもができればすぐに誰かを育てる立場に変わります。仕事のため、子どものためならどんなこともできる人であってほしいと思うからです。

さて、紹介が長くなってしまいましたが、この3人のチームがスタートします。後輩は2人。1人はセッター、1人はやったこともないアタッカーをしてもらっていました。


僕がチームに関わるようになり2年が過ぎていました。僕の人となりも選手は理解してくれていましたし、先輩たちが目指す姿もはっきり示してくれていましたので、心について指導することはだんだん減っていました。僕が喋る必要もなく、当たり前のように声も出すし、高いモチベーションで集中して練習するチームがすでにできていました。はっきりと先輩たちのおかげです。その分自分の技術について深く追求しながら練習を重ねることができました。

2年生のうちは人数は少ない訳ですし、徹底的に基礎練習と筋トレ。優先順位はまずサーブカット。サーブカットが安定することでサイドアウト率が上がります。サイドアウト率をあげることが負ける確率をさげてくれるからです。

冬休みには合宿をして徹底的にサーブカットをしました。成功率をデータに取りながら、2泊3日同じ練習を朝から晩まで続けました。サーブをサーブカットしてセッターがあげたトスをそのまま打つだけの練習です。コートを半分に分け、左右交互にひたすらサーブカットからスパイクです。2分間で何本サーブカットに成功するかを競いました。たしか30本を目標にしたと思います。本数を目標にするとサーブ側もテキパキ行動する必要があります。最初は達成しませんでしたが、徐々にできるようになり、半分くらいは成功するようになりました。苦手なTさんも何度か成功することができました。難しいが達成できるという経験は成長にとって何より重要です。練習はすべて記録して毎日成功率80%を目標にし、夜に発表しました。

合宿では自炊です。昼の練習を4時頃に終わり、ご飯を作って食べて、7時頃から2時間ほど練習。そのあと、みんなで銭湯に行きます。帰りにみんなで美味しいつけ麺屋に行ったのはいい思い出です。

僕はサーブカットの次に重要なのが、ラリーをする能力だと思っています。相手のスパイクを自分でレシーブしてそのままバックアタックやレフト、ライト平行を打つ力です。全員が同じタイミングで2段でも平行トスを上げるよう練習を繰り返します。人数は少ないですし、夏にはビーチバレーの大会に出ました。2対2でラリーの練習をひたすらするのにうってつけですし、砂の上でのプレーは足腰の鍛錬、怪我予防にもなります。


夏休みには広島での大会があり、秋には練習試合の合宿。そして11月の大会までは3年生が出てくれました。Hさんも合格後は戻ってきてくれて大会に出ることができました。結果はMさんが怪我していたこともあり3回戦でシード校に負けます。

もはや5、6人で練習するのも慣れてきました。2年生のうちはメンバーも固まりませんし、普段はひたすら基礎練習をして、練習試合ではポジションも流動的に。なにせ、相手チームから選手を借りることも多かったので。ただ、15点以内、プッシュ2本、バックアタック2本など、少し細かい課題を設定してクリアできなければ罰ゲームと負荷をかけていました。レフト2人とセンターセッター、ライトのYさんを固定して、後1人、1年生のポジションは試合に出る人に合わせて変えます。1年生はまだまだ高さも決定力も足りませんでしたのでひたすらブロックに専念してもらっていました。ブロックステップが違うだけでミドルもライトもあまり必要な能力は変わりません。

Mさんたちが2年生のうちは一人一人の技術向上が最優先。もっと具体的にはサーブカット決定率とスパイク決定率をひたすら上げていきました。

さて、長くなりましたので続きはその2で。

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