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20240616学習ノート『三つのインタナショナルの歴史』第30章-2 ソヴェトはどうして一党独裁になったか

20240616
「ソヴェトの政治構造」

 ソヴェト社会主義共和国は、労働者と農民の社会主義国家であり、プロレタリアートの独裁、すなわち労働者の支配する国家である。ソヴェト政府の指導者は労働者階級だ。このことは1918年6月に採択された憲法に書かれた。ソヴェト国会の代議員として認められいているのは、労働者では2万5千人につき1人であるが、農民の場合は12万5千人につき1人だけである。この不平等な比率は1936年の憲法で削除され、ソ同盟は経済的・政治的利害が一致している3つの有効的諸階級、すなわち、労働者、農民、インテリゲンツィアでつくられ、階級のない社会へ向かって歩みを進めている。

 人民と政府の指導者は共産党である。党はプロレタリアートの前衛である。党を構成しているのは、献身的で精力的で疲れを知らない最も進んだ労働者階級がほとんどであるが、農民とインテリゲンツィアも含まれている。共産党は、その明敏さと不屈の闘志によって全国民に指導を与えている。そして、政府、軍隊、工業、農民、労働組合、学校、そのほかのすべての組織に基本的な支部を持っている。各支部は、人民の肉であり血であり、全大衆の心を燃え立たせ刺激している。この、政治上の力点において世界市場前代未聞の偉大なソヴェト共産党は、革命のずっと前からレーニンが始めた仕事の輝かしい結果である。

 共産主義者は、マルクスの「最終的には国家のない社会が来る」という原理、すなわち「プロレタリア革命のあとに国家は死滅する」という原理を常に主張してきた。しかし、ロシアの11月革命のあと、そのようなことは起こらなかった。その理由はこうである。ソヴェトは敵対的な資本主義に包囲されている。そのため、内外両面からの反革命勢力の侵入を撃退するための強大な軍事力を含めて、強大な国家機構を維持しなければならなかったからである。「国家の死滅」が起こるのは、資本主義の包囲が消滅した時に実現する。
 プロレタリアートの独裁は、資本主義国家とは異なる。ソヴェト政府の努力の目標は、一握りの搾取者の利益や複利ではなく、人民大衆の利益と複利を推し進めることである。プロレタリアートが戦うのは、国外からの力に対してである。国内では押さえつけるべき階級はなく、軍事力は国外に向けてだけ使われる。そのため、ソヴェト国家は科学的な行政を大々的に取り入れてきたのであり、これは資本主義国家には到底できないことである。

 ソ同盟の民主主義は、どんな資本主義国よりもはるかに高い水準を持っている。この事実は、あらゆる工業と国家資源の人民による所有、ソヴェト国家をつくる多数の諸民族に存する完全な政治的平等、男女の完全な平等、反ユダヤ人主義やその他の人種的・民族的排外主義は犯罪として罰せられること、高度な教育の機会均等、労働の権利や休息の権利などの基本的自由の確立、労働組合や協同組合など人民の大衆団体の政治参加、高度の人民の市民権、そのような根本的な民主主義的実現によって証明されている。1936年の憲法は世界でもずば抜けて民主的な憲法である。ソヴェト政府機構全体の基礎は、何千もの地方ソヴェトであり、人民の直接管理のもとに組織された単一の行政、立法、司法の各部門を統合した組織である。

 1932年にソヴェトを訪れた、イギリスのウェッブ夫妻がいる。夫妻は、長年にわたり日和見主義的なファビアン主義者であるが、1936年にはソヴェトの政治と民主主義の制度を分析してこう述べている。「こうした(仕事の)やり方には、個人の独裁は入り込む余地がない。個人の決定は信用されず、念入りにそれが防がれている」と。そして、政府については「我々は、ソヴェト政府は事実は独裁の正反対のものだったと考えざるを得ない。それは今までも、また今でも、多数の委員会制度による政治である。専制とか独裁とかいうことが、世論または私的会合のいずれかによって前もって討議を戦わすのを抜きにした政治という意味だとすれば、ソ同盟の政府は、その意味では、多くの議会制内閣よりも実際上もっとも非専制的であり、非独裁的である」と述べた。

 11月革命の際、ソヴェト政府の基礎は、共産党(ボリシェヴィキ)と左翼社会革命党(左翼エス・エル)との連合に置かれていた。そのほかにも、無政府主義、サンディカリズムなど、約19の諸党派の団体が存在した。そのためボリシェヴィキと左翼エス・エルの連合は不安定なものとなっており、1918年の半ばまでしか続かなかった。左翼エス・エルはブレスト=リトフスクの講和に反対し、ドイツとの戦争を続けようとした。そしてモスクワ駐在ドイツ大使のミルバッハを暗殺した。さらに、ボリシェヴィキの指導者に対しても暗殺計画を実行しようとした。すなわち、1918年8月30日、エス・エル党員ドラ・カプランが、モスクワでレーニンを狙撃して重傷を与えたのだ。この時から、ソヴェト政府は一党制度に向かうこととなった。
 ちなみに、カデット、メンシェヴィキ、右翼社会革命党(右翼エス・エル)は、11月革命の際ケレンスキー政府を守ろうとして反革命の立場をとり、その結果、法律で守られることはなくなった。

 十分な発展を遂げた社会主義国は、全人民の利益が根本的に調和しているものである。そのため、ただ一つの政党が存在すればよい。その政党とは共産党である。しかしながら、プロレタリア独裁の初期の段階である人民民主主義国では、共産党と共にいくつかの政党があるものである。
 資本主義諸国では、多数の政党が存在し闘争が行われているが、これはそれぞれの党派が他の党派を犠牲にして自分の特定の階級内利益を守るために戦っているに過ぎない。

 

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