20230507学習ノート『三つのインタナショナルの歴史』第4章-1
20230507
ウィリアム・Z・フォスター
『三つのインタナショナルの歴史』
【第4章 第1インタナショナルの創立(1864年)】
19世紀初め。
各国の労働者は国際的な団結が重要だと強く感じていた。貪欲な資本家に対抗するには、政治的にも経済的にも、国を超えた協力が必要だった。資本家は、利益追求のために国同士競争していても、労働者階級の要求に反対するためには強い国際的団結を見せていたからである。
[第1インタナショナルの先駆]
亡命者同盟(1834-1836)
正義者同盟(1836-1839)
共産主義者同盟(1847-1852)
これらは、組織の点でもメンバーの点でも国際主義的であり、この活動の中心はイギリスに置かれていた。
イギリスは、初期資本主義の中心地であり、最も大きく最も進んだ労働者階級を持っていた。そのため、国際的な団結を目指すプロレタリアートの活動もイギリスを舞台としていた。
1844年9月にロンドンで組織された「友愛民主主義者協会」は、イギリスの闘士とヨーロッパの亡命者グループによる、非常に重要な国際的組織であった。
その宣言は「地球とそれがうみだすすべての自然の生産物は、すべての人間の共有財産である」というものであった。第1インターナショナルの歴史家であるG・M・ステクロフによれば、「これをうごかしている思想の点からいえば、これこそ労働者階級の最初の国際的組織であり、この意味でインタナショナルの先駆者と考えていい」という。この組織で活動した重要な人物は、ジェームズ・ブロンデール・オブライエン、G・J・ハーニー、アーネスト・ジョーンズなど、チャーティズムの指導者たちであった。マルクスとエンゲルスも協力した。
友愛民主主義者協会は、ヨーロッパ大陸での労働者の戦いや革命的運動の発展に積極的に参加し、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ポーランド、スペインの各国に代表書記を設置し、第1インターナショナルへの道を開いた。
しかし、ヨーロッパの1848年革命後の反動の中で姿を消した。
1855年の終わり、ロンドンで「国際抵抗委員会」ができた。これは「国際委員会(国際協会)」ともいわれている。この組織でもチャーティストが主要人物であり、数か国に代表書記が設けられた。何度か集会が開かれ、ヨーロッパの暴虐な反動的風潮に対して抗議したが、1859年の終わりにはこの組織も消滅してしまった。
フランスにおいては、フランス大革命の時の共産主義者バブーフ、1830年や1848年の革命のときの革命運動に立ち上がった闘士たちなど、強い国際主義的伝統があった。フランスの作家であり社会主義者であったフロラ・トリスタンは、1843年に、幅広い国際的組織の設立を求めるパンフレットを作っている。
1856年4月には、フランス労働者の代表団がロンドンに渡り、ロンドンに「世界労働者連盟」を作るべきだと提案している。
以上のような国際的団体は、イギリスとアメリカ、さらに全世界にわたって、黒人奴隷制度廃止運動について積極的に支援した。チャーティストの労働組合運動家やオーウェン主義者が中心となり、イギリスとアメリカの奴隷制度廃止運動は硬く協力しあっていた。
1833年から1860年までの間に、英米間では多数の著名な奴隷制度廃止論者が行き来し、それぞれ闘争に活躍した。特にアメリカ南北戦争の前には、イギリスの労働組合運動家たちが繰り返しアメリカで奴隷制度反対のデモンストレーションを行った。
こうした奴隷制度廃止支持、平和維持の活動に対し、リンカーン大統領はマンチェスターの繊維労働者に充てて感謝の手紙を送っている。
「あなた方労働者が与えている支援は、崇高なキリスト教的英雄の行為の実例であって、どんな時代、どんな国においても、かつてこれにまさるものはなかった。」
マルクスは『ニューヨーク・トリビュン』でこのように述べた。「少なくともイギリスの労働者階級だけは一度も合衆国を見捨てたことがないということを、合衆国は決して忘れてはならない。」
アメリカ上院は1863年3月2日に、イギリス労働者の支援に対して感謝の決議を採択している。
資本主義は西ヨーロッパの至るところで急激に発展した。それに伴い労働者階級も、組織の面でも闘志の面でも急激に発展した。
1857年の大恐慌は、労働者に深刻な影響を与えた。
1860年、ロンドン労働組合評議会ができた。
1862年(1863年か)、ドイツでは全ドイツ労働者同盟ができた。
1863年以降はアメリカでも労働組合が急速に発展した。
このころは、イギリスでもアメリカでもほかの国々でも、強力なストライキが起きた。
またこの時期、ブルジョア民主主義的民族解放運動も大きな盛り上がりを見せた。
イギリスの抑圧者に向けられたアイルランド解放闘争。
ドイツ統一と民主化を求める大衆感情の再燃、。
オーストリアに対する1859年のイタリアの民族的革命戦争。
1863年のポーランドでの英雄的蜂起。
そして、アメリカ南北戦争。第1インタナショナルが創立されたのはこの戦争の最中であった。
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