#9 青い車

今回は1994年7月20日に発売されたスピッツの9thシングル『青い車』を見ていきたいと思います。


タイトル通りじゃないですが、車で海岸沿いをドライブしながら聴きたくなるような、アップテンポで爽やかな夏の曲という感じがします。

アルバムバージョンだとサビでハモりが効いていて、僕はどちらかというとアルバムバージョンの方が好きです。


ただ、曲調とは裏腹にポジティブな解釈はほとんどされていないのがこの曲です。
その解釈というのもだいたい決まっていて、「心中」。

なぜこんな受け取り方をされているのか?

それは歌詞を見れば明らかです。


特に「ん?」と思ってほしいのがサビの部分。

もう何も恐れないよ

「君と車で海に行く」ことのどこに恐れる要素があるのでしょうか?

サビにはほかにも“輪廻の果て”、“飛び降りる”、“落ちていく”などなど、明るい曲調にそぐわない不吉なワードがあふれています。

どうやら海へは泳ぎに行ったり景色を見に行ったりするわけではなさそうです。



2番に入ると物事を俯瞰で見て悲観的になっているような言い方が目立つようになります。

中でも、

愛で汚された ちゃちな飾りほど
美しく見える光

というフレーズがグサッときます。


「生きている」というのは人間も草木も火も水も同じだけれど、「生きているってすばらしい!」みたいな考え方をするのは人間だけ。

なぜなら、人と人との間には愛が存在するから。
それが人生を美しく彩ってくれる。


こんな考え方をバカバカしいと一蹴して、僕は”変わろう”としています。



ここで思い出してほしいのが、”僕”がここに来たのは初めてではないということ。

サビで何度も歌っているように、

おいてきた何かを見に行こう

なのです。

”僕”は以前ここに何かを置いてきてしまって、それを取り戻すために再びここにやってきたのです。


さらに戻って最初のところ。

こういうのはだいたい“僕”目線で話が進んでいくものです。

で、こういうときは”僕”が何をしたか、何をされたかというところに注目がいくものですが、この曲で最初にスポットライトが当たっているのは“僕の手”。

“僕の手”が君の首筋に咬みついたところが物語の始まりなんです。



僕が出した結論は単なる心中ではありません。


今度こそ心中を成功させようという歌」というのが、僕の解釈です。


おそらく以前この海に2人で心中しに来たとき、“君”はかなり拒んだのでしょう。

そこで「”君”は“僕”と一緒にいることよりも生きることに執着している」と気付いた“僕”は、こう考えた。


ずっと2人でいるためには”君”の存在が邪魔だ


そして計画実行の日の朝、家で“君”を殺した後に、持ち主の死体を乗せた青い車で海に向かい、崖の上で大きく深呼吸をし、最後にすでに冷たくなっている“君”(=偽物のかけら)に誓いのキスをして、海に飛び降りる……



うまいことハッピーな方向へと持ち込んでいる解釈もいくつか見たことがありますが、やはりそれだけではつじつまが合わない部分が多すぎます。

ただ、曲自体は爽やかで疾走感あふれる素敵な曲なので、ぜひ聴いてみてほしいと思います。


MVはYouTubeで見れますし、サブスクでも聴けるのでぜひ。


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