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毒親持ちとは結婚するな

このnoteはすべて私のポジショントークです。所感です。偏見です。
嘘だと思うのならフィクションとして扱っていただいて差し支えないです。

このことについて誰かと議論する気持ちはないです。
ただし、すべて私の見聞きした事実とそれに基づいた私の所感です。

なお、この記事は一定期間経過後、有料記事にします。

はじめに

たまたま自分だけかもしれないが、離婚を経験すると周りに離婚経験者が集まる。
それはネット上だけでなく、プライベートでもある。
お互い傷を舐め合うように励ましあったりする。たまに塩を塗ってくる奴もいる。そういう輩とは距離を置く。変なやつとは接しないのが吉である。

今回のことでよくわかった。
逃げるは恥でも何でもない。
少なくとも「引き分け」以上だと私は考える。


離婚理由は千差万別、様々ある。
しかし、離婚相手の特徴として、表題の内容は共通事項としてよくあがる。
※なお、当然ながら、離婚されて当たり前のようなド級クズの話は除外

凄惨な結婚生活ならびに離婚を回避するための一つの手段として、または結婚相手を見定めるための一つの指標になるのではないかと思い、カタチとして残すこととした。

もちろん、すべての毒親持ちがそうだとは言わない。
ただ、一つの判断材料として扱っていいのではないか、として提唱したい。

相手の親を見てから結婚を決めても決して遅くない。

相手の親を見ずにして結婚を決めるのは早計である。

毒親持ちとは結婚するな




毒親とは

toxic parents(毒親)
実は外国から来た言葉である。
子供にとって毒になる親、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親のことである。

具体的には「子供に対するネガティブな行動を執拗に継続し、それが子どもの人生を支配するようになってしまう親」を指すらしいが、日本では何となく「ヤバい親」として使われることが多い気がする。

毒親持ちとは

上記の「毒になる親」に育てられた人のことを指す。
もしかすると「毒親育ち」と呼ぶのが一般的かもしれない。が、私の元配偶者が「毒親持ち」と自称していたので、私はこちらの言葉を使う。
なお、これは完全に私の偏見であるが、自称毒親育ちより自称毒親持ちのほうが強い毒素を内包している。気がする。(SNSで見比べた限りだと。)

1.交際相手が毒親持ちかを知る手段について

相手が毒親持ちか否かを知る手段は一つしかない。
相手による自己申告のみである。

それが事実かどうかはわからない。
ただ、未成年ならまだしも、成人してからもなお親に対して強い憎悪を抱いている奴はこの時点で既に相当な危険人物だと個人的に思う。

自分の親も少し乱暴な人(厚めのオブラート表現)だったが、実家を出た今となってはそこまで気にならない。
反面教師として「ああはなりたくないものだな」と時折思い返す程度の存在であり、そこまで負の感情は生まれない。継続して恨み続けることはない。
成人して家を出た以上、接しなければそこまでの実害はないからである。

親なんて所詮血の繋がってるだけの最も身近な他人である。それが離れたところで暮らしている。ただ、それだけ。

例え過去に恨んでいたとしても、成人して家を出てからもなお、継続して恨み続けるというのは少しおかしいのではないかと思う。
酷い仕打ちを受けたのならば決して許さなくてもいい。でも、5年も10年も昔のことをさも最近あったことのように恨んだり、負の感情が残り続けたりというのはかえって凄いと思う。
今を生きろよとしか言えない。

このことから自己申告の毒親持ちに比べると、申告なしの隠れ毒親持ちは負の連鎖から解き放たれた可能性が高いとして脅威にはなり得ないと考える。

そいつは失敗から学べる人間だから安心していい。
(自己弁護)

2.毒親持ちには2種類いる

切り口は様々あると思うが、毒親持ちを次の2種類に分類する。

①親が本当に毒親である毒親持ち
 →真の毒親持ち

②親が本当は毒親じゃない毒親持ち
 →自称毒親持ち

先に結論を記載するが、真にヤバいのは後者である。

真の毒親持ち の脅威

重要な視点は3つあると考える。
①相手の親と「家族になってもいいのか」
②相手の親(異性)と「結婚できるか」
③相手の親(同性)は「窮屈にしていないか」

①について【家族になってもいいのか】
結婚とは良くも悪くも家同士の繋がりが新しくできることである。
「義」という文字がつくが、家族になるのである。
相手の親をみて「この人たちと家族になってもいいのか」ということ冷静に判断するのが賢明だと私は思う。
相手の親を見てから結婚を決めても決して遅くない。
むしろ相手の親を見ずにして結婚を決めるのは早計とさえ考える。

そもそも、毒親と家族になるというリスキーな選択はやめるべき。おすすめしない。
自ら毒を摂取するようなものである。
それは緩やかな自殺である。

②について【相手の親(異性)】
カエルの子はどうあがいてもカエルになる。
相手の親(異性)は数十年後の配偶者の姿である。
外見だけでなく、内面もである。
その姿の配偶者と共同生活が送れるのか一度考えてみて欲しい。

③について【相手の親(同性)】
相手の親(同性)は数十年後のあなたの姿である。
プライバシーの観点から詳しくは語れないし、誹謗中傷はしたくないので控える。が、思うことは多々ある。
思い返してみるとお義父さんの苦悩が読み取れる場面がたくさんあった。
もう少し気にかければよかったと思っている。
これから結婚を考えている人がもしこれを見ているのであれば、用心深く見てみて欲しい。

相手の親(同性)が窮屈にしているのであれば、将来あなたは窮屈に生きることになる。
これに関しては命を賭けてもいい。

自称毒親持ち の脅威

私が思うに、他責思考を極めると自分の失敗すべてを最も身近な他人である親のせいにし、それが自称毒親持ちという姿を見せる。自分に不都合な現実を受け止めることができなくて全てを自分の都合の良いように改変しているのではないかと考える。
もちろん親ガチャはあるし、そうではなくとも強い負の感情を抱くことはあると思う。憎悪を抱くこと自体は何らおかしくない。

繰り返すが、成人してもなお自分の親に対して継続的に憎悪を持ち続けることができる個体は異常である。通常は時間の経過と共に薄れるからだ。
怒りのピークは6秒であり、2時間で消え去ると言われている。
それをいい歳した大人が、成人して親元を離れてから、5年10年経った今も続く。これが異常でなければ何を異常と呼ぶのか知りたい。
その怒りを5年10年と継続できる個性を持つ個体と共同生活なんてはっきり言って不可能だと思う。

いつの日か必ずその強い憎悪の矛先は、遠くに住む毒親から一緒に暮らす自分へと向きを変える。自称毒親持ちが住む世界にとって不都合な部分を引き受けてくれる、そんな存在が遠くに住む毒親では都合が悪いからである。
その結果、一緒に暮らす自分がすべてを引き受けることになる。

その強い憎悪の正体は配偶者にとって都合のよい事実に沿った言いがかりに姿を変えて襲いかかってくる。もちろん事実とは大きく食い違う。自分の何を改善すれば良いかもわからず、ただひたすら理不尽に責め立てられ続けられる毎日を送りたいのであればどうぞ。

結論:毒親持ちとは結婚するな

裁判を経験し、行政も司法も機能していないことを理解した。
まさか物的証拠にすら真摯に向き合ってくれないとは思いもしなかった。

物事を人道的に解決するのであれば、裁判に突入するまえに決着をつけるべきだったと思っている。
争いになったとき、当の本人達だけでは収められない。
そうなると暴走を最後に止めてくれるのは家族だけだと私は思う。

その最後の砦が毒親という瓦解した家庭の住人であれば、なんの意味もなさない。

毒親持ちと自己申告している相手と結婚すると言うことは、ブレーキのない車に乗るようなものだと心得るべきである。
道を誤ったとしても、事故を起こすまで止まれないのである。

乗る前にブレーキは確認すべきである。
その手段の一つが毒親チェックだと提唱したい。

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