石川淳『山桜』

たまにはミステリ以外の本を──と思って石川淳の短編集を読んでいる。
私小説の人ではないので、エンタメ本ばっかり読んでいる自分でもなんとか読めるでしょう──たぶん。
少なくとも、この「山桜」はわかりやすく幻想小説で、わりと読めた。冒頭がとんでもない長文で面食らうが、それから先は読みやすい。
話はシンプル──というよりストーリーらしいストーリーはなくて、売れない画家の「わたし」が親戚の善作に金を借りに行く。「わたし」は夢想癖があり、ネルヴァルの小説を読んでは突然街中を歩きまわり、善作を訪ねる途中で山桜を見ては善作の妻、京子のことを思い出す。夢想に耽っているうちに道に迷って途方に暮れていると、善作と京子の子どもである善太郎とたまたま出会い、善作の別荘に案内してもらう。庭を横切って玄関に向かう途中、「わたし」は善作が二階のバルコニーから自分のことを恐ろしい形相で睨みつけているのに気づく。次の瞬間、善作が手を振り上げたかと思うと、人を叩く音がした。京子の頬を張ったのだ。何事かと驚いた「わたし」は前を歩く善太郎にぶつかる。振り向いた子どもの顔を見たとき、善太郎の顔が自分そっくりであることに気づくのだった……

金を借りに行くエピソードの中で、「わたし」と善作のあいだの、京子をめぐる確執が浮かび上がる。善作との対面シーンは緊張感があるが、状況はありきたり──と思いきや、物語は最後で幻想譚に変化する。京子は実は一年前に亡くなっていたことを今の今まで忘れていたのだ。

実は「わたし」は女の幻覚を見ていた──というだけなら話は簡単なのだが、振り返って見ると、そもそも「わたし」の記述じたいが疑わしくなってくる。
子どもの顔が自分に似ているなどという記述も唐突でふって湧いたようだし(善太郎と初めて会った時は何の反応も示さない)、そもそも道に迷った冒頭からしてもう幻覚の中なのではないかという気もする。

どこからが現実でどこからが幻想なのかわからないタイプの話で、『押絵と旅する男』みたいな話というとミステリマニアには伝わるか?(文章とかは全然違いますよ。念のため)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?