愛。

多くの人と触れ合う度、無理してまで人のために過ごしてきた。
自分のために人の事を優先して生きてきた、それが幸せであると感じていたから。
現実的な辛さは盲目的に過ごせば一時的にでも消せる、荒いやり方だがそうするしかやり過ごす事が出来なかった。
私がこうなったのは生まれつきでもあり、自分で見つけたやり方でもある、人からのアドバイスを聞く機会がなかったと私は思う。
社会に出なかった弊害かもしれないな、と少し思った。

自分の中で大きくて、ずっと隠していた悩みがある。
「愛」という存在、人の感じ方一つであるかないかを判断する、見えない・掴めない物だ。
子供の頃は長い事悩まされた、いつか考えるのをやめた。
求めていても貰える事はなく、私が求める物が大きい程虚しくなるだけだった。
「見えない物を考えても意味がない、現実に残る形のある物が良い」
そう考えるようになって何十年と過ごした、人にも自分にも目に見える思いを渡すようになった。

私は考える事が好きだ、ある事もない事もずっと頭の中で生み出しては面白さとは何か、感情とは、色々。
現実的な事を主体に人の深さ、世界の事、繋がりの難しさ、断片的にポツポツと。
これは全て「頭の中で描く話」、「ある事もない事も生み出している」。
私はずっと見えない世界を見つめて、現実で与えられてこなかった欲しい物を空想で作り出して、一人で自己完結をしている。
幾ら自分で優しさや厳しさ、愛やなんだと考えていても、形にして目に見えるように受け取ろうとしていても、心の穴は自分では埋めきれない。

与えてほしい、たまにでもいい、空白を埋めてほしい、言葉でも形でもいい、そういう事を言えたら。
高望みだ、我儘だ、努力しなきゃ貰えないもの、そう考えては心の中に閉まった。
人の幸せを感じれば心が埋まる、だから幸せを感じられる事に全力を尽くそう。
人が喜んでるのが幸せだから人に求めなくて済む、自分が頑張るだけでお互いが幸せになる。
それでいいじゃないか、それで楽ならそれでいい。
やっとその考えを置いておく事が出来そうだ。

捨てきれない感情、何度も傷を味わって自覚している曲げられない性格。
人への思い、どれだけ自分が辛くても幸せであってほしいと願い続ける性格。
あとは、嫌だと思う事を吐き出す力が身に付けられたらいいな、と思った。

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