一人暮らし。3

この一週間に意味を作るとするならば、自分の中の何処までを知る必要があるだろうか。
いや、完璧を求めているわけではない、私なりにこの生活に納得する日々を送ればいい。
それは物理的な経験か、精神的な経験か、模擬で体験する事を経験と呼ぶべきか。
自分の流れは自分で作る、これは確かな事だ。
金を叩いて得た知識や心はどれだけの価値がある?この場所に来て自分の理解を得る事は出来たか?
空想と理想に塗れた私は現実と共に生きるにはそれだけで重みになる、それは人生の中で重大な欠点であると私は考える。
しかしこの考えは私一人が感じている事ではない、人が沢山居て、誰かもそう感じている。
一人で抱えすぎていたのかもしれない、今の私はそう思った。

朝ご飯を食べて気がつく、普通の量でお腹を下す程胃が弱っている。
暴食が出てからずっとそうだが、目に見えて食に関して悪い方面に向かっている。
普段から色んな病院に通っているため、なるべく自力で解決しておきたいと思っていたが、これは一度診察してもらった方が良さそうだ。
一人ではどうにもならない、一人なって気付かされる。
見直して考えて結果として理解した事を今は受け止めていこう、そうして得た事は今後の私見に役に立つ。

何気ない日常に色を付けるかどうかを考えた。
自分の好きな事しか殆ど出来ない人であると認めて、その中でストレスの無い範囲で違う事をする必要があると考える。
それは生きる上で欠かせない事も含まれる、そこは頑張らないといけないな。
何処までがストレスと感じるか、その重たさを段階を作って受け止める、というのはどうだろう。
ストレス無く過ごすのはおそらく私には無理だろう、なら軽くしていく方法を取るしかない。
人に対して熱心に付き合うのを緩やかにする、それが得策だろう。
これも段階か、私は興味を無くすと一気に遠ざかる癖があるので、バランスを取って接していけるよう努力したい。

傷つきまくって倒れたら元も子もないが、理解していかないと身が持たないのだろうか。
客観的に見た私に魅力が無いと感じた時に潰れてしまうのは理解した。
それは人として当然だと、客観的でなくとも分かるだろう。
私を私として居るべきか、客観的に見続ける事で現実から離れてしまうのを避けるべきか。
夢を見すぎて居たか?それはそうだと思う、だがそれが自分にとって良いと思っていたからそうしていた。
度が過ぎたか?何処までが自分にとって良いラインなのか見極めるのが難しいな。

躁鬱というものを抱えてる以上多少なり波が激しいのは分かっている。
分かってきた事は沢山あるが、まだ迷走してる部分が見えている。
ただ私が認める私であるかどうか、それは遠い未来である事に変わりはない。
変わり者で賛同する者が居なくとも、私は道を作り出すのが合っているのだろう。
それが創作とも言える、何処までが現実か空想か理解しなくては。

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