株式会社酒井金属(取締役会長:酒井 俊充)
【会社の歩み】
旭川に会社を構える酒井金属は、主に鉄・非鉄金属を扱う総合リサイクル企業。現会長の酒井俊充さんの父・茂明さんが昭和35年に設立しました。
会長・社長・従業員をあわせて10名の会社で、旭川市を中心に、富良野・美瑛等周辺地域、道北・北見オホーツク管内方面で取り引きを行っています。
「父は元々国鉄職員だったんですよ。ただ、私の祖母が事業に失敗してしまい、その借金を長男である父が背負ってしまったんです。サラリーマンでは到底返済できないということで、親戚が営む酒井鋼材さんで数年修行を積み、自分で事業を立ち上げたのが会社の成り立ちです。」と、酒井会長は教えてくれました。
【酒井会長のあゆみ】
酒井会長が酒井金属に入社したのは昭和55年。酒井金属が創業してからちょうど20年が経った頃でした。その頃の会社はどのような雰囲気だったのでしょう。
「私が入社したときは、今の本社の場所を買ってすぐの頃でした。当時は2カ所で事業を行っていて、こちらは鉄くず置き場。もう1カ所は非鉄。昔はビンとか紙とかも扱っていましたね。その頃から、小さい会社ながら金属は結構扱っていましたよ。」
入社してからはご苦労も多かったそうで、「当時はほとんどJRさんからの仕事しかありませんでした。それが徐々に減っていってしまったものですから、あちこち営業活動も行いました。既に他社とのお付き合いがある会社は避けて、地元ではない大手のゼネコンさんとか。乗り切れたわけではありませんが、地道にお客さんを増やすしかないですよね。でも上手くはいかないこともありました。」と同業他社へ配慮しながらの営業活動についても語ってくれました。
酒井会長が社長に就任されたのは、今から14年前。何かきっかけがあったのでしょうか。
「父は心臓の病気を持っていたものですから、倒れてしまったり、入院してしまったりということがあり、私が社長に就任しました。でも私が社長になったのはえらく遅いんですよ。父は自分が社長をやりたいという人で。87歳まで会社には来ていましたね。当時は父と結構ぶつかりましたよ。創業者ですし、親子ですからケンカになりますよね。最終的には私が折れるしかなかったです。」
大型の重機や設備を導入したのは、酒井会長が社長に就任してからのことでした。
「重機を入れてからは伸びたと思いますね。自然とものも入ってくるようになりましたし。ダブリングだけでは追いつかなかったのでギロチンも入れました。以前はちょっとものが入ったら、もうあっぷあっぷ。壊れたときには山になってしまってどうにもならなくて。そんなに大きな敷地ではないので、場所を広く使えるようになりましたね。すぐに処理できるから。」
入ってきたものをすぐに処理して、すぐに販売する。酒井会長の決断により良いサイクルが生まれたようです。
【父から子へ】
現在では、酒井会長の息子にあたる章宏さんが社長を務めています。
「息子が社長になってからは、私の時代とお客さんの層も変わりましたよ。私のときは鉄工所のお客さんが多かったんです。メインだった大きな鉄工所が3軒ありましたが、全てなくなってしまって・・・。それを見て、息子も頑張ってくれたかもしれませんね。今は解体業のお客さんが増えてます。営業をかけなくても向こうから来てくれるお客さんもいます。お客さんがお客さんを紹介してくれたり。」
さらに「うちの父と息子が結構似ているんですよ。細かいところとか。父は現場での仕事のやり方に対しても色々と言ってきました。『それをやったら危ない!』とか怒鳴られましたよ。父は現場経験がありましたからね。息子を見ていると父を思い出してしまいます。口うるさいですし。(笑)」と笑いながら話してくれました。
【自慢の従業員】
酒井金属の特色を伺うと、長く勤められている方が多いことを挙げてくれました。
「勤続10年くらいの人もいれば、60年以上の人もいますよ。今76歳で、中学を卒業してすぐに来てくれた方がひとり。昔は住み込みで働いていたので、私が小さい頃から知っています。父に仕えて、私に仕えて、そして息子にも仕えてくれているんです。『先代に世話になったから、恩を返すんだ。まだ使ってもらえるなら居たい。』って。このような方はなかなかいないですよね。しかも病気で休んだこともない。私が社長のときは現場責任者として現場を任せていて、去年まで重機に乗っていました。今は仕分け作業をしてくれています。この人がいることは会社の自慢になりますね。」
全国的に人手の確保が課題となっている昨今。酒井金属もまた例外ではないそうです。できれば1~2人は増やしたいと思いながらも、定着させるのはなかなか難しいとのこと。しかしながら、酒井金属ではこのようなことも。
「うちの従業員は友達を紹介してくれることもありますよ。友達の弟を紹介してくれたりだとか。その方たちは長く働いてくれていますね。」
と、人との繋がりが会社を支えてくれているようでした。
【代表取締役 酒井章宏さんから 鉄リサイクル工業会に一言!】
現社長の章宏さんもインタビューに応じてくれました。
「鉄リサイクル工業会では研修旅行で色々なところに行ってみたいですね!韓国とか。あと、視察は大手の会社だけではなく、私たちが身近に感じる規模の会社に行ってみたいです。より現実的な勉強ができますし。地方での交流会を開いて、地域間の交流を深めたり、勉強するのも良いですね。」
【日本鉄リサイクル工業会 北海道支部長 後記】
今回は北海道第2の都市である旭川で事業を展開する酒井金属の会長、社長にお話をお伺いしました。
会長も社長も非常に腰の低い方で、お話を聞いていても常に低姿勢。且、お客様を大事にする気持ちと社員を大事にする気持ちが前面に出ていたのが印象的でした。
酒井金属の創業者である酒井茂明さんのご両親は、元々飲食業・パーマ屋・銭湯など幅広く事業を行っていた家庭に生まれたそうですが、本人は国鉄に入社しました。
それから紆余曲折あり、昭和35年に酒井金属を設立されたそうです。
これまで何度も危機があったそうです。
メインの顧客を失う事が、創業者の時代、会長の時代、そして現在と幾度となく起こりましたが、その衝撃が大きいほど酒井金属は危機を成長に繋げていきました。
危機の際に顧客層も全く変わり、扱い量を増やしているのは時代の変化に対応し営業活動も着実に行っている成果だと感じました。
創業者の時代はJRの仕事が多かったそうですが、だんだん無くなっていき、地元の同業者と被らない旭川を地盤としないゼネコンを開拓し、扱い量を伸ばし、鉄工所、現在では解体業のお客さんがメインと時代の流れと共に顧客層も変化していきました。
設備投資も積極的に行っており、ギロチン、プレス機、重機も作業ごとに配置がされており、社員にとっても働き易い環境が整っていました。
北海道は今人口減少が全国に比べても加速している地域であり、北海道第2の都市である旭川でも人材採用には苦労しています。
どこの会社でも対応が必要ですが、酒井金属には心の繋がりが強い社員が多い印象を受けました。
若い時は住み込みで働き、今では勤続年数60年の社員を筆頭に、若手・中堅・ベテランとバランスのとれた社員構成になっております。
現在の社長である章宏社長はバイタリティーがあり、そしてリーダーシップも備わっています。まだ30代で積極的に動く方で新しい事にも積極的にチャレンジされるので、今後の酒井金属の展開も大変楽しみです。
今後北海道の業界の中心となる経営者の筆頭です。
鉄リサイクル工業会北海道支部青年部の活動にも積極的に参加して頂き、今後は北海道の札幌以外の地域で会員企業の会社を見学しながら交流を図り、他社の良いところをしっかり学びたいと熱く語ってくれました。
今後も力を合わせて北海道の鉄リサイクル業界を盛り上げていきたいです!