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【LoL Interview】面白くて強い男を目指して【AXC Eugeo】

皆さんこんにちは。
今回不運にもこのインタビュー企画のターゲットに選ばれたのはAxiz Crest所属のEugeo選手。

筆者が個人的に仲がいいというのもありかなりの長編になったことはお許しいただきたい。しかし、彼のLoL愛を人一倍感じたので是非このインタビューで知っていただければ幸いだ。

彼は高校卒業とほぼ同時期にプロデビューをし、LJLも5年と長くなってきた。様々なチームを転々とした彼は今何を思ってプロ生活を送っているのか、どんな道のりを歩んできたのか、今回このインタビューで明らかにしようと思う。

※筆者とEugeoは仲が良いため多少言葉が強くなってしまう可能性がありますのでご注意ください※


家族仲?いい方ですよw

どうもみなさんEugeoです。
2002年生まれ、三重出身、2人兄弟の弟として生まれました。

自慢じゃないですけどうちの家族は他の人たちに比べるとめっちゃ家族仲良くて、よくみんなでユニバに行ったりしてましたね。家族旅行も多い時は月一くらいでいってたし、今でもみんな仲が良いです。

幼稚園とか小学校とかでもいたって普通の生活だったなっていう気がします。
外に遊びに行くことが多かったです。
泥団子作ったり、秘密基地作って遊んだり、小学校の時も10分休みとかですら外に出てドッジボールとかやってましたね。
まあなんというか世にいうところのクソガキって感じでした(笑)

ただめちゃくちゃ飽き性で、一度始めた習い事、例えばサッカーとかもやってたんですけど、1年たたずに辞めちゃうことが多かったですね。

ゲーム自体も幼稚園からやってはいたんだけど親が持ってたやつとかを借りてやってました。一番最初はポケモンのエメラルドだったかな。

人生の転機は小学5年の時だったと思います。親がシステムエンジニアだったっていうのもあって自由研究でPCを自作したんです。
作ったPCでそのままゲームし始めたっていうのが本格的なゲーム生活のスタートでした。

マイクラで対人ゲームの基礎を学んだ

当時Youtubeとか見てなかったんですけど、兄から「今これが流行ってるらしいよ」ってマイクラの実況動画を教えてもらって、ちょうどPC作ったんでできるやんってことでマイクラをやり始めました。

小学生時代だけじゃなくて中学入ってからもずっとやってましたね。中学入ってからは陸上部にも所属してて、当時陸上部のエースみたいな感じでみんなをまとめたりとかめっちゃ真面目に活動してたんですけど、なんか同級生とか監督からの期待とか圧がすごくて…もともとプレッシャーにも弱い性格だったっていうのもあって冬季練習を全部サボっちゃったんですよ。

今までむしろ回りのサボりとかをただす立場にいたのにサボっちゃったのでめちゃくちゃ気まずくなっちゃって学校全然行かなくなっちゃったんですよね…外ちょっと出るだけでも周りから見られてるんじゃないかみたいな感覚に陥っちゃって。

で、そのタイミングとゲームにはまったタイミングが重なったのでずっとPCゲームをやってたって感じです。今思うとその時PCゲーのコミュニティがなかったら人とかかわることがなかっただろうし、リアルの俺を知られずに自分を出せる唯一の場所がネットだったから救われたなって思います。

当時所属してたコミュニティで遊んでたのはマイクラはマイクラだったんですけど、友達と普通の建築とかするマイクラじゃなくて、PvPサーバーに参加してやってたのでのんびりスローライフじゃなくてしっかり対人ゲーしてましたね。

しかもマイクラって深くて、ただ殴るだけじゃなくて細かい技術があってね~、普通に攻撃を連打するだけじゃなくてクリック数によって変わるんだよ。多いと相手を嵌めれて、エイムもここに合わせたら嵌めやすいみたいな…(意味不明な説明が続く)

っていう感じでPCゲームの操作はマイクラでほぼ慣れたって感じでした。
そういえば当時一緒のサーバーでやってた人、TENNNさんとかpopogachi君とかMilanとかesportsプロ多かったな、今思うとプロ養成所みたいになってたかもw

LoL?いつから始めたん?

マイクラで大体3年くらいは遊んだんですけど、参加してたサーバーがなくなるってなったので所属してたコミュニティが別のゲームに移ろうって流れになったんです。

大きく分けてCSGO組とLoL組に分かれてて、最初僕はCSGO組だったんですけど、1年ぐらいでGlobal Eliteっていう一番高いランクまで行ったんですよ。味方が強かったのが大きかったんですけど、でも一応最高ランクまで行けちゃったので目標みたいなのがなくなって飽きちゃって…

その時ちょうど日本鯖が来るからやろやって友達にLoL誘われたのでLoLを始めました。
始めたての時はまだNAサーバーだったのでゲーム性も理解できないし、英語で何書いてあるかわからないから3Lvで引退しましたwww

でも結局日本サーバー来てから自分の友達がみんなLoLやってて、みんなと遊ぶには俺もLoLやるしかなくなっちゃって…
マジで面白くなかったんですけど必死にルール覚えてある程度できるようになったって感じですね。

ランクは30Lvになってすぐ行きました。
最初30LvなるまではコグマウADC OTPだったんですけど、当時オレソルが出たばっかりで”Nightblue”っていう配信者がオレソルJGやってて、こいつJGチャンピオンなんだって思ってそこからオレソルJG OTPになりました
オレソルJGやりすぎて、当時マスタリーポイントとかも2位の人と30万ポイントぐらい差をつけて1位になってたくらいでした。

2か月くらいでプラチナ2まで行ったんですけど、そこでまた飽きが来ちゃって。当時はエメラルドもなかったんで、ここまで来たらすぐダイヤやん、あとマスターとかチャレしかないってなったら余裕やなって思っちゃって。

そこでランクやめちゃったんですけど3か月後くらいのふとした時に久々にランクやるかと思って回してみたらまあ勝てなくて、これが適正かって感じでした。そこでやっとLoLの面白さに気づいたって感じでしたね。このゲーム深すぎるってなりました。

学校はいかないとやべえなってなってたんで学校も復帰してたんですけど、学校も行きながらLoLやり続けて、1,2か月くらいでダイアモンドまで到達しました。ダイアモンドからはオレソルJG通用しなくなったんで捨てたんですけどねwでも半年でダイアなれるなら俺センスあるんじゃないかなって思いました。

これが大体中学の終わりごろの話ですね。

高校からは部活とLoLの両立

高校にも塾とか行って勉強頑張ったんで問題なく入れたんですけど、もっかい陸上部に入ったんですよね。環境変わって結構ラフな感じで決して強くはないんだけど、みんなモチベあってプレッシャーとかなく陸上が楽しめたっていうのもあってLoLより部活の方が楽しいってなったんですね。なんでLoLやる時間は大分少なくなりましたね。

ただ、LoLも少ないながらも継続しててオレソルJGやめてエリスに転向したんだけどチャンピオンもよくて、高1の中間くらいでの無事チャレンジャーまで行けました。当時15,6歳とかでチャレンジャー行く人も珍しかったし、部活と両立しながら行けたんで普通に嬉しかったっすね。

その時にちょうど元SGのDonshuと仲良くて、当時Sunsisterっていうチームがあったんだけど、そのチームのアカデミーでMIDで一緒にやんない?って誘われてそれきっかけでMIDに転向しました。
当時からチームゲームのJGはめちゃくちゃムズイっていう認識もあったしMIDもそこそこできたからチームゲームはMIDでやるかって思ってそこで初めてMIDメインに変わりました。

そのあたりの時代で色んな人と交流を持った記憶があります。
たかやスペシャルさんともその時出会いましたね、懐かしい。
Marbleともこのあたりで出会って、チーム活動してる時のADCを探してた時にちょうど同年代でチャレンジャーの日本人ADCがいるって話題を聞いてTwitterでDMしましたね。

チャレンジャーになったし、チームゲームはじめたのもあってLoL熱が復活して、部活も楽しかったけどLoLもまた真剣に取り組むようになりました。

それが大体高2頃かな。その時期友達のチャレンジャーたちと「アマチュア大会総なめしね?」って話をしてて、実際に出た大会は優勝みたいな。アマチュアで無双してた時期もありましたね。

プロ発掘イベントで流れ変わった

その時代ってまだLJLCSとかがギリギリあるかないかぐらいの時期で、アマチュア大会よりはCSに出てた人とかが注目されやすくてそのままプロに行くみたいな時代だったんですよ。

自分自身もまだ高2でプロとかもあんまり興味なくて全然見てなかったし縁遠かったんですけど、その年、次世代のプロを発掘するっていう選考会イベントのスカウティンググラウンズを初めてやるってことになったんです。

スカウティンググラウンズはプロの人に実際プレイを見てもらって評価してもらえるみたいなイベントでプロに興味ない僕はもれなくイベントにも興味はなかったんですけど、実はそのイベントがオンライン予選をやって先行抜けた人は東京でオフラインに参加できるっていう内容だったんです。しかも、交通費も出ますって書かれてあって。

当時の俺は、「え、東京タダでいけんの?プロ興味ないけどタダで行けるのめっちゃアツいやん!!」って思っちゃったんですよね。やっぱまだ年齢的にもお金なくてネットの友達とかとオフ会みたいなことしてみたくても会えないじゃないですか。めちゃくちゃ不純な動機だったんですけど当時クソガキだった俺は絶対出よ!ってなってました。

で、予選でいい評価がもらえたので東京に行くことになったんですけど、正直驚きました。スカウテインググラウンズの会場が無限大ホールっていう会場だったんですけど、「え、こんな大きなところでゲームするの?プロやばすぎだろ!!」って。

プロゲーマー自体がその時まだ有名じゃなかったからちょっと舐めてた節があったんですけど、こんなしっかりした舞台でできるんだ、プロゲーマーすごいかもって初めてその時なりましたね。

で、オフラインでもなんかすごくうまくプレイできちゃって、LJLチームから何チームかから練習生としてやってみないか?みたいな話が来て。LoLも好きだったし、これだけちゃんとしてる世界なんだったら真面目にやってもいいのかもしれないって思ってプロの練習生になりました。

Sengoku Gamingのサブになったんですけど当時TakaさんがMIDでチャンピオンプールも似てたんでリスペクトしてたのもあってSGを選びましたね。

ただ、SG入ったはいいんですけど、その時高3だったんです。
そこまでLoLやりすぎてたつけが回ってきて…ちゃんと勉強しないと卒業できないってなっちゃったんですよ。なのでSG入ってて申し訳ないなと思いつつも勉強に集中しちゃってました。

いきなり1部出場!?

勉強も落ち着いてきたころだったかな、SGからBurning Coreに移籍することになったんですよ。そこでサブ選手として練習を始めたんですけど、そこでまた転機が訪れました。

当時BCのMidを務めていたRokiさんが突然引退するってなって、オーナーから1週間前くらいに「Eugeo来週東京これる?」って言われて。自分的には1年くらいはサブで練習して経験積んでから1部なのかなって思ってたので、まさかまさかの展開でした。

LJL出れるってなってちょっとわくわくもあったんですけど、さすがにいきなり一部は厳しかったですね。ゲームの進むペースも今までサブやアマチュアの頃にやってたものとは全然違っててボコボコにされました。

っていうのもその時まで俺の中のLoLってレーンうまくやった方が勝ちっていうゲームだったんです。レーンの勝ち方も相手のスキル避けて自分のスキル当てれば勝てるみたいな考え方で、ずっと感覚でやってたんです。今はもう違いますけどね。

でも、実はLoLって決められたことをしっかりやれば勝てるゲームなんですよ。例えばこのチャンピオン同士のマッチアップはレベル3までこっち側が有利でそれ以降は逆側が有利とか、ドラゴンタイミングでしっかりリコールして装備整えておくとかそういうのをまだ知らなかったんですよ。

しかもRokiさんの後釜っていうのもあってめっちゃプレッシャーもあったし、周りとのレベルの差もあって苦しかったです。しかもちょうどその時コロナが爆流行りしてて外にも出れなくて気分転換もできないし…

そのシーズンはそれで終わっちゃったんですけど、次のシーズンありがたいことにいくつかスターターでのオファーも来てたんですよ。でも自分の実力に納得いってなくて、自分はまだ1部でできるほど強くないって思ってサブからやり直そうって思ったんです。それでV3のアカデミーチームに入りました。

天国と地獄、V3時代を語る

V3アカデミーの時代は正直めちゃくちゃ楽しかったね。
まあメンバーが元々仲良かったっていうのもあったんですけど、みんな同じくらいモチベーション高かったし、もともと1部経験のある俺とYunikaさんがいて無敗で優勝できたっていうのもあってすごくいい感触があったのを覚えてます。

そこで1部でへし折られたLoLへの自信を取り戻しました。アカデミーってLJLの1個下だから、レベルは違えどLJLに最も近い日本の大会で、チームとしても個人としても圧倒的な成績を残せたっていうのはめちゃくちゃ自信になりました。

優勝した後にオーナーから直々に連絡が来まして、直接会って話をしないかと。どこかで聞いたなと思いつつまぁ優勝祝いしてくれるのかなーと思いながら東京に行ったらあの有名な話を告げられたんです。

そう、3年計画ですね。

アカデミーリーグで優勝した日本人5人で3年かけてLJLを優勝しようっていう計画でした。でも、当時自信に満ち溢れてた俺は韓国人選手いないけど俺らまだ若いしポテンシャルもあるから、3年あれば優勝できるって思って二つ返事で行けますって返事したんです。

後悔はしてないけど、ここで俺の人生大きく変わったね。
何とデビューシーズンの春、21連敗。一回も勝てなかったね。

当時アカデミーリーグ全勝して上がったのもあって、アカデミーのみんなの分も背負って出てたから悔しいし、あれだけアカデミーかてて一部ではこれなのかって情けなくなりましたね。プロなのに勝てない俺って存在価値あるの?って人生で一番クラスに落ち込んじゃって。

まあでもそこはプロだから仕方ない、頑張らないとって割切って夏も続けました。結果36…?39連敗?、Esportsの歴史の中で最も多い連敗記録をたたき出しちゃいました。もっとも不名誉な世界記録保持者になりました(笑)

それでも、あの連敗の後AXZ相手に1勝取れた時まじでうれしかった。
人生で一番うれしいとか軽々しく言ってたけど、正直あれを超えることはないね。

俺らってホント練習から勝てなくて、それこそ最初の方なんて300試合くらいスクリム勝てなかったんですよ。だから起きたら「はぁ今日も地獄の一日が始まるのか…」ってところから始まってて。メンバーとも仲は良かったしどれだけ負けてても嫌いになることもなかったんだけど、練習の時の空気はさすがに悪かったですね…

練習室が地下にあって一つしかない階段を下りて入るんですけど、もう空気悪すぎて階段に黒い靄がかかってるみたいな感覚に陥って…練習室の地獄の空気は今でも覚えてます。

でもその分1勝した瞬間に、普段泣いたりするタイプじゃないんだけど涙が止まらなかったね。

1勝した後は負け癖みたいなのが取れて何勝かとれました。そこまでは勝てそうな試合もなぜか落としちゃうみたいなことが多かったんですけど、プレッシャーみたいなのが無くなって勝ちまでつなげられることが多くなりました。

番外編①:盟友Milanとの再会

あぁ、その話ね(笑)

まあさっきもお話ししたんですけど、Milanとは小6のときにマイクラで知り合って、同い年ってこともあってちょくちょく遊んでたんですよ。そっから中学の時にCSGOに移行したんですけど、ある日突然Milanがいなくなったんですよ。

その時何も知らなかったんで、ネットやめてリアルの学校の事とかやってるのかなぁって漠然と思ってたんですよ。でも実はその時Milan留学してたらしいんですよね。

で結構長いこと居なかったから忘れかけてた頃、ちょうど俺がSGとかBCにいたころかな。普通にランクやってたらMilanaxiっていうSNのプレイヤーとマッチングしたんですよ。マイクラで全く同じIDでやってたから、あれこれMilanじゃね???ってなって。5年越しにまさかのLoLで再開したんだよね。

で、そのマッチの後MilanからTwitterのフォローが来たんですよ。俺はマイクラの名前別でやってたからなんで気づいたんだろうと思ってDMで聞いてみたら、「マイクラで遊んでた人からLoLのプロが出たって聞いてて知ってたよ」って言われたんです。

小学生でマイクラで遊んでた二人がまさかのLoLチャレンジャー帯でマッチングして再開するっていうね。しかも次の年にはMilanがCGAでプロデビューしてるし、そんなことあるんだって思ったね。

Milanとは10何年の付き合いになるけどまだ一緒にLoLやってるのは不思議なもんだねー。いつか公式戦でも戦いたいね、あいつと戦うの面白いんすよ。前出て勝手に死んでくれるから俺の養分になってくれるんでw

番外編②:たかやスペシャル様との逸話

まあ結構配信とかでお互い話してるから知ってる人からしたらまたかよって話だと思うけど、僕が当時高2とかで初めてチームゲームやるってなったときに俺が2軍だとしたらたかやさんが1軍のいわゆる先輩って感じで出会ったね。

当時はたかやさん「ラーメン次郎」ってSNでやっててラーメン次郎知らなかったから、自分でラーメンの店開いてるのかなって思ってました(笑)

まあその話はどうでもいいんですけど、Donshuが俺に「こんなにうまいガリオの人見たことない」って言ってて、スクリムとか見ててまあいわゆるたかやさんの背中を見て育ったみたいな感じですね。

まあでも正直今だからぶっちゃけるんですけど、たかやさんからLoL教えてもらった記憶はあんまないしスクリムも3回ぐらいしかほんとは見てない。

まあこれを言っちゃうとたかやさんの営業妨害になっちゃうから言うの憚られるんだけど、ガリオも教えてもらってないしスクリムでガリオも見たことないね…今まで口裏合わせて教えてもらったって言ってたけど嘘だったって懺悔しとくわ。

で、スカウティンググラウンズ出た時にたかやさんが見に来てて、ちょうどたかやさんが配信始めた時で自分も配信でたかやさんの顔見てたから俺から「あれたかやさんじゃん!」って声かけて向こうも「Eugeo君じゃん」って覚えてくれてて。そこから遊び始めるようになったね。

プライベートでも一緒にラーメン行って奢ってもらったりとか服とか買いに行くのも連れてってもらったりとかいろいろお世話になってます。配信でもよく名前出してくれるし本当に感謝してますね。LoL教えてもらったことはないけど()

番外編③:フェイマスターへの道のり

フェイを使おうって思ったのはやっぱり配信伸ばしたいなって思ったからですね。やっぱValorant見て感化されたんですけどDepさんとかLazさんとかプロの人が頑張って広めたから人気出たところもあると思うんですよ。

LoLは長いから今更プロが配信とかしたところでって思うかもしれないけど、実際Valoではプロの配信で伸びたところも見てたんですよ。だからLoLのプロも頑張らないとなって思って、最初は配信を頑張ろうって思ったんだよね。

その時に俺に何ができるかって考えた時に、プロの配信だからうまくなりたい人が見に来ると思ったんですよ。たかやさんにも「新チャンピオン出た時に配信したらいいよ」ってアドバイス貰ってて、プロが新チャンピオンを一番最初に配信でプレイしたら興味を持たれるんじゃないかって考えたんですよ。

実際配信でフェイ触ってみたら義務のつもりだったのにめっちゃ面白かったんですよ。チャンピオンパワー自体もあるなって思ってたし、練習してたところ気づいた時には「俺フェイめっちゃ上手くね?」って気づいたんですよ。

後、元々ガリオといったらEugeoみたいなイメージあったと思うんですけどちょっと恥ずかしいなって感じもあったんで、キャラもかっこいいしフェイと言ったらEugeoって言われたいなって思って練習したのもありましたね。

今ではそのイメージは付いたかなって思ってるんで満足してます。

番外編④:伝説のTPについて

いやまじで、あれは~いやマジでほんとに~俺は最後に反論の余地を残してる。

俺は今でもあの時のVCを覚えてる。Ssolさんが「アッシュ倒した」ってなってバロンバロンバロンってチーム一瞬なったんですけど、いやこれエンドだ!って気づいて皆ネクサス行こうってなったんですよ。

で俺が「TP使うね?」って言ったの。でもSsolさんが「君ヘルス大丈夫?」って言ってくれて、よく見たらめっちゃヘルス低くて。
だから「リコールしてからどっかTP飛ぶね」ってコールしたんですよ。

で、リコールしてからミニオンの方見ながら様子見てたんですよ。
そしたらミニオンにアシストピンが飛んできて、誰かが「TPミニオンに飛ぶ!」って言ってて(笑)
試合展開的にも負けからの逆転あったから早く終わりたいっていう気持ちもあって何も考えずに「わかった飛ぶ!!!」ってTPしちゃったんですよ。

でもセトがEとW目の前で使ったから大丈夫だって一瞬思ったんですけど、裏回られてultで持ってかれて終わりました。
いやでもほんとにあのTPは俺も被害者、VCにやられたんすよ!!!

皆は配信ではね、Eugeo何やってんだって思うかもしんないけどね。正直俺も飛びたくなかった。まじで俺も被害者。

でも実際、あのウェーブ消されたら次のウェーブ遠くてリスポーン間に合っちゃうからエンドなくて、あのウェーブ何とかすれば終われたんだよ。だから、楽になろうとして飛んじゃったんだよね。

正直あれよりひどいTPはこの先プロシーンで出てこないと思うからV3の連敗記録に続いて変な爪痕残しちゃったかも…

これでこの試合負けたらやばいって試合中はめっちゃひやひやしてたけど味方が頑張ってくれて勝てて助かりました。

これからの目標

AXCとしての戦いは終わってしまったんですけど、いい面白い試合をたくさん見せられたのではないかと思ってます。

オフシーズンは配信や動画投稿などLoL界への貢献をもっとできたらなと思ってますので是非チェックしていただければと思います。

また、Youtubeの個人チャンネルの方でLoLの解説や配信の切り抜きなど挙げていこうと思ってますので絶対に見てください。

これからも色々と頑張っていきますので応援よろしくお願いします。

Eugeo
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