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夏の日の不安発作の思い出15年後(記事②)

 前の記事の続きです。
 
 以前も書きましたが、外国に行った年の15年後くらいの躁状態の時、不安発作で救急搬送されたのです。その時は救急車の中も、病院でも、外国語しか話せなくなっていました。

 救急外来のドクターは、
「これは別に珍しいことではない。患者は自分が楽に話せる言語を選んで話しているだけだ」
と、きっぱりと言いました。

 しかし会話には支障をきたすので、外国語に堪能な友人に来てもらって通訳を頼み、医師や家族に言いたいことを伝え、そうやって家に帰った記憶があります。
 
 その時の不安発作は、躁の過活動からだと思うのですが、外国語しか話せなくなったのは、前の記事の、外国での不安発作のトラウマのように今は思えてなりません。

 助けを求めること。医療にかかること。それは後に症状を送らないために必要だったのだと思うのです。

 搬送が必要な人は、ぜひそのようになさってほしいと思います。
 しかし私は直近の診察でドクターと「不安発作で病院に来ない」という話し合いをしました。それについては次の記事に書きます。
 
 

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