「私の時は大変だったのに、ずるい」という人に伝えたいこと
前例を重視するPTAの場合、改革派が “(他の保護者などに)不満が多かったこと”、“効果が薄かったこと”、“安全面でリスクのあること”などを改善しようとすると、どこからともなく「私の時は大変だったのに、それをしなくてよくなるなんて“ずるい”」という言葉が寄せられることがあります。
その心情を推しはかると「自分は一生懸命取り組んだのに、それを不要・無意味だったとされたくない」ということかと思うのですが…。
今回は、その人たちへ言えるものなら言ってみたい、軽い言葉からガチな言葉までをまとめてみました。(言えなかったけど!)
1.「今後の係の人の仕事が減っても、あなたのこれからの人生や生活に何の悪影響もありません」
落ち着いて考えてみてください。次の係の人の仕事が減ったら、浮いた時間であなたに嫌がらせでもしてくるんでしょうか?
すでに「大変だった」仕事を終えたいま、次の係の人の仕事が減ろうとも、今までどおり日は昇り、沈んでいきます。誰かの仕事が減ったことが原因であなたの家事が増えたり、夫婦げんかが増えたり、収入が減ったり、子どもの成績が下がるといった、「望ましくないこと」は起こりません。
誰かの負担が従来より軽くなることと、あなたの人生や生活に関係はありません。「気にさえしなければ心穏やかでいられる」はずのことをわざわざ気にする必要はありません。気にしないでください。
2.「不評とわかっているものを放置することのほうが害悪はあるかもしれません」
「不評とわかっているのに、それをそのまま放置し引き継ぐこと」の害悪はあるかもしれません。たとえば・・・
といった痛ましい事件があったことをご存知ですか?
上記二つの事件の具体的な原因についての報道は見つけられていませんが、「PTA活動を苦に、精神的に参ってしまい、最悪の選択をしてしまう」ということは「ありえない」ことではないのです。
「従来のままやると、不平・不満が出る」という状況で、あなたが「従来のやり方を変えるなんて、ずるい」と主張することが、巡り巡って誰かの重いストレスになり、精神を病ませ、自殺未遂や殺人事件に至らないとも限りません。
「誰かの仕事を軽くすることが、自分のこれからには影響がないことくらいわかってる」ということでしたら、せめて反対を表明するのはやめませんか。
「いや、誰かが死のうと、自分には関係ない。自分が頑張って耐えた仕事を、今後軽くするのは許せない」とお考えになるようなら、上記のような事件が自分の学校のPTAで起こった時の悪影響を考えてみてください。お子さんの教育によい状況ではないですよね。
「そんな極端な例!私が言ってるのはそんなに大げさな話じゃない」と思うかもしれませんが、他人のおかれた状況やキャパシティは人それぞれです。すでに一部でも不評となっているのであれば、それは、「貴重なアラート」ではないでしょうか。悲劇を回避するために、小さなアラートに反応して対応していくのが「大人」の務めではないでしょうか。
3.「子どもたちの笑顔を支えてください」
ことあるごとに「子どもたちの笑顔を増やしましょう」と言われがちなPTA。「次の担当者の仕事を減らす」と、子どもたちの笑顔が減るんでしょうか?少なくとも、次の担当者の家庭の子どもたちの笑顔が増える可能性のほうが高かったりしませんか。
「他の家の誰かが機嫌が悪い」という状態より、「誰かが機嫌がよい」状態を作ったほうが、地域で暮らす人間関係としてはベターな状態のはずです。
ご近所の、どこかのおうちの「子どもたちの笑顔」を少しでも増やすために、過去の大変さは笑って水に流してみませんか。
4.「他の人が喜ぶことをすることで、“徳”が積めます」
他人の苦しみを願うより、他の人の喜ぶことをしたほうが気持ちが良いですし、徳が積めます。
徳を積むと何が良いか? 自分も困った時に助けてもらえる可能性が高まります。
他人の苦しみを願う人は、他人からも苦しみを願われます。
他人を喜ばせることのできる人は、巡り巡っていつか困った時に助けてくれる人が増えると思います。
5.「みんなやってきたことなのに…の“みんな”とはどなたでしょう?」
みんなやってきたのにずるい、というフレーズを耳にすることがありますが、「みんな」とはいったい誰なのでしょうか。
日本全国のPTAにおいて、同じ作業をやっているわけではありません。
やっていないPTAは「ずるい」ですか?
世界と比較して見ると、日本のPTAのあり方は任意でもなく、自主性もない状態だと言われています。
日本みたいなPTAをやってない、他国の保護者は「ずるい」ですか?
※話は少しそれますが、現代の日本の若者の自己肯定感は、世界と比較しても低いようです。他人を「ずるい」と言って引きずりおろす感性は、この状況にも影響しているように思います。
「私も苦労してきたことなのに、ずるい」などと言って、自分には何のメリットもデメリットもないのに他の人の足を引っ張ろうとする親がいるとしましょう。
その親のもとで育つ子どもは、自分自身に満足し、長所があると感じ、困難なことに意欲的に取り組んでいきたいと思える人に育んでしょうかね。
「自己肯定感なんて将来の仕事に関係ない、きちんと自立して稼いでくれさえいれば」という方もいらっしゃるかもしれません。
しかしOECD加盟諸国と比較すると、日本の生産性は平均以下なのをご存知でしょうか。
公益財団法人 日本生産性本部 「日本生産性本部、「労働生産性の国際比較 2018」を公表 」資料より
「グローバル社会で通用する人材を」と国やビジネス界が訴えているのに、労働生産性は世界の平均以下。
一日のうちでもっとも一緒に過ごす時間が長いことが多い大人や学校が、「無駄・不評・リスクがある」事態について「自分はやってきた。あなたもやらないなんてずるい」というロジックに基づいて行動するなら、その背中を見る子どもたちが「無駄・不評・リスク」を放置し、労働生産性をあげられない大人になるのも当然の結果じゃないでしょうか。
日本が労働生産性でグローバル社会の負け組になりつつあるなかで、PTAに関わる貴重な人材のリソースを「不評だとわかっている」ことに向けている場合なんでしょうか。
「井戸の中だけで吠えてる」間に、井戸の外はもっともっと進化しているかもしれません。
もう少し効率化したり、分散化したり、さらには学校と協働し、よりよい教育の機会を提供するために、「課題から目をそらさず、対話し、これまでと異なることにチャレンジする」親の背中を見せるべきときなのではないでしょうか。
6.義務ってどこに書いてますか?
「やらないなんてずるい」と言われますが、そもそもPTAは任意団体。そのなかで「やること」も任意だったかと思います。
「やることになってるんだからガタガタ言うな」という人もいますが、その発言が許されるのは、「あらかじめどんなことをするかをきちんと提示し、その活動をすることに同意して学校へ入学した場合」だけです。
それほど「やらなければならないこと」なのであれば、なぜ会則や入学書類に記載されていないのでしょうか。どうしてもやらなければならないこと、とお考えであれば、総会で会則変更について決を取らなくていいんでしょうか。
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私にしてみたら、本来いらないことに自分のまちの人のリソースが取られてる方が気持ち悪いと思うんですけどね…。
「他人が楽になるのはずるい」という感覚で、それを表明しちゃうような人たちが、その性格を直すのは難しいかもしれません。でも、せめて、その人たちが自分の「夢中になれる、ポジティブなこと」を見つけてそちらに夢中になってくれたらいいのになあと思います。
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参考書籍:フィンランドの教育はなぜ世界一なのか (新潮新書)
写真:toraemonさんによる写真ACからの写真
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