コロナ禍で存在を消された私たち 検査難民を忘れないで!

検査難民
発症月:2020年4月
ペンネーム:カズ
居住地:千葉県

新型コロナ上陸 

2020年初め頃、武漢でコロナが爆発した。
日本にもコロナ入ってきたと聞き、主人が銀座勤務で武漢のお客様が多いのと、息子が免疫不全ということもあり、素早く対応できるように、ネットで検索する。
いろいろな症状の中に腸炎というのもあり、「そうなんだぁ」などと思っていた。

2020年3月15日、主人が帰宅するなり吐く。
仕事先でも何度か吐いたらしい。
その日は早く寝てもらい、起きたら居なかったので「ああ〜良くなったんだなぁ」と思ってたら、16日「腹痛で歩くのも自転車も乗れない」とタクシーで帰宅。
珍しく4時に帰ってきた。早退なんかしたことない人なのによほど辛いのか?と思った。
腹痛の感じが普通ではないので、保健所に電話した。
しかし、「病院へ行って」と言われたので、病院に電話し、腹痛があることを伝えたら、「腹痛なら通常の診察だね」と言われ、そのまま病院に向かうことにした。主人は、

「歩くことができない」

と言い、車で出かけた。
病院で医師が「すぐに大きな病院へ行ってください」と言ってそちらへ移動したが、血圧とレントゲンのみで便秘と言われたそうで、浣腸を貰ってきた。
初見を見てくれた先生へのお手紙も貰ってきた。

「えっ?、CTとかは?」
 と聞いたが
「それはやってない」
 と、つらそうに答えた。

便秘と言っても主人は2日程度出てないだけである。
浣腸したらさらに腹痛がひどくなる。
「救急車呼ぼうか?」
と主人に言うがそれを拒んでいた。
大きな病院へ電話する頃には、さらに腹痛ひどくなっていた。

「閉塞とか急性大腸炎ではないのか」
と電話で問い詰めた。しかし、
「先生からはそのように言われていません!」と言われ、
「では、こんなに苦しんでるのにほっておくんですか?」と言うと、
「便を掻き出す程度はできるから」

ということで、再度、車で病院に行った。

帰宅後、主人は、
「便が指で届く範囲にないって言われたよ。」
と震える声で話した。

追加の浣腸と下剤をもらって飲んだらしい。
「とにかく便出るかなぁ」
と言いながら寝室に行くが、トイレに行っても出るのは水ばかり。

「色は?どんな色?」
 と聞くと、
「黄色いっぽい」
 と震える声で話した。

夜中、何度もトイレに通う音がした。
私も一睡もできなかった。
「朝イチで初見で見てくれた先生のところへ行った方がいい」と言ったが、

「今はとても動けない」
「午後一番で行くから」

と主人が言うので仕方なく見守ることにした。
私は、昨夜寝てないので少し眠ることにした。

ハッと目が覚めると、台所に先生へのお手紙がまだ置いてある。
時計を見ると、夕方4時。
急いで寝室に行くと、主人は仰向けで寝ているようだった。
ズボンも途中まで履いたまま。
声をかけても反応がない。
そばに行き、ゆすろうと触ったら、主人の体が硬直してて冷たい。
信じられない気持ちで救急車を呼ぶ。
すぐに救急隊が来てくれたが、もう自分たちの範疇ではないと、警察が来た。

それから色々大変だったが、死因はつかめず。
「解剖しますか」と警官に言われた。
私は解剖を希望したが、子供達が
「可哀想だからやめて」と言った。

死因が無いと死亡届が出せない。
「初見の先生に書いてもらってくれ」
と言われたので、お願いしに行くと、

「驚いたよ!
随分と雑な扱いされたね。
死因と言われても急性心不全としか書きようが無い」

と言われそれに従った。

今も納得がいかない。
大きな病院へ行って22時間後に亡くなるなんて絶対おかしい。

担当医にお話だけでも聞きにいかねばと思った。
初見で見た先生への手紙に

「もっと詳しい検査をしてほしかったらもっと早い時間に!」

と書かれてた。
大抵は、腹部CTも撮るらしいが、それもやってくれてない。
もしや、コロナだったのではと疑っている。

突然の体調不良

4月8日、朝、不快感で目が覚める。
吐き気、それもとびきりの吐き気。
急いで起きようとするが体が鉛のように重い。
トイレまで間に合わないと思い、あちこちつかまりながらキッチンへ向かう。
ビニール袋に吐くが、朝のせいか吐けるものが無く白い泡のようなものだった気がする。
今度はトイレに行きたくなったが、すぐ動けない。
壁伝いにトイレにやっと行く。その後横になり、色々考える。

コロナ?
でも、当時帰国者、濃厚接触者、4日以上の7.5度以上の熱。
これ以外は保健所に電話できない。

頭痛、咳、微熱、動けないような倦怠感、吐き気、これら4日我慢して保健所に電話したら、「上に書いた条件ではないので病院へ」
と言われ、電話を入れて、かかりつけ医の所に徒歩で行った。
普段なら5分程度のところだが、どれほど時間かかったかわからない。

病院へ着いて電話したら裏から通された。
先生は防護服を着てて、体にも触れない。聴診器すら当てない。
勿論血液検査もなしである。

問診後、「保健所は検査なんかしてくれないよ!」と言い捨てて、吐き気止めを出してくれた。

再度、保健所へ電話して詳細を話すが、

「検査は医師の判断です」
「まだ明日辛いようならコロナに詳しい方にかわります」

と言われた。

次の日、電話するとコロナに詳しい方が出てくれて、根掘り葉掘り聞かれ、最後には

「ご主人なくされて、ショックからの症状で はないですか?
精神的なものですね。でも、念の為外には出ないように!」

と言われた。
納得が行かず、県の有料相談に電話すると、「違う病院へ行って血液検査で白血球が数値高くても検査できますよ」
と言われたので、息子の主治医のところへ電話をして見てもらうことになった。

そちらでは、レントゲン、血液検査で、血圧や心拍数、聴診器、喉、とりあえずの検査をしてもらえた。
喉は赤く腫れてたが、白血球数は高くなく、検査には至らなかった。
先生は

「心因的なものではないかなぁ」

と話した。
ここでも心因性と言われてしまった。
とうとう、私は検査されることなく2週間ほど自宅で耐えた。
もう、悪化することはないだろうと少し安心していた。

続く倦怠感

2週間が経ち、やっとお風呂に入れると思いお風呂に入ったら意識が飛びそうになる。
もう治ったのではなかったのか?
頭痛も続いており、下痢も続いている。
そしてネット検索、まだ何も探せない。
そんな時、Twitterで「微熱組」というオープンチャットを見つけ、そちらに参加した。
私と同じような検査をしてもらえず、自分がコロナだったのかも分からず、でも不調がずっと続いてるという人が沢山いた。(当時、常時500人前後、最多の時で700人位いた。)

少し良くなると動いてしまい、また倦怠感がぶり返す。微熱が取れない。
中には7.5度以上出てたにもかかわらず検査してもらってない人もいた。
そこでやっとコロナ後遺症であるかもと知った。
時々、中国の人たちが乗り切ったという、様々なサプリの情報を話してくれる人が来ては、みんな食いつき気味に色々聞いていた。
でも、どのくらいの分量とか、組み合わせとかの話は無く、少し不安もあった。
ビタミンCを飲みすぎて胃を壊した方もいた。
倦怠感の他、胸痛を訴える人も多かった。
その部屋の雑談部屋で、「薬、漢方、サプリの乱用は怖いよね」と話したりもしていた。

たどり着いたのは、多少体調が良くなっても動いてはいけないと覚えた。倦怠感に耐えられず、かかりつけ医に相談に行く。

「コロナ後遺症でしょうか?」

と聞くと、

「コロナは風邪!風邪に後遺症なんてありません!」
「あなたコロナだったの?」

と言われるが、検査してもらってないから「そうです」とも言えない。

第一、この医者が防護服を着てて聴診器も当てず問診して、

「検査なんか保健所してくれないよ!
 とにかくしばらくは外出ないで!」

と言った医師。
しかも、その日は、電話で受付行っていいか聞くと、熱が下がってたり頭痛とか無いなら表でいいよとか言ってた。
他の病院行っても「コロナだったの?」と聞かれても答えようがない。

そして心療科を勧められる。
もう二度と医師にコロナ後遺症の話はしたくはない。

病院でこんなに傷つけられると、行くのも怖くなる。
6月、病院のドアに

「腹痛、下痢のみの方も電話してください!」

との張り紙が書かれるようになっていた。
主人を思い出す。
もっと早く気がついてくれてたら、主人は検査できて亡くなることはなかったかも、と涙が滲んだ。

7月、何となく調子の良い日が続いた。
安堵していたが、8月になり手足指の痛みが出る。
唇と舌も痺れている。
手は分厚く腫れている。
痛くて包丁も持てない。
お箸もうまく扱えなくなっていて、日常生活に支障が出るようになっていった。

この頃から検査難民の中から難病と診断される方も増えてきていて、かかりつけ医でリウマチの検査をするが異常なしだった。

その検査結果を持って、息子の主治医のところへ行くと、「確かに検査結果を見る限り異常ないね?」と言われるが、
「もう少し詳しく調べてほしいので、大きな病院へ紹介状を書いてもらえませんか?」
「知人から慢性疲労症候群ではないか?と言われました。調べたいです」
と言うと、「ああ~それもあるかもね!」
と総合内科を紹介してもらう。
この頃は、後遺症ということは言えなくなっていた。

総合内科の先生

9月だったか、娘に大きな病院へ連れて行ってもらう。
女性の先生だった。
「えっと、慢性疲労症候群は総合内科では無く、総合診療の方でないと診断できないんですがよろしいですか?」
「そうなんですか、、、」
「お話だけなら聞きますよ?」
と言ってくれたので、4月8日からの様々な症状や痛みの話をすると、優しくあちこち軽く押して、
「ここは痛いですか?これはどうですか?」
と親身に見てくれていた。
その時、急に

「4月8日という明確な日にちを覚えてるのはなぜですか?」

と聞かれ、少し考えてから

「コロナを疑い保健所と病院をたらい回しにされて、検査はしてもらえず、外には出るなと言われたので覚えています。」

と答えると、先生は

「確かにこの頃検査をしてもらえない人が大多数いたことは確かです。
おそらくコロナに感染して、その後遺症でしょう!
しかしながら、それを証明するすべがありません。申し訳なかったです。」

と言われた。
耳を疑った。
信じてくれる先生もいるんだ。
嬉しさでいっぱいだった。
救われた気がした。

先生は

「できる検査はすべてやりましょう!」

といい、検査スケジュールを立ててくれた。
100項目を超える血液検査、や心臓系、大腸、胃の検査、CT他色々。
何日かに分け、予約してくれてすべての検査をこなし、結果、膠原病陽性。
リウマチ科の先生に回せれた。
「この程度の数値では膠原病とは言えないよ。でも手も腫れてるし、追加の検査をしましょう!」
と言ってくれたが、結果異常なしの経過観察となる。

リウマチ科の先生も、パソコンを見て

「後遺症かぁ〜、治療法ないからできる限り気にしないほうがいいよ。」

と言われた。
この先生も否定はしなかった。

検査難民を理解してくれる先生は確かに存在する。
忘れ去られたくはない。
今も万全ではないし、民間療法で対処療法しかできないが、検査難民がどんな辛い道のりを歩み、マスコミに訴えたり、中にはホームページを作り、マスコミを呼び込んでくれた方もいて、後遺症はあちこちで公表されるようになってきた。
でも、検査難民が悲しく苦しい日々を送っていたということ、確実にそこにいたのだということに、どれだけの人が理解し、胸に置いてくれているだろう?

国にどうにかしてほしいとかではない。

検査をされなかったことで、陽性の証明がないだけで、苦しんだ日々をわかってほしい。

厳しすぎる検査の壁でどれほどの人が苦しんだのか?
おそらく、主人のようにひっそり亡くなった方も多いはず。
忘れて欲しくはない。
医療崩壊を避けるために犠牲になった人がたくさんいるという事実。

最後に、検査難民の皆さんが早く良くなるよう祈るばかりです。

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