コロナ禍で存在を消された私たち 目の前の現実
検査難民
発症月:2020年2月
ペンネーム:ゆめ
スタートの日
こんな日がくるとは思わなかった。
2020年2月より以前は仕事もして、運動もして、買い物に行く、遊びに行く。当たり前に元気に過ごしていた。
2020年2月上旬、片方の鼻の奥に少しの痛みと違和感があった。空気が痛く感じ、鼻の奥につまった感覚があるが実際は何もなく、片方の鼻だけ乾燥していた。
毎日続いていたが悪化するなら病院行こうくらいで、まさかこれが苦しい日々のスタートになるとは思わなかった。
2週間くらいした頃、お腹と腰に激痛が走り、こんな激痛の腹痛は初めてであった。この頃異常に汗が出る時や、時々下痢もあった。
最初の症状から3週間すぎた頃、その日は下痢、頭痛、怠さがあり、午後には異常な肩こりと全身の筋肉痛のような強い痛み、息苦しさ、胸の圧迫感が出て来て、体温を計ると微熱だった。
少しだけ食べたラスクが味を感じず、カフェラテを飲んでみると普段飲んでるものなのに異常に甘く飲み込めず味覚がおかしいと感じた。
次の日も体全体に症状があり、目がしみて熱さを感じた。食欲不振、関節痛、背中の痛みなど他にも初めての感覚が多く出てきて普通ではなかった。
午後に相談窓口へ電話し次のように聞かれた。
「武漢に行きましたか?
もしくは武漢から帰国の人に接触しました か?
陽性者と接触しましたか?
高熱が4日以上続いていないですか?」
どれもあてはまらないことを伝えると、
「当てはまらないのでPCR検査は必要ないで す。外来受診してください。」
と言われる。
「外来で大丈夫でしょうか?移してしまわないかと心配です。」と話すと、
「高熱も続いていないですし大丈夫です。
電話してから普通に病院受診してくださ い。」
と伝えられた。
検査するのに“しばり”があった頃である。
「自分が陽性者だったとして、外来にいき他の人に移したらどうしよう、家族に移したら……」
自分では今までの風邪とはあきらかに症状が違い、過去にインフルエンザにかかった時とも違った。更に同じ症状が出ている家族がもう1人いたため新型コロナを疑った。
偏見も強い頃なので、陽性者となった時
「この場所に住んでいられるのか?
子どもも学校生活送れなくなるのでは?
マスコミや役所の発表により特定されるの ではないか?」
と体のことを考えながら、自分達の置かれる立場を想像し、恐怖を感じ最悪な状態も考えたのだ。
あの頃の日本の新型コロナの認識は、報道では中国やダイヤモンド・プリンセス号での感染や国内で数人感染と、世界的に新型コロナを恐れながらも、市中感染を疑う人がまだ少ない頃である。
なので、高熱続き、武漢しばり、陽性者と接触に当てはまらない私と子どもは、PCR検査の対象から外れた……
病院へ電話し、事情を説明すると外来でいいと言われ、周りに感染させるのではないかと不安になりながら向かった。
この時には、咳、頭痛、首の痛み、気管支の痛み、心臓がバクバクしてくる、肺の痛み、左側の手から肩にかけてしびれも出てきて息苦しく、とにかく体があっちこっち痛かった。2階に上がるだけでも、山登り並みの息苦しさと体力を使う感じできつく、途中で座りながら上がった。
病院につき診察が始まった。全て症状を伝えたが問診と聴診器のみだった。
医師「気のせいもある。症状が色々ありすぎ る。」
私「コロナではないでしょうか……?」
医師「これ位で調べるとなると皆調べること になる。コロナかもしれないがだとしても検査はしません。」
私「血圧上が165はいつも120〜130台なので大丈夫でしょうか?コロナも血圧に異常示すと見たことがあります。」
医師「気にしすぎ!自宅でゆっくり休んで風邪薬出すから!」
と少し怒り気味に言われた。
ただただ必死だった。
周りに移すのでは?死ぬのでは?という恐怖、この痛み苦しさ辛さを早く取り去りたい。コロナであれば隔離出来るから周りに移す心配が減り、もしかすると何か薬を投与してもらえるかも。助けて欲しい気持ちや恐怖、不安で感情がグルグルと忙しく回っていた。
その後も症状は変わらず、夜中息苦しさと動悸で目が覚めた。血圧を測ると170後半の数字が出て、24時間電話相談に電話した。
日頃の症状と血圧を伝えると少し笑いながら女性は「よくある事です。血圧も気にするほどではないです。」と言った。
血圧が普段高くないこと、夜中に上がってることが怖かったので伝えても、半笑いしながら「気にしすぎです。高熱続いてないですよね?」
これ以上話しても何も前に進まないので様子を見ますと電話を切った。
体がきつく息苦しく不安な中、半笑いの対応はショックであった。
体調が全くよくならず後日再度病院へ行くと、前回とは違う医師だった。
その先生はレントゲン、心電図、血液検査、尿検査(1週間後結果)をしてもらえた。
気持ちの問題も可能性があると言われながら、
「症状を感じてるという事は何かあるかもしれないから、考えられる血液検査はしておきましょう。
ただ、医師はこれだけ症状を色々言われると心因性と診断しやすいです。」
そう話し、検査をしてくれた。この時コロナに結び付けなくても、何かの可能性を考え患者に寄り添ってくれた医師の言葉に嬉しくもなりお礼を伝えた。
もしかすると何か見つかるかもしれないと少し期待があった。
そして、このように考え動いてくれる医師は数少なかった。
一部検査は多少数値のアップやダウンがあるものの異常なしの診断。
「こんなにも体に症状は出ているのに、
こんなに苦しく痛いのに、何故“血液検査は異常なし”と出るのか?」
悔しい気持ちと悲しい気持ち、この症状はなんなのだろう?このまま症状が消えないのでは?と考えていた。
この時、私達親子は、他の家族に移さない為に、自宅隔離をし、全員家の中もマスク、各部屋換気、トイレもわけ、お風呂もしばらく入れず(体がきつかったのもある)、食欲は全くなくなったが食べ物や飲み物はドアの前に置いて去ってもらってから開け、全て捨てれる物を使用し、ゴミは袋に入れベランダに出していた。触った物はアルコール消毒をし、ゴミにもアルコール消毒をしていた。家族にはなるべく部屋に近寄らないでもらっていた。
症状は日内変動を起こし、良くなってきたり悪化したり波があった。
他の検査結果を聞きに2020年3月、3回目の受診。また別の医師である。
結果の用紙を渡され一言。
「特に異常ないから、この症状については診察もう終了。」
と言われた。
胸も痛く咳も出ると伝えたが、
「安定剤出すから。気の持ちようもある。
これに関しては診察終わりだから。」
「コロナ流行ってきているけど、それだとしてもここでは検査出来ない。
保険証使えるようになったみたいだけど、どこで受けれるかはわからないからね。
ここでは出来ないから自分で探して。」
と淡々と言われ、私はどうやって探す?この先受け入れてくれる病院はあるの?どうしよう体はきついのに……と不安になった。
とてもキツく苦しく、痛くて病院にくるのもやっとであった。
その状態でも数値には表れず、不安と恐怖がある中かけられた言葉に悲しくなり、世の中から見捨てられるような恐怖を感じた。
自宅療養をしながら、SNSを開くと似た症状を訴える人が何人もいる事で、やはり気のせいではないのだと確信した。「親子で同じような症状が同じ時期から出ていて、SNSにもこんなにいる。この時期もしくはもっと前からすでに市中感染は始まっていたのでは?」と思った。
そして、そこで情報交換や励まし合い相談していた。海外の方からの情報もかなり参考になった。
私にとって、SNSが信じてくれる人がいる場所であった。
何故なら医師も信じてくれず、健康な家族からも家事が疎かになっていたので、早く普通に戻ることを求められていた。
悲しくなる事もあったが、SNSで海外の方や初期に症状がある人達のお陰で気持ちの面でも、お互いの症状、病院情報、サプリや食べ物を気をつける事など知る事ができ助けられる事が多かった。
ただ、振り返ると一部正しかったのかはわからないような情報もあった。
皆何が効くのか、どう対応すれば良いのか体験しながら手探り状態だったのもあるだろう。
情報交換で得たサプリや食べ物は色々な物をかなり試した。自分達でなんとかしなくてはならない状態で、自分の体でいわば人体実験をせざるを得なかったのである。
SNSをしていなければ、情報もなく助けのない中で恐怖は増し、辛くてどうなっていた事か。
情報共有出来る場所は必要である。
《子ども》
同じような症状が出始め同じ病院へ行き、私とは別の医師が診察した。(ここは数回受診した。)
症状はほぼ同じで、嗅覚異常(強い匂いの物もほぼ匂わない)、低血圧と目眩もあった。
医師「精神的に不安を感じやすい性格などそれも影響してるかもしれない」
レントゲンで心臓が小さいことについて、(過去のレントゲンで指摘された事はない)
「水分不足で心臓が小さくなるから」
この頃は緑茶、スポーツ飲料、野菜フルーツジュース、トマトジュースを飲んでいた。
味覚異常も伝えたが
「栄養不足からも味覚異常なるからね。」
と言われ、今ならコロナの症状に当てはまることでも当時はことごとく否定されていた。
そして、
「コロナは子どもはかからないから。」
と言われ、当時はこれが医師の認識であったのではないだろうか。
医師が違えど共通して言われたのは、気持ちの問題。心因性である。
1ヶ月過ぎてもあらゆる症状が治まらず、保健所へ電話した後に大学病院の一般外来を勧められた。
大学病院で多岐にわたる症状を大まかに伝え、症状の経過を書いていた用紙を見せた。
すると男性医師は
「コロナではないかと、自分が安全であるか知りたいが為に検査にくるやつばかりだ!」
最初から怒って話しをされ、一言もコロナという言葉をこちらからは言っていないのに怒って話し始めたのでとても驚き詳しい症状など言いづらくなった。
長く続く辛い症状の原因を知りたい。
治したい気持ちで病院にきているのに。
日々の症状を記入していた用紙を見て
「こんなにまとめて親が神経質だ。こんなことしてる暇あるなら子どもの足をさすってあげなさい!」
とずっと高圧的に話してきたのである。
経験したことのない症状が出て、家族で2人同じ症状があり普通ではないと思ったので、今後の為にと経過を残していたが怒られると思わなかった。
当たり前だが、子どものことは心配で自分の体もきつかったが気を張ってみていた。
この病院に何度か受診し、行く度に体調は変わらずに悪いと伝えると同じ医師からは毎回怒りをぶつけられた。たまに他の医師が様子を見に来ていた。
受診日は
「今日も怒るのかな?診察室医師と私達だけは怖いな……」
と思いながら通った。
言いたいこともあったが、大学病院でこの先診てもらえなかったら困るのと、恐怖があり毎回静かに聞いていた。
「テレビで報道されてる奴らみたいなコロナ脳には頭来るんだよ!
コロナコロナ騒ぎすぎ。皆自粛によるストレスの人が体調不良になってるだけ!」
いきなりそんな話をされた事もあり戸惑った。
「コロナは年寄りや中高年がなる病気だよ!」
「親子で同じ症状というのも、ストレス!ストレスなくなれば治るよ!
休校で学校に行っていないのがいけない。友達と遊んだり学校行くようになったら治る。気持ちの問題!
お母さんも気にし過ぎるからこうなるんだから、お子さんがこうなってるのも親のせいでもある。運動もして。」
と体が弱ってる中、辛い言葉ばかりだった。
他にも医師としてその言葉を口にするのだろうかかと大変驚く言葉も発していた。
あまりに衝撃的な言葉ばかりであったので、この医師とのやり取りは一人の友人には伝えていた。
その後、念の為、親子で、医師から言われた通りの筋トレやウォーキングなど出来る範囲ですると、クラッシュを起こした。
多くの症状が強くぶり返し、特に倦怠感は強くほぼ動けなくなった。
子どもはトイレに支えられてではないといけなくなり1日中布団の上で過ごしていた。
そして、行くたびに高圧的な態度に子どもも私も病院の日は胃が痛くなり、辛くもなり余計に体調が悪化するので行くのをやめた。
発症から三ヶ月後
PCR検査を自費でしてくれる病院を見つけ、症状が続いていたので受けに行った。
日にちが経ち過ぎていたので陰性だろうとは半分思っていたが、今も体の中にウィルスがあるのかもしれない、新たに感染しているのかわからない為検査をした。
この頃の症状は、脱毛、筋肉の痙攣、関節や血管の痛みなど他にも次から次へと出てきていた。
ずっと検査出来ずにいたのもあり、当時再陽性報道もあった為、ウィルス保持していたら人に移すと思い3ヶ月間家でもマスクをし、家族との接触も最低限とし過ごしていた。
結果は陰性。
安心しながらも、もっと早くあの時検査をしたかったとやはり思ってしまった。
あの頃どの病院も検査まで辿り着けず、保健所、病院とPCR検査やCT検査拒否され続け、症状も心の問題と言われ、絶望と医師に対しても不信感がその頃は出ていたのである。
ただPCR検査を自費でできる病院はかなり少なく、嫌な顔せず受け入れてくれた病院には感謝している。
その後の私達
【コロナ後遺症】という言葉を発信していた医師を見つけ、遠かったが受診した。
患者の言葉を信用し、弾かれた存在で検査難民になっていた私達の存在を認めていただき、助けようとしてくれる医師に出会い、嬉しさと先生の優しさに初診時に涙が出た。
「少し前からあなた達のような症状を訴えてる患者さんが増えてきてます。
嘘だとも思っていないし、似たような症状が続いてる人が私の元にはいらっしゃってます。」
と話してくださり、高圧的でもなく、患者に寄り添ってくれる医師に、「まだ治る可能性がある!信用してくれる医師がいる!」と思えた。
そこで以前とは違う項目含め血液検査をすると、一部に親子共に異常値が表れ、
「この状態でよく頑張ってきたね、
きつかったでしょう。」
と見つけてもらえ理解し寄り添ってくれた。心も少し軽くなった。
漢方や薬を処方してもらい、食べ物(例えば無添加やグルテンフリーなど)や生活習慣のアドバイスをもらい実行していくと、ゆっくりゆっくりだが動けるようになっていった。
その医師からはコロナ後遺症疑いと診断していただいた。初期に検査が出来なかったので疑いとの診断名になった。
PCR検査をしなければ陽性とも陰性とも判断されない。疑いとの扱いで、後遺症が出たときその後の別れ道にもなっている。
更にSNSをきっかけに、大きな病院に結びつけてもらえることになり、親子でSPECT検査もしていただけ、
「脳血流が低下している所と過剰な所がある。」
「コロナに感染したかは当時検査をすぐにしていないのでわからないが、何かに感染して今の症状を引き起こした可能性はある。」
と話され、その時の症状に合わせた薬と効くのかもしれないと実験的に飲む薬もあった。
ようやく数値として体の異変を見ることが出来た。
手探りでここまで8ヶ月かかった。
そこからこちらの病院は今も親子で定期的に通院している。
《子ども》
子どもは学校生活が今までのように送れなくなり、教室で1日1〜3時間授業を受けるのが精一杯である。
週に1〜3日行けるか行けないかであったが、学校、担任の先生、養護教諭の理解があり、オンライン授業や課題提出を最初は認めてくれていた。
ただ、疑いとの診断なので出席停止扱いにはならなかった。
国から決められた事で、オンライン授業は出席日数に入らないと説明された。
子どもの友達も気にかけてくれて、勉強面やいつものように話をしてくれたりと助けてくれたことや普段と変わらない接し方には、子どもにとって1人ぼっちとの感覚にならずにすみ安心出来ることでもあった。
ただ、症状が長引けば想定はしていたが、一部の子にはネットの中で悲しい言葉を言われていた事もあった。
そして、多くの症状により通院の過程で線維筋痛症・ME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)と診断もされた。後遺症がある一部の人はこの病気を発症している人もいる。
あの日から1年10ヶ月
親子で今も完全には治っておらず、残っている症状や新たに出てきた症状もあるが、一時の酷かった時期よりは寝たきりではなく動けるようにもなった。
鍼灸とEAT(上咽頭擦過療法)に定期的に通っているのもプラスに働いてると思っている。
私は1日をそして毎日を、世間の多くの人達のように仕事をしたり活動を持続させる体力ではまだない。
親子共にクラッシュを起こさないように、なるべく無理しすぎずに生活している。
最後に
この体験をもう1度は、さすがにしたくない。
元気に過ごせる事に越したことはない。
今はマスコミでも報道され、一部の医師達から発信して頂いたり、SNSで同じ症状の人が増えたのでだいぶ理解もされるようになったが、当時はPCR検査もすぐには受けれず、世界で後遺症の話が出始めた頃、日本では公で認められていなかった。
SNSでも嘘つき、そう思い込んでるだけの心の病気の人、頭がおかしい、コロナ脳、など否定的で傷つく言葉が飛び交っていた。
今も見かけることがある。
その辛さからSNSを去っていく人もいた。
多くの医師達も心因性と決めていた。
そのような日々を過ごしてきた中、助けてくれる人や医師とも出会えた。
それが目の前の現実であった。
そして、初期に感染した可能性のある人達が、検査拒否によりはじかれた人となり、今も新型コロナ感染からの後遺症として認められず(違う病気の人もいたかもしれない)、後遺症外来が出来ても一部の病院では診てもらえなかったり、正しい診断や検査に辿り着けない人もいる。
後遺症外来ができた事は喜ばしいが、検査で陽性だった人と、今も線引をされた状態なのである。
証明する事が出来なかった人の別れ道にも繋がる。
公平なケア体制を作る必要がある。
同じように苦しんでいて検査拒否された初期の人達、検査しても陰性だったが症状が続き後遺症がある人、同じように苦しみ後遺症に悩んでいる。
私達はあの時、経験したことのない体調の変化があった。
そして今も以前のように動けない人達がいる。
現実、ここに存在している。
きちんと診てくれる医師に出会える人ばかりではない。
心因性で片付けられ1人苦しんでる人もいる。
私もある医師に出会うまでは、信用してもらえない状況に辛さ不安絶望を感じた。
当時の経験から、保健所も病院も大変だったと思うが心因性だけで診断せず、可能性のある検査もして、今まで学んできた事や経験した事、マニュアルなども大切だが目の前の患者の訴えに寄り添ってもらいたい。
高圧的な対応はするべきではないと自身の経験からも強く思う。
当時は、未知のもので難しかったとは思うが、他国から比べて、PCR検査など検査のしばり、コロナ対応、症状出てる人への対応、後遺症についてなど、認めてくれるまで長かったのではないだろうか。
後遺症で「働けなくなった人、家事が出来なくなった人、身の回りのことを1人で出来なくなった人、通学出来なくなった人」のことを見ないふり、居なかったことにするのではなく、救済策を早急に検討し対応していただきたい。
同じ状態の症状の人達は症状がいくつもあるので、それに合わせて数ヵ所通ってる場合もある。
通院する事も体に負担がかかる為検査がない時などは、どこの病院でもオンライン診察を受けれたり、近くの病院でも診察や対応を出来る体勢も整ってほしい。
この後遺症状により入院した時、保険が使えず自費扱いで高額となった。働けないが医療費はかさむ……。医療費の部分も検討していただけたら助かる。
また、様々な観点から考えても後遺症について原因を究明し、治療薬を見つけるなど研究も早急に力を注ぐ必要がある。
そして学校について、病院で診断を貰った児童・生徒に対しては、オンライン授業の整備やオンライン授業を出席と認めるよう動いてもらいたい。
行きたくても体が動かず通うことが難しくなった生徒もいる。通える時は勿論通学する。回復過程で学ぶ場を狭めず、柔軟な対応で救われる生徒はいる。
経済的救済、社会保障などの支援、医療体制の整備、学校、世の中での理解、大変であるが一つでも早く対応してもらえると救われる人達がいる。
理解をしてくださり、少しずつ動いていただけている議員の方や、コロナ患者、後遺症患者に寄り添い、研究、診察、発信してくださる医師の方々がいる事も事実であり感謝している。
回復している人も多くいるが、なかなか体調が良くならない人もまだまだいる。今より多くの人が理解され救われている世の中であっていることを願う。
そして、当たり前に出来ていた事、過ごせていた日々がかけがえのないものだと心底実感した。
これからも1日1日は貴重であり、生きれていること、頑張ってきている自分の体、助けてくれている人達にも感謝し大切に過ごしていく。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
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