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命について考える

”命は有限”なんてことをきっとみんなみんな
分かってはいて
でもなんだか忘れかけてしまう
忘れているわけではないんだけれど
こういう試練を与えようとしてくる。

命の重さを再認識させるためなのか
命の儚さを再認識させるためなのか
地震大国の日本では
定期的に震災や天災が起こる。

私は阪神淡路大震災の時には
生まれていなかったこともあり
幸いにも大きな地震に遭遇したことはなくて
本当の恐ろしさという物を知らないのかもしれないけれど
報道やSNSを見ていて思うのは
自然を前にすると本当に私たち人間は無力であるということ
自然を前にできることなんて限られているということ
当たり前という物は脆くすぐに崩れてしまうということ
会いたい人に会えること
食べたい物を食べられること
暖かい布団で寝られること
そんな当たり前は当たり前ではないということ

そんな中でも、被災地の方は絶望の中に希望を見出そうとしたり
少しでも光を探そうとしているように見える
お正月だったから助けられた命もあれば
お正月だったから失ってしまった命もあって
それにより、通常であれば起きなかっただろう事故も起きて
こういう有事の時は誰のどの立場に立っても
しんどくて悲しくて胸が痛くて
救われた命が暖かくて
ふと涙が出てしまうことがよくある。

試練っていうには本当に惨いし
私たちは無力だし。

日本全国や、世界各国からの支援を見て
人の温かさに涙をしたり
地元の消防車がテレビに映ってちょっと誇らしく思ってみたり
それと同時にご家族は心配だし不安だろうなと
想いを馳せてまた涙を流したり
目の前にいることが分かっているのに
どうしようもない状況に涙したり
涙が不意にこぼれることが多い

こういう有事の時には
残された人が”生存者の罪悪感”という物を
感じることが多いらしい
私が生きていていいんだろうか
なぜ私が助かってあの人が。。。等々
どうか、そんなことを思わずに
たまには空に思いを馳せながら
綺麗に生きなくてもいいから
せめて罪悪感を感じずに生きて欲しい
私があなたの立場になったらきっと
同じように罪悪感に押しつぶされそうになると思うけれど
きっとあなたが思いを馳せている人は
あなたが生きていてよかったと思うはず

そんな私にできることは
手薄になっている地元の消防士さんや
病院のお世話にならずに健康的に過ごしたり
微力ながら募金をしたり
共に心を痛めたりすることしかできないけれど
どうか、どうか
日本に晴れ間が訪れますように。

Lily.

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