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「不在」の存在感~『くまとやまねこ』

『くまとやまねこ』
作:湯本 香樹実
絵: 酒井 駒子
河出書房新社/2008年

私の母は最近、一番仲の良かった姉を亡くした。
旅立つその瞬間の三時間前まで元気だったのに。
あっけないほどあっさりと逝ってしまった。

私はこの本を子どもの頃に読んだらどう思っただろう。
この黒一色の絵が不満だったに違いない。
そして明快な線で囲まれることのない、繊細な黒の濃淡の絵を嫌っただろう。
アニメっぽくないものは「古臭くてつまらないもの」だと思い込んでいた。
読みもしないで表紙の絵を一瞥しただけで「きらーい、つまんないもん」と言っただろう。
そのくらい、幼い私は、とても満たされていた。

この絵本の背表紙は落ち着いた色調の桃色だ。
おもて表紙は手梳きの紙のような混じりもの入りの温かみのある薄茶色の地色に中央部分の黒一色で描かれた「くま」と、その肩にちょこんと止まる「ことり」の図でできている。
くまは向かって左を見ている。ことりは右を向いている。
その視線の先には小さな花がある。ことりは花を見ているのだろうか。

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母は姉を亡くして明らかに落ち込んでいた。
初めて実の「姉妹」を失った。
親を失うことは、悲しいけれど、順番だから仕方ない。
しかし「兄弟・姉妹」はそうではないらしい。
「自分の番」が近づいていることを否が応でも感じるらしい。
何よりも突然すぎる別れに「不在」をひしひしと感じている。

幼稚園のころ、年少さんの途中から来なくなったクラスメイトがいた。
私と彼はあまり親しくなかった。Hくんという。
Hくんは色白で無口で、先生に注意されていることが多かった気がする。
私はきっと彼とは関わらないほうがラクだと思っていた。
とても無邪気に損得勘定をふるっていた。

くまは親友のことりを失って、涙を流すところから話は始まる。
ページの中央部に、ぼんやりと丸く窓をあけたようにくまの姿がえがかれる。
余白が目にしみる。
この絵本はほとんどのページがこうなのだ。
中央部に描かれた絵はふちをぼかしてある。
たっぷりとした余白の中に黒一色で描かれる。

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母の姉は亡くなるその晩、夕飯の準備をしていた。
高齢の一人暮らしだったけれど身の回りのことは達者な人だった。
しかし、突如体調の異変を感じて自ら救急に連絡をいれた。
そして母が病院に駆けつけた直後、母の姉はあっけなく空へ旅立った。

翌日、母は主のいなくなった自宅のテーブルの上に残された、わずかに手のつけられた夕食を見た。
それはあまりにもくっきりとした「不在」だった。


私が年長さんになってからもHくんは来なかった。
ある朝、担任の若い女性の先生が泣きながら教室に入ってきた。

  ”Hくんが昨晩天国にいってしまいました”

彼が昨年からずっと入院していたのだと後から理解した。
病院でずっと何かの病気と闘っていたのだ。
Hくんの名前のついたかばん置き場は年長さんになってから一度も使われないままぽっかりと残っていた。


ことりの死を抱えたくまは偶然やまねこと出会う。
やまねこは親友を失ったくまのためにバイオリンを弾く。
その旋律を聴きながら初めて絵本の一部に色がつく。
やさしげな桃色。
それはことりの名残だった。

くまはことりの「不在」をしっかりと受け止めて
新しい一歩を踏み出す。

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「不在」は悲しい。
でも無視をするにはあまりに「不在」の存在感は大きい。

「不在」を受けとめることは大人にも難しい。
でも「不在」と「存在」をもう一度結び直すことはできる。

年老いた母にバイオリンを弾いてあげられたらどれほどいいだろう。
そして幼かったHくんのことも、いまさらだけど、少しだけ「不在」と「存在」をここで結ばせてほしい。

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