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内祝いという制度を抹消したい

内祝いという制度は、自分が子供を産んで初めて知った。恥ずかしながら。29歳の時だった。

20代前半のちゃらんぽらんな時、高校時代の友人が出産したので張り切って出産祝いを送った。とっても可愛いジルスチュアートの子供用ダウンだった。後日、その友人からバスタオルが送られてきた。ジルスチュアートの。

はて。


と、私は思った。内祝いを知らなかったからだ。
このバスタオルは一体どういう意味なのかしばし考えた。
そしてたどり着いた答えは、「なんかよくわからんけど気使わせたな!!!」だった。

正直凹んだ。距離を置かれた気がした。こちらが贈ったものは100%受け取ってくれる方がありがたかった。何十%か返されても困る。あれが一般的な日本文化だと知ったのは数年後の事だった。

内祝いという制度は間違っている。

初めてそう強く思ったのは、よく知らない親戚が出産祝いにと現金5万円をくれたことがきっかけだ。
赤子に5万はでかい……。5万あれば大抵の物は買える。正直ほぼ会ったこともないし、向こうも私のことなんかそんなに覚えてないだろうに親戚という体裁ゆえに5万円もの現金を頂けるなんてラッキーだ、なんて思っていたら。

「あんた内祝い決めときよ。5万やから半分は返さないかんで」
と母に言われてそれはそれは驚いた。

なんだって………?5万円現金でくれた親戚に2万5千円分お返しする、そんな馬鹿な話があるのか。じゃあ最初から2万5千円でいいのに……。楽天ポイントでもつけなきゃやってられねーレベル!!(貧乏性)

そんな事を思いながら、息子を出産した後内祝いの品を楽天で選びながら私は思った。


もう私の理解の範疇を超えていた。

ふいにプッツンした。非常識と言われようと、内祝いは返さない。そう心に決めてから、自分の友人や、夫のお店のお客さまから頂いたお祝いにお返しをしなかった(クソ嫁)
夫も夫で文化や常識がないので「別にええやろ」といったスタンス(似た物夫婦)

するとどうなったか……

なんと、どうもならなかったのだ。

お祝いをくれたお客さま方は相変わらず夫の店に飲みに来るし、友人は友人のままである。まぁ心の中では「非常識な奴らだな」と思われているかもしれないが、そもそも私が相手に何かを贈った場合、そういう事を思わない人間なので、そんな事でいちいちもやもやしてしまうような人には関わりたくない。※もちろん、お祝いを頂いた方々に何かお祝い事があればその都度お祝いは贈った。

何より、めんどくさいと思っている人は少なくないはずである。お祝儀然り、年賀状然り、それが一般常識だから、非常識だと思われたくない、という考えがこれまでもあらゆる文化のアップデートを阻んできたのではないか。

そもそも今では内祝いとは「お祝いのお返し」という考えが一般的だが、元々はお世話になっている方や親しい方を家に招待し、赤ちゃんのお披露目をすることも兼ねて家でお祝いの席を設け、お招きした方々をおもてなしすることが、一般的な内祝いのやり方だったようだ。プラスそれに手土産を渡したり、宴に参加できなかった方には代わりに品物を贈ったり。

昔は今よりも医療も発達していないので妊娠出産、しいては産後も色んな人の助けが必要で、支え合って生きてきたからだろう。分かる。これが村社会を生き抜く為の先人の技。超分かる。それがあったから縄文時代も長く続いてきたのだ。
が、本来こういった内祝いの方法が、時代の変化に合わせて贈りものを返す、という今のスタイルになっていったようだった。

改悪してどうする(憤慨)

そもそも誰も祝い品の半返しなんて言ってなかったのに、そんな事を言い出したのはどこのどいつだ?いつの間にすり替わった?企業の陰謀なのか?バレンタイン商戦と同じにおいがするぜ!!

もうやめませんか……もういいでしょ。
いい加減にしましょうよ。文化という名の呪縛は。




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