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「芸術」「美術」言葉の起源について

本記事は「日本アート大国化戦略」の一部として執筆しています

- 現状把握
--- 西洋美術と日本美術の違い
------ 混乱① アートと芸術と美術の言葉の整理←いまここ
------ 混乱② 洋画・日本画
-------混乱③ パリ型アートの屈折した発展
- 方針
- 課題 / やることの整理

美術という言葉が生まれた時

女子美術大学 石井 拓洋 より http://www.iiitak.com/topic/word_history_of_bijyutsu.pdf

日本で初めて『美術』の語が登場するのは、明治5年 (1872) 、国民へウィーン万博へ出品勧誘のための官令
「英語からの翻訳であり、この訳語を考えたのは大鳥圭介 (※西洋軍学者、官僚、外交官) であったとされる」( ※ 英語とは “ Fine Art ” )
・ 「音楽画学像ヲ作ルノ術詩学等ヲ美術ト云フ」
(※音楽、絵や像をつくる技術的仕事、詩を作ることなどを美術という )
「 『美術とは、図画彫刻模型家屋の装飾等の工芸を云うなり、英語にて之をファインアートと称す、凡そ美飾美観ありて人目を娯ましむる物を作る術なり、、、、美術の字穏当ならずと雖も (※いえども)今姑く (※今し䜀らく) 之を襲用す」 ( 大鳥圭介「日本美術」 、『工業』 第10号、1877年 )
※ 「美術の字は、無理がなく自然だというわけでわないが、とりあえずこの語を使ってみたい」

以下 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E8%A1%93 より

「芸術」という訳語は、明治時代に西周によってリベラル・アーツの訳語として用いられたことに由来

西 周(にし あまね)さんの翻訳実績

西洋語の「philosophy」を音訳でなく翻訳語(和製漢語)として「哲学」という言葉を創った[8]ほか、「藝術(芸術)」「理性」「科學(科学)」「技術」「心理学」「意識」「知識」「概念」「帰納」「演繹」「定義」「命題」「分解」など多くの哲学・科学関係の言葉は西の考案した訳語

この件について納得の記事があったので引用

明治6(1873)年のウィーン万国博覧会に参加するにあたって、『アートには「芸術」、その中のファインアート(fine art)という言葉には「美術」』という言葉をそれぞれ充てました。そこから、描かれたものを日本美術と捉える概念が広がっていったのです。
このように訳したことは私たちが抱えている最大の悲劇だと高木さん。芸の「術」、美の「術」と訳したことで、方法・技を注視することになったのだと言います。

まさに最大の悲劇

このウィーン万国博覧会には金工・漆芸などの工芸も出品されました。その時工芸は「クラフト」と訳され、これもまた大きな悲劇を生んでいるそうです

みんな工芸 = アートとなっちゃてるもんな

その結果↓こういうことになってしまったらしい

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ウィーン万博って?

1873年5月1日から10月31日までオーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーン中心部にあるリングシュトラーセ内・プラーター公園で、開催された国際博覧会
約1,300坪の敷地に神社と日本庭園を造り、白木の鳥居、神社、神楽堂、反り橋を配置したほか、産業館にも浮世絵や工芸品を展示
名古屋城の金鯱、鎌倉大仏模型、約4m高さの東京谷中天王寺五重塔模型、直径2mの大太鼓、直径4mの提灯などを選び、ワグネルは西洋の模倣でしかない機械製品よりも、日本的で精巧な美術工芸品を中心にしたほうがよいとし、日本全国の優れた工芸品を選んだ[3]。神社と日本庭園は大いに評判となり、展示物も飛ぶように売れた[3]。ウィーンでもジャポニスムが注目され、その後1890年代の分離派画家グスタフ・クリムトの日本文様を意識した絵画などに受け継がれていった


質問にお答えします

以下の動画のコメントより一部抜粋
https://www.youtube.com/watch?v=zFxtuU_Xh_w

伊藤友生 • 5 日前
物質的な絵を「所有」する、という概念を転換した時には…今まで1人の人が1億円の絵を購入して所有していることが評価になっていたのが、1億人が1円をアーティストに送金して評価するという現象になる可能性はあるんですよね。まあこれは極端な例えですが、実際にはYouTubeのスパチャや少し前ならソシャゲの課金、もっと前ならニコ動の振り込めない詐欺みたいな流れがあります。
アートがこの鑑賞者側の変化を認めるにはまだ時間がかかるのかもしれないですが、そのプラットフォームとしてArtStickerか何かそんなようなものが機能すれば面白くなりそうだなぁと思ったりしました。
ニコ動の振り込めない詐欺というのは、ちょっと記憶が曖昧なので説明が間違うかもしれないのですけど…ニコ動の動画で「これはすごい」みたいなタグが付くような動画があったりした時に、その当時、多分15年くらい前?にはニコ動にはうp主に直接金銭的な評価をする機能がなかったんですね。振り込みたいのに振り込めない、振り込めない詐欺、みたいなタグが付くようになりました。
タケウチクニハル • 6 日前
デジタルデータってあくまでデータなんで再現性が無くって、自分の描いた絵の色が全く違う色で再現されてもアーティストとしては納得できるんでしょうかね?あと、質感の表現が出来ないし。
Makoto Maruyama • 1 日前
元はデジタルデータなので、希少性は大きな問題です。しかし「複製芸術」については既にベンヤミンが論じていますし、アンドレ・マッソンなどもリトグラフを作っています。日本なら浮世絵は版画で、同じようなものを沢山刷っていますね。
希望としてはまずデジタルでも課金等して販売できるシステムの構築、或いはYouTubeのような広告で収益化できるシステムの構築でしょうか

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以下次回以降のメモ -  記事出来次第移動します

memo 日本画ってなんやねん?

フェノロサが最初に使った「日本画」という言葉は、西洋から渡来した油彩画に対して、それまでに日本にあった図画全般を単に指すものではなく、中国や朝鮮半島に由来しながらも、日本の中で熟成、独自に発展した様式について言っているものとされる。しかし、これに発して岡倉らが育てて現在に至る日本画はそれとも異り、洋画の対抗勢力としてその後に発達したものである[2]。その意味では日本画は明治維新以降のものであり、戦前の横山大観が日本画家であっても、江戸時代の狩野永徳は日本画家ではない。

は?もうわかわかんねえぞ.

つまり日本画とは洋画のカウンターとして生まれた、ので特に日本の美術全般を指すものではない

奈良時代から平安時代にかけて、中国や朝鮮半島などから渡来した技法や様式、あるいはそれに倣い日本で描かれた図画が「唐絵」と呼ばれた。これに対して日本的な主題を描くものが産まれ、「大和絵」と呼ばれた。その後、「漢画」に対する「和画」や、「唐画」に対する「和画」などと、呼び方やその区分は時代によって異るが、海外から新しく流入した画風に対し、旧来のものを日本の伝統的なものと考えるパターンは繰り返されていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%94%BB

なんかもう昔から似たようなこと繰り返しとんなー.


明治維新により狩野派などの幕府を支持基盤としていた画壇は勢力を失い
政府は早急に西洋式の「ファイン・アート」を導入しヨーロッパ諸国に恥じない芸術の体裁を整えようと遠近法などの西洋画法を導入した洋画が成立
多くの優れた美術品が古道具市場にあふれ、美術商だった林忠正らの積極的な売買により欧米に流出しそのまま帰らなかった
天心たちは、内紛により東京美術学校から追放され、横山大観や下村観山らとともに日本美術院を結成する。また京都画壇の竹内栖鳳らを初め、多くの日本絵画の作家らがヨーロッパに留学。やがてこうした動きから、諸派の絵画や西洋画の影響も取り入れた新しい民族美術として日本画が誕生


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