Station boys 1
敗戦後の東京。
雨風が凌げる駅構内には、戦争で家も家族も亡くしたボロボロの浮浪者や浮浪児が溢れかえっていた。
そして駅に住む浮浪児が夜見る夢は、常に母親の面影だった。
寝ながら、「母ちゃん…母ちゃん…」と泣く声が、毎夜そこら中で聞こえていた。
10歳のジローは、仲間達と一緒に上野駅前のいつもの場所に陣取り、靴磨きの道具を広げて客を待っていた。
見上げる空は青く、昔と変わらずに大きく広がっている。
ふと、マイクを通した男の声が聞こえて、声のする方を見ると、向かいの通りで、選挙の立候補者が声高らかに演説を始めていた。
「国民の皆さま!今、日本には十何万と言う浮浪児がおります。
今、こうして目の前にも、浮浪児達が住む家もなく、こうして靴を磨いて一生懸命に生きております」
そう言いながら、ジロー達の方を指差した為、立ち止まって聞いていた大人達が一斉にジロー達の方に目を向けた。
「なんだよ!こっち見んなよ!」
ジローの隣りにいるジローよりも少し体の大きなマモルが、不満そうに口を尖らせた。
「こんな子供たちを、国は放っておいて、それでいいのでしょうか?
彼らこそ、明日の新しい日本を背負って立つ少年少女なのであります。
私が当選した暁には、この少年少女たちを救い、すべてがきちんと学べる環境を整え、町の環境改善に取り組んでまいります」
立候補者を囲んでいる大人達から拍手が巻き起こる。
ブツブツと文句を言っているマモルの横で、ジローは演説者の話に集中していた。
演説を終え、自動車に乗って立ち去ろうとする立候補者に向かって、ジローはおもむろに走り出した。
「おいジロー!どうしたんだ?」
マモルの声を無視して、まっすぐに演説者の車に向かい、走り出そうとする自動車の前に立ちはだかった。
車の運転手が窓を開け「何をするんだ!」と怒鳴る。
開いた窓に勢いよく顔を突っ込み、後部座席にふんぞり返っている立候補者に、ジローは声をかけた。
「おじさん!さっき言ってた、オレ達浮浪児を救うって、あれ本当ですか?」
すると、さっきまでの柔和な笑顔が微塵もなくなった、太々しい表情の立候補者は、吐き捨てるように言った。
「バカを言うな!お前らのような浮浪児をみな救ったら、日本の経済が滅びるだろうが!」
運転手は、呆気にとられたジローの顔を外に押しやり、窓を閉めて車を発進させた。
ジローは走り去る車を呆然と見送った。
夜の駅の地下道は、大勢の浮浪者、浮浪児でひしめき合っている。
コンクリートの地面に敷いたむしろの上で、ジロー、マモル、ケンタの3人は、仲良く食べ物を分け合っていた。
「ああ ~たまにはあったかいうどんが食べたいな ~」
2人よりも少し年下のケンタが、半分のサツマイモも見ながら大きなため息をついた。
マモルとケンタは、以前は靴磨きなどせず、実は盗みで飢えを凌いでいた。
靴磨きからの帰り道、ジローの目の前に、闇市の方から浮浪児の少年が必死に走ってきて、血相を変えて追ってきた国民服の中年男に馬乗りに捕えられた。
「この野良犬め!カッパライするくらいならさっさと野垂れ死にしちまえ!」
その男は必死になっている浮浪児の、その骨と皮だけの細い指を一本一本引きはがして、握っていた饅頭を取り上げ浮浪児に唾を吐きかけた。
「チキショー!バカヤロー!」
栄養失調の痩せこけた浮浪児は男を睨みつけて、声を絞り出すようにして叫んだ。
「なんだとコラッ!」
男は浮浪児を足蹴にした。
「やめろよ!」
尚も蹴ろうとする男と浮浪児の間に割って入り、ジローは言った。
「もう饅頭は戻ったのに、これ以上子供を痛めつける事になんの意味があるんですか⁉︎」
「何を⁉︎ 生意気な」
男が振り上げた拳をつかんで、ジローはひるむことなく言葉を続けた。
「その饅頭、オレが買います。それなら文句ないでしょう? それでも客であるオレを殴りますか?」
ジローはポケットから小銭を取り出し、男の目の前に突きつけた。
男は、苦虫を噛み潰したような表情でジローから小銭をもぎ取り、その手元に饅頭を放った。
「ほらよ。最初っから盗みなんかしねえで金払ってればいいんだよ。子供だろうとただ飯食える世の中じゃねぇんだからな」
倒れ込んでいる浮浪児に向かって吐き捨てるように言って、男は去っていった。
「大丈夫か?」
ジローはしゃがんで、倒れ込んでいる浮浪児に声をかけた。
浮浪児はムスッとしたまま小さく頷いた。
「これ、食べていいよ」
ジローは饅頭を浮浪児の目の前に差し出した。
「え? でも…」
「いいんだ。今日は結構稼げたし、困っている時はお互い様だから」
「…本当にいいの?」
ジローは優しく微笑んだ。
「じゃあ…。ありがと」
浮浪児は饅頭を受け取って立ち上がり、歩き出した。
浮浪児が向かった電柱の陰には、もう1人痩せこけた浮浪児がいた。
「マモル兄!」
「ケンタ、待たせてごめん。さ、一緒に食おう」
マモルと呼ばれた浮浪児は、ジローにもらった饅頭を半分に割って、ケンタに差し出した。
その様子を見ていたジローは、「あ…」とある事に気付く。
「どうしたんだ? 足、怪我してるじゃないか」
ケンタはジローの言葉に、「誰?」という表情でマモルを見た。
「この饅頭、この人が買ってくれたんだ」
マモルはジローの方に目をやってケンタに言った。
「え、そうなの? ありがと」
ケンタはジローに向かって小さな声で言った。
「そんなことより、まだ血が出てるじゃないか」
「食べ物を取って逃げている時に転んで切っちゃったんだ」
ケンタの代わりにマモルが答えた。
「バイキンが入ったら大変じゃないか。ちょっと待ってて」
ジローはそう言うと、裏路地の方へ走り出した。
少し経って戻ってきたジローは、派手な身なりのパンパンの女性を伴っていた。
「あらあら、こりゃ大変だ。まずは水でキレイに洗わないと」
そう言ってジローと共にケンタを立たせて、水道まで連れていき、傷口をよく洗ってから、ハンドバックから取り出したウイスキーで消毒をし、首に巻いていたスカーフをケンタの足に巻いた。
「とりあえずこれで大丈夫だろう」
パンパンの女性は真っ赤な唇でニッと微笑んだ。
「ありがとう、マリーさん。助かったよ」と、ジローが言った。
「こんなのお安いご用さ」
マリーはジローに小さくウインクして、
「少しは痛みはおさまったかい?」と、ケンタの顔を覗き込んだ。
ケンタは照れたようにはにかんで小さく頷いた。
「そうか、良かった」
そう言いながらケンタの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「じゃあね、勤労少年」
そうジローに向かって言ってマリーは元来た道を戻って行った。
「ありがとう」
マモルがジローに頭を下げた。
ケンタは放心したようにマリーの背中をずっと目で追っていた。
「ケンタ、お前も…、えっと、名前は?」
「ジローだ」
「ケンタ、お前もジローさんにちゃんとお礼言わないと」
マモルの言葉にハッと我に返ったケンタは「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。
「いつまでも盗みだけで生きていくわけにはいかないだろ。オレがやり方教えるから、ちゃんと自分達で稼いでいこう」
「やり方って、靴磨きの?」
マモルはジローの持ち物をチラッと見て聞いた。
「うん」
「ジローさんは、ずっと靴磨きをしてるの?」
「ジローでいいよ。マモルだっけ?年はいくつ?」
「10歳」
「なんだ、同い年じゃないか。ケンタは?」
ジローはケンタに向かって問いかけたが、ケンタはまだマリーが去った方を見つめていた。
「ケンタは8歳らしい。もっと幼く見えるけど」
黙ったままのケンタの代わりにマモルが答えた。
「お腹を空かせて倒れているところを、さっきのマリーさんに助けてもらったんだ。
それで、スイトンを食べさせてもらって、『これからは子供も自分の力で稼いでいかなきゃ』って、靴磨きの道具を買ってくれたんだ」
「へー。親切な大人もいるんだね」
「うん。マリーさんの仲間の女の人達はみんな優しいよ」
「じゃあ、また会える?」
ずっと黙ったままだったケンタが、うるうるした目で聞いた。
「うん。いつだって会えるさ。お世話になっている代わりに、靴磨きをしながら得た情報をマリーさん達に伝えているから」
「パンパン狩りの?」
「うん」
ジローは顔を曇らせて小さく頷いた。
「そういえば…最近、タモツとミノルを見ないなぁ」
地下道で顔見知りのタモツとミノルの2人が、ここ一週間ばかり見えないことにマモルが気づいた。
「毎晩のように、ああラーメン食いてぇ!って叫んでいたのになぁ」
「ああ、なんか先週、旅に出てくるって言ってた 」と、ケンタが答えた。
「そうなんだ〜。なんか美味しい物持ってくるかな〜」
マモルが言うと、ジローは眉間に皺を寄せて心配そうに言った。
「最近ドサ周り帰りの子達に聞くと、都会より田舎の方が危険だって話しだ。
人身売買もあるとか…。大丈夫かな…」
ジロー達のように靴磨きなどをして日銭を稼ぐ者もいれば、農村に食べ物を集めに行くドサ周りをする者や、買い出しに行く闇業者の運び屋の手伝いをする浮浪児もいた。
地方の方が食料事情が良かったから、親切な人に会えばうまくいくけど、浮浪児を捕まえて農家の働き手として売り飛ばす輩もいたという。
「政治家なんて、みんな嘘つきばかりだ」
ずっと黙り込んでいたジローが、急に不満そうに吐き捨てた。
「昼間演説していたヤツのことか?お前、追っかけて行ってたもんなぁ。
何か言われたのか?」
マモルが優しくジローに問いかけた。
「お前らみたいな浮浪児をみな救ったら、日本の経済が滅びるってさ」
「そりゃ ~そうだろう ~!戦争に負けて金がないから、捕まえて牢屋みたいな施設にぶち込む事しかできないんだから」
マモルはジローをなだめるように言った。
「じゃあオレ達は、ずっとこのままなのか? 政治家には何もできないのか?」
「ああ、何もできないから、軍人の言いなりで戦争に負けてこうなってんだから」
そんな風に子供の2人が真面目に討論している側で、浮浪者の男が2人、握り飯を盗んだ盗まないで、殴り合いの喧嘩を始めた。
それを見たジロー達は、静かにその場を離れた。
ジローは、顔見知りの闇市の定食屋の店主に頼まれて、その日は靴磨きをせずに皿洗いの手伝いをしていた。
皿洗いをした時は、一日靴磨きをした時よりも多くお金がもらえるから、ジローは、今日はみんなに芋じゃないものを食わせてやれると、心をウキウキさせていた。
そこへ、マモルとケンタの2人が、沈鬱な顔で現れた。
「どうした?何かあったのか?」
「いや…終わるのを待ってるから…」
マモルの言葉に、悪い予感がしたジローは、「わかった…」と一言言って、皿を洗う手を早めた。
「えっ?!タモツが?!」
次郎は呆然と立ち尽くした。
マモル達が靴磨きをしている時に戻ってきたミノルの話しによると、タモツとミノルは食べ物を求めて農村で物乞いをした帰り、電車の無賃乗車が見つかって車掌に追い詰められられ、タモツはトイレに逃げ込んだのだが、ドアを引き開けられそうになった瞬間に、恐怖のあまり列車の窓から飛び降りてしまったのだという。
同じ列車に乗っていたのに、運よく生還してきたミノルは、
「オレは窓際の席で他の乗客の子供のふりをして窓の外を見てたんだ。
そうしたら列車の前の窓が開いて、そこからタモツが飛び降りて、吹っ飛んでいくのが見えたんだ…。あんなスピードじゃあ、絶対に助かりっこない…」と、泣きながら話したという。
駅構内で餓死していく者達を何人も見てきたし、川や電車に飛び込んで自殺する大人も子供もたくさん見てきた。
それでもやはり、少しでも親しくしていた仲間の死は堪えた。
沈鬱な空気に包まれ、どうしようもない重い気持ちを抱えたまま、3人はトボトボと歩いた。
ふと、ジローが立ち止まって、気分を変えるように明るい声で、
「よし!みんなでラーメン食いに行こう!」と言った。
「えっ?」
マモルとケンタは呆気に取られてジローを見た。
「タモツの弔いだよ!今日の上りで2杯は買えるから、3人で分けて食べよう!
タモツがずっと食べたがっていたラーメンを」
そう言って、みんなを元気づけるようにジローは笑顔を見せた。
「そうだな!タモツの弔いだ」
ジローの言葉に、マモルも明るく応えた。
「やった ー!ラーメンだ!!」
ケンタが大袈裟に喜んで飛び跳ねた。
「ラーメン!ラーメン!」
そして3人は踵を返して、歌うように「ラーメン!ラーメン!」と言い続けて、来た道を戻って闇市に向かった。
上野の地下道で眠れぬ夜を過ごしながら、ジローは自分だけが疎開する前に母が読んでくれた、特攻隊員に志願した兄が自分宛に遺した手紙を思い出していた。
『次郎へ
たとえ戦争に負けても、日本の歴史は続きます。
その歴史を担っていくのは、次郎、お前達です。
そして、新しい日本の歴史に必要なものは、自由です。
永久不滅の偉大なる自由こそ、人類の希望です。
俺は自由のために死ぬけど、お前は自由のために生きなさい。
でもその自由とは、両親の御恩の上、先人たちの苦難と努力の上、そして愛する祖国の上に成り立つのだという事を忘れないように。
いついかなる時も、日本国民の誇りを持って、真の自由を求めて下さい。
それでは、さようなら。御機嫌よく。さらば永遠に。 良治より』
兄ちゃん…。
真の自由って何だよ?
日本国民の誇りって何だよ?
そんなもん、今の日本にはカケラもないよ。
ただ生きてるだけだ。生きるだけで精一杯だ。
兄ちゃんは、なんで日本が負けるってわかってるのに特攻隊に志願したんだ?
眠れないまま、ジローは答えのない疑問を、亡き兄にぶつけ続けた。
「スリだ!チクショー!誰かそのガキ捕まえてくれ!」
闇市の喧騒の中で、ひと際大きな怒声が上がる。
次郎と同い年くらいの少年が、人々を押しのけて必死に逃げている。
が、何かにつまづき転倒し、呆気なく追いかけてきた男に押さえつけられた。
「この野郎!ぶっ殺してやる!」
男が少年に殴りかかろうとしたその手が、誰かの手に掴まれた。
「オイオイ、おっさん、可哀そうな子供にイチャモンつけんなや」
そう聞こえたかと思った瞬間、追いかけてきた男は殴り飛ばされ、地面に崩れ落ちていた。
口から血を流して顔を上げた男の顔は、恐怖に歪んだ。
自分の財布を盗んだ少年は、数人のギラついたチンピラ集団の後ろで笑っていた。
倒れこんだ男は、チンピラ達の嘲笑う声の中、地面を這いつくばりながら無様に逃げ出した。
その背中に向かって、少年は「ざまぁみろ!」と唾を吐いた。
そんな喧騒の中をジロー、マモル、ケンタの3人は、靴磨きの道具を抱えて歩いていた。
「おい!ジロー!」
声のした方に顔を向けると、スリをして逃げていた少年が笑顔を向けていた。
「……コージ?」
そのヤンチャな笑顔には見覚えがあった。
その少年・コージは、ジローがまだ靴磨きなどをせずに彷徨っていた頃に、ガード下で膝を抱えて、周りの浮浪者達が握り飯を食べているのをじっと見つめている時に声をかけてきたのだった。
その時、自分の持っていた握り飯を半分に割って、
「食えよ。お前、ずっと何も食べていないんだろ?」と言って手渡してくれ、一晩一緒に過ごしたのだった。
「久しぶりだなぁジロー!なにお前、靴磨きなんてやってんのか?」
コージはジロー達をジロジロ見ながら言った。
「ああ。コージ、お前は何やってんだよ。危ないことしてんのか?」
ジローは顔をしかめてコージを見た。
「アハハ〜。ヤベ〜今の見てたのか〜」
コージは照れ笑いをして頭を掻いた。
「あんな風に失敗する事はほとんどないんだけどな」
ジローは2人でガード下で一晩過ごした時にコージが言った言葉を思い出した。
「どうしたらこんな状態から抜け出せるんだろう…。どんな汚い手を使っても、どんなに罪を犯しても、オレは絶対にこんなところから抜け出してやろうと思ってる。
だって、誰も助けちゃくれないんだからさ」
「靴磨きなんてやってたって、いくらにもなんねぇだろ?」
「それでも、オレは犯罪者にはなりたくない」
「ケケ」
ジローの言葉を聞いてコージは鼻で笑った。
「犯罪者にならなくったって、犯罪者みたいな扱いをされてるのにか?」
ジローは、度々行われる警察による浮浪児の狩込みを思い浮かべた。
夜中に地下道で寝ていると、通路を塞いで警察官たちがなだれ込み、逃げ回る子供達を家畜のように追い回し、抵抗する子供は棍棒で殴りつけ、オンボロのトラックの荷台に詰め込まれて運ばれていく。
そして収容される施設は、施設とは名ばかりの、自由も食べ物もない、まるで牢獄だった。
国から支給される食糧は、職員が食べてしまったり、横流しされたりで、子供たちの元へは殆ど届かなかった。
その上、職員による体罰は日常茶飯事だった。
「最初の内はまだマシだったけど、盗みで送られた感化院は地獄だったぜ。
職員たちはオレたちを目の敵にして 、ちょっとでも気に食わないと 、真っ裸にして雪の降る表に出して、見せしめのために竹刀や木刀で殴りつけるんだ。
頭を割られて血を流しているのに放置されていたヤツもいた。
でも、何よりひどかったのが食い物だ。
一日の食事が 、芋半分なんてこともザラだった。
子供たちがそれを争って奪い合うから 、当然弱いヤツは生きていくことができない。
トイレで首を吊って自殺したヤツもいたよ 。
自殺するようなヤツは少しずつ様子がおかしくなってくるから 、なんとなく 『こいつヤバそうだな 』ってわかるんだ。
でも、助けようたって自分が生きるので精一杯でかまってなんかいられないし、死んで楽になれるのならそれはそれでいいんじゃないかとも思ったよ」
3人とも捕まって施設に送られたことはあるけど、極度の職員不足のおかげで、簡単に逃げられるから、そこまでの辛い経験はなかった。
「そんな経験をしてでもやめようとは思わないの?」
ジローはコージに問いかけた。
「じゃあ、どうやって生きていくんだ? 一生人の靴を磨いて、駅の地下道で寝て暮らすのか?」
コージの言い分に、ジローは言葉に詰まった。
「そんなことしてたって、焼石に水なんだよ。一か八か賭けてみなきゃ現実なんか変わらないんだ。お前たちだってそう思うだろ?」
コージは言いながらマモルとケンタの方を見て、
「ほら、これやるよ」と、チューイングガムを差し出した。
マモルとケンタはジローの顔色を窺ったけど、ジローが無言だったから、遠慮がちにそっとガムを受け取った。
「オレが今いるとこは、他のチャリンコ(スリ)学校とはだいぶ違うぜ」
「上野にもあるって聞いたことある。スリのやり方を教えてくれる親分がいるんだろ? 親分なのに、子供達はみんな校長って呼んでる」
マモルの無邪気な言葉に、コージは不適な笑みで答えた。
「オレがいるのは川崎さ。そこの親父は、スリを強要したりしないんだ。
その上、小学校や中学校で習うはずの勉強も教えてくれる。
これからの世の中を生き抜いていくにはスリの技だけじゃなく 、読み書きや計算なんかもしっかりできるようにならなきゃいけないって 、学校の授業みたいな事もやってる」
「え? スリをしなくてもいいの? 寝るとこも食べ物もあって、勉強も教えてくれるの?」
ケンタは無邪気に目を輝かせた。
「そんなわけないじゃないか。それじゃただの慈善事業だ」
「え、だって…」
マモルの言葉にケンタは不満そうに口を尖らせた。
「スリを強要はされないけど、結局みんな自らやるようになるんだ。
オレみたいに金のためのヤツもいるけど、親父に褒められたくて始めるヤツが殆どだな。
親の愛情に飢えたヤツらばっかりだから、親父に褒められるのが嬉しいんだよ。
だから、技術を覚えて独立したら、親父に中抜きされないで、全部自分の金になるってわかってるのに、独立するヤツは殆どいない。
みんな孤独に生きてきたから、家族みたいな存在や居場所がほしいからな」
マモルもケンタも押し黙ってしまった。
家族という言葉が、小さな胸を刺していた。
「コージもそうなのか?」
ずっと黙ったままだったジローが口を開いた。
「え?」
「家族みたいな存在がほしくてそこにいるのか?」
ジローの問いかけに、一瞬真顔になったコージは、すぐに腹を抱えて笑い出した。
「アハハ! オレがそんな殊勝な理由で犯罪を犯すと思ってんのか?」
「じゃあ、いずれ独立するつもりなのか?」
「ああ」コージはジローを真顔で見つめてニヤリと笑った。
「でも、スリとして独立するつもりはない。オレはスリをしながら、探ってんだ。
どうしたら、学歴も家柄もないただの浮浪児が、犯罪じゃなく金を儲けて生きていけるのか? だから、親父んとこでちゃんと読み書き計算も学んでるよ。
親父はいつも言ってる『金は貪欲に稼いで尊く使え』って。
『清く正しく生きたって、貧乏人は踏み躙られれるだけだ』って」
「……」
ジローは真剣にコージの話しを聞いていた。
「それに、こんな非合法な闇市なんかが長く続く筈ないから、頭を使わないと生き残れないし、GHQがパンパンも浮浪児も街から一掃しろって圧力かけてきてるから、女子供が街で働くのは難しくなってくるって。
ジロー、お前もいつまでもお利口に靴磨きなんてしてられなくなるぜ」
それはジローも感じてはいた。
狩り込みの回数がどんどん増えていっている。
落ち着いて夜寝られる日が減っている。
「いつでもここに来いよ」
コージはポケットからタバコを取り出して、そこに川崎の住所を書き、ジローの手に握らせた。
「モクを売れば靴磨きよりも稼げるぜ」
そして、ジローの肩をポンと軽く叩いて去っていった。
第二話に続く。
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