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認知変容は先に背負うことから始まる。

rebornは、人や組織が認知変容する過程を伴走をしている会社です。代表コラムでは、「認知変容」について気づきとなるノウハウをご紹介していきます。ご自身や部下の人材育成でモヤモヤされている方の、お役に立てたら嬉しいです。

人間は背負うことから逃げたくなる

こんにちは、reborn代表の羽渕です。

今回の記事では、「認知変容は先に背負うことから始まる」というお話をいたします。タイトルだけ読んでも、そもそも「認知変容」って何?必要なの?「背負う」って何?と疑問符だらけだと思いますが、解説していきます。

背負うとは言葉のとおり背にのせて負うことですが、荷物を背中に乗せるだけでなく、苦しい仕事や条件などを身にひきうけて責任をもつという意味もあります。たとえば一家を背負うとか、借金を背負うとか。なんだか重たくてしんどそうに聞こえますよね。

まさにここがポイントで、人間の脳はラクをする習性があるので、背負うことをなるべく避けたがる傾向にあります。 谷川嘉浩さんの著作『スマホ時代の哲学』で、哲学者のニーチェの『ツァラトゥストラ』の引用をされていたのでここでもご紹介します。

君たちにとっても、生きることは激務であり、不安だから、君たちは生きることにうんざりしているんじゃないか? 〔……〕君たちはみんな激務が好きだ。速いことや新しいことや未知のことが好きだ。——君たちは自分に耐えることが下手だ。なんとかして、君たちは自分を忘れて、自分自身から逃げようとしている。

ニーチェ『ツァラトゥストラ』

1883年に書かれた本なんですけど、現代でも思い当たる節がありませんか。仕事に忙殺されてしまえば、プライベートな問題に向き合わずにやり過ごせます。「ホントに自分はこうありたい」という気持ちに蓋をして、「仕事があるから」を言い訳にしたことはありませんか。私はよくやってしまいがちで耳が痛くなりました。

背負わない「分別のある大人」でいいのか


ニーチェの言葉から見えてきたことは、「背負う」というのは、仕事や役割だけじゃなくて「自分」をも含むということです。「自分」を背負うことから逃げていて、周りの評価や軸に従ってやり過ごしているのではないでしょうか。あるいは「他者」を背負うことなく、傷つかない範囲で人と表面上の関係を構築して付き合っているのではないでしょうか。

かくいう僕自身、そういう人生を送ってきました。なんならそんな自分のことを「合理的に考えられて分別のある大人」だとすら思っていました。それのどこが悪いの?って思われる方もいらっしゃるかもしれません。順風満帆で問題ないと思っていたら僕もそれでいいと思います。

でも人は「このままでいいのだろうか」と立ち止まる場面があります。僕の場合は、リスクを背負わずに自分ができる範囲で会社経営をしていくことに、虚しさや寂しさを感じるようになりました。クリアしたゲームをずっとやり込んでいるような退屈さがあって、なんのために「会社経営」しているのかわからなくなっていました。

立ち止まる。迷う。見えなくなる。わからなくなる。停滞。漠然とした不安。モヤモヤ。逃げたいけど、もう逃げきれない。無理なんじゃないか。
そういう場面のときに「認知変容」は役に立つんだと思います。

「認知変容」とは、世界の景色が違ってみえる体験で、今までのゲームから新たなゲームに変えることです。その「認知変容」を起こすことを助けてくれる仲間が、重たくてしんどそうなイメージだった「背負う」ことだったということです。

この社会で「背負う」ことほど楽しい遊びはない

「背負う」という言葉は、重たくてしんどそうなイメージを持っていらっしゃる方が多いと思います。でもこの社会で生きている限り、意識してないだけで、どこかで「背負う」経験をして、喜びを感じてるのではないかと思います。

例えば子どもがいる親や、犬やネコ等のペットを飼ったことがある人は、子どもやペットの人生を背負っていると言えます。子どもやペットを放置して、長期旅行には行きませんよね?もちろん面倒くさいこともあるけど、繋がることによって生きる喜びを感じていらっしゃるのではないでしょうか。

逆に全く「背負わない」とどうなるのか。例えば一人で山奥で暮らし家に引きこもり、誰とも繋がらない生活をしているとします。一日、誰とも話しません。自由気ままに暮らせそうだし、もし自分がホントに望むことだったらアリだと思います。でも仮に「自分」と向き合うことからも避けていて、自分には価値がなく、後悔しているんだとしたら。ただ時が経つことをやり過ごそうとしているなら、それは虚しいのかもしれません。

背負うというのは、自分の中に多様な自分や他者を住まわせる行為と言えます。それによって面倒なことも増えるかもしれないけど、他者がいることでホントにやりたかった「自分」を迎えにいけるかもしれません。「自分」だけではできなかったことが、他者と通じて自在にできる可能性もあります。
『機動警察パトレイバー』シリーズのアニメ監督の押井守氏は著書でこう語っています。

家路を急ぐあなたの足で、小さな生き物がくんくんと鼻を鳴らしながら、あなたの温もりを求めている。あなたはその時、躊躇なく子犬を抱き上げる。両の手のひらを通じて、小さな生き物の鼓動が伝わってくるはずだ。そのほのかな温もりは、犬なんか飼えないと抱き上げなかった、先ほどのあなたには得ることができなかった感動だ。この感動を得ることが、人生を生きる最大の目標である。

『凡人として生きるということ』


rebornは組織づくりの仕事をしています。人事制度をつくるとか、研修をするとか、そういう手法で説明した方がわかりやすいかもしれません。でもその本質は、自分の中に多様な自分や他者を住まわせる伴走、自己と対話、他者との対話によって新たな関係を構築しつづけることです。自分の中に豊かな庭をつくり、味わい深さを感じることに美しさを感じます。

認知変容は先に背負うことから始まる。

僕自身は、子どもが産まれた時に起業しました。長男と会社は同じ2016年4月に誕生しました。経済的な安定だけみれば、大企業に残っていた方が安定なのかもしれません。周りからも心配されたことを覚えています。

そのとき、子どもから見た自分を想像したんです。仕事をしている僕に「パパ、ホントはどうしたいの?」と息子が問いかけます。僕はそれが何か答えられませんでした。少なくとも子どもたちが大人になるために仕事をしたい、それが何なのかイチから考えたいと思って起業しました。まさに子どもを背負ったことで認知変容が起きた瞬間です。

起業してから6年経って「パパ、ホントはどうしたいの?」という問いに対して、「人の中に豊かな庭をつくる庭師みたいな仕事がしたい」と心から言うことができます。

もちろん「心の庭師」みたいな求人は、世の中にはありません。ただ答えがわからなくなって、立ち止まざるを得なくなった時代において、一定数の価値を感じてくださる方はいるのかなと思います。そうじゃないと、6年間も存続できません。そして今、rebornの仕事に共感して仲間が集まってくれています。

4月で7期目に入りますが、今度は僕は仲間の人生を先に背負うことにしました。表面上の関係で付き合うのではなく、自己を開示し、経営情報もオープンにして、報酬設計を変えました。正直その過程で痛みも苦しみも伴っています。不安でイライラしてしまうこともあります。でも仲間を背負うことで、「認知変容」が起き、新しいゲームが始まり、生を実感しています。

ドキドキして不安や緊張がとまらなくてワクワクもしている気持ちは、例えるなら「入学式に出席している気分」と似ています。息子も今年で小学生です。大人になっても背負うことによって何度も「認知変容」が起きながら変化していく。友達100人もいらないですが、すでに信頼できる仲間がいることは幸福です。

美大を目指すスポ根受験漫画「ブルーピリオド」という漫画で、主人公の矢口八虎が友達とサッカーを観戦しながら自分たちに問いかけます。

この感動は誰のものだ?なんでこんなに大声出してんの?他人の努力の結果で酒飲むなよ。お前のことじゃないだろ。俺も。これは俺の感動じゃない。

ブルーピリオド第1巻


外から見ているだけでは何も始まっていません。そもそも何から目を背けているのか、これから何を背負っていくのか、自分の心臓の鼓動は聞こえているのか。世界の景色が違ってみえる体験「認知変容」のガイド役をrebornがしていきます。

最後までお読みいただきありがとうございました!

reborn株式会社では、「愛をもって認知を揺さぶる」をコンセプトに、企業の文化作り、社長のコーチングなどのお手伝いをしています。ご興味をお持ちいただけましたら、rebornの公式Twitter経由か、rebornのメンバーの知り合い経由で直接コンタクトしてください。

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