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アスリートと生理100人プロジェクト VOL.4 :生理はこなくてアタリマエ。体重管理と付き合い続ける体操選手のリアルとは

「ジェンダーのアタリマエを超えていく」をビジョンに掲げる株式会社Reboltが企画する「アスリートと生理100人プロジェクト」。日々挑戦し続けるアスリートは、生理とどのように向き合ってきたのか。そのリアルな声を、生理で悩む人たちへの解決策・周囲がサポートするきっかけへと繋げることを目的としています。

第4回のゲストは、元体操日本代表の飯塚友海選手。日本代表としてオリンピックのメンバーに選ばれながらも、19歳の若さで現役を引退しています。現役中、そして引退後と、食事に関わる悩みを抱えてきたという飯塚選手。「生理はこなくてアタリマエでした」と語る飯塚選手から、体操選手のリアルをお聞きしました。

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飯塚友海 
1993年3月17日生まれ。元体操選手。2011年女子体操世界選手権団体8位、2012年ロンドン五輪女子体操日本代表候補にも選出。怪我に苦しみ19歳で引退。現在は、自身の経験をもとにYouTube等で発信活動を行っている。栄養士資格も保持。

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小学校1年生から体操クラブへ。体操と歩んだ13年間

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-2011年、18歳で世界選手権に日本代表として出場するなど、体操界のトップ選手だった飯塚選手。そもそも、体操競技はどのような経緯で始められたのでしょうか。

体操競技を始めたのは小学校1年生でした。幼稚園のときに鉄棒が得意で、他の子ができないこともできるような子供で。元々内気な性格だった分、得意なことは伸ばしてあげようと考えた母が、体操クラブに連れて行ってくれたことがきっかけです。そもそも、体操クラブが家の近くにあったことも1つの理由ですね。

-その体操クラブには、何歳まで所属していたのでしょうか

中学校3年生までです。

-ずっと同じクラブにですか

そうです。ずっと同じクラブ。コースが別れていて、一般・育成・選手コースがあるのですが、小学校5年生のときから選手コースでした。

-当時から才能を見抜かれていたのですね。ちなみに、小学校1年生から体操を始めて、日々の練習時間はどれくらいなのでしょうか

一般コースだった小学校1年生から3年生までは、週に1回くらい。小学3年生の途中からは本格的になり始めて、週5回。

-急に増えますね

そうですね。最初は練習時間も3時間くらいでしたが、選手コースでバリバリやっていたときは、4~5時間ぶっ通しでした。学校が終わってすぐにクラブに行って、4時半から9時過ぎまで練習していました。そこから家に帰って、宿題をやってご飯を食べて…。

-えーーー!小学校時代からそんな生活してたんですか

そうですね、していました。

-中学校3年生でクラブを卒業した後は、どこで体操をしていましたか

中学校を卒業した後は、常盤木学園高校に進学しました。設備が整っていたり、専門の体操場も備わっていました。

-常盤木学園は女子サッカーの名門校ですが、体操も強いんですね。その後、選手としてのキャリアを教えていただけますか

高校を卒業後は、社会人クラブの朝日生命体操クラブで2年間キャリアを積み、19歳で引退しました。

-19歳…早すぎると言われることもあったのではないでしょうか…引退のきっかけはなんだったのでしょう

引退した理由は、怪我をして、怖くて技ができなくなったから。跳馬の助走路に立つだけでも、震えてしまったり体操そのものが怖くなってしまいました。「もう、体操をやりたくない。無理」って状態になってしまって。練習に行かなくなり、そのままやめました。

-そんな裏側があったのですね。現在も体操に関わることはあるのでしょうか

体操をやることはもうないですが、たまに子供に運動を教えるくらいはしています。

-なるほど、ご自身で「体操はやらない」選択をされたんですね

体操以外の世界に行きたくて。

-小学1年生からずっと体操をされていたんですもんね…

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生理はこなくてアタリマエな世界


-本プロジェクトの本題に入っていきたいと思います。飯塚選手は、始めて生理がきたのはおいくつでしたか

私、実は初めて生理がきたのは、引退後の20歳のときでした。

-なるほど…生理がきていなかったことに対して、指導者や親御さんとお話ししたことはあったのでしょうか

指導者とは生理の話をしたことは1回もなかったです。母は少し心配をしていたので、高校生の頃に1回だけ、一緒に産婦人科に行ったことがあります。体操もやっているし、もう少し様子を見ましょうということで終わった気がしますが…。

-体操をやっている選手は、初めて生理がくる時期が遅いことはアタリマエなのでしょうか

アタリマエな節はあります。生理がくると、女性らしい体型になったり体重が増えることもあるじゃないですか。だから、(競技的に)生理がこない方が良い風潮があると思っています。生理がきてから、身体が変わって調子が落ちてしまう選手が多いので…だから、体操は15歳くらいがピークと言われてるのかなと思います。

-そうなのですね…選手からすると、複雑ですね

私自身も、こないで欲しいと思っていました。今思うと、その考え自体が危険だなと思いますね。

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小学6年生が初めてのダイエット。徹底的な体重管理

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-体操選手は厳しい体重管理と激しいトレーニングによって生理のトラブルが起きやすいとされています。飯塚選手も、体重管理はやはり徹底されていたのでしょうか。

体重管理は、選手コースに入った5年生から毎日測る習慣が身についていました。地元のクラブに所属していたときは、体重を毎日ノートに書いて先生が確認していました。ちなみに、初めてダイエットをしたのが、小学校6年生の時でした。

-小学校6年生でダイエット…

クラブの先生が「ゆうみ、ちょっと太ってる」って、私の母に。そこから「少し体重を減らそうか」と、母が食事管理をしてくれていました。

-成長期なのに…

小学生の2キロって今となっては大きいなと思います。

-ちなみに、ダイエットはどのような方法で行ったのでしょうか

朝晩の炭水化物をやめて、朝はバナナとヨーグルト。給食はちゃんと食べて、夜ご飯は茹でた野菜を食べてました。あとは、練習前にバナナを1本食べてました。

-過酷すぎます…

でも、そのときは筋肉は落とさず脂肪だけ落としながら痩せたので、成績も伸びて良かったです。

-メリットを感じていたのですね

そのあと、中学2年生のときに自己流でダイエットをしたんです。小学生のときに痩せて良かったイメージがあったので、また体重減らせば成績も良くなると思っていました。その時は、自己流の食事をただ減らすダイエットをしたのですが、タンパク質も取らずに筋肉も落ちてしまって…結局、ただのヒョロヒョロになって駄目でしたね。

-中学生の年代は、まさに成長期ですよね。食事を減らしたことで、成長に何か影響はありましたか

そうですね。全然身長も伸びなくて、小さいし細いし、ずっと小学生の体型のような感じです。周りの子が中学校に入って成長していく中で、自分だけそのままでした。

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数字を減らすことが全てな体重第一主義

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-体重管理の際に、ノートに体重をつけていたとお話しされていました。指導者の方にノートを見せる際、体重管理の方法など具体的なアドバイスはもらえるのでしょうか。それとも、ただ体重をチェックされるだけなのでしょうか

ちゃんとした食事指導はなかったです。「重い」「見た目が太っている」と判断されたときには、先生に「減らせ」と言われていました。

-つらいですね。方法を教えてもらえずして、自己流で落とすしかないとなると、無茶苦茶な方法で痩せてしまいそうですね。

知識がないので、とにかく水分を減らしたり、お風呂で汗を出してから練習に行ったり。そうやって体重を減らす子はたくさんいました。

-干からびてしまいそうです...

代表レベルの選手でも、そのような方法をとる子はいましたから。先生には、練習前はお風呂に入るなと言われてはいましたが、そうするしかない。数字を絞り出すしかない。それぞれに設定体重があって、その体重にしないと練習ができませんでした。

-体重の記録は高校や社会人クラブでも続けられていましたか

ノートに書く方法は、中学校までのクラブだけでした。高校からは、先生が体重を測ってるところを見ていて、その数字を先生がノートに書いていました。だから、絶対にごまかせない。体重を測り終えた瞬間、飲み物をいっぱい飲んでいました。カラカラなので。

-本当に体重第一主義なんですね。なんでなんだろう。

軽ければ軽い方がいいって感じなんです。数字を減らすためだけに、練習以外の時間は「どうしたら減るか」を考えていました。体重計にも1日10回のって、ちょっと飲んだり食べたりしたらのっていました。中には、下剤を飲んで練習にくる子もいました。

-心が痛い…

みんな、身体に悪いことをしてまで数字を減らしていたなと思います。

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引退後も続く"体重に支配される人生"

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-先ほど、初めて生理がきたのは引退後とお話しされていました。生理がくるようになった1番の要因は思い当たりますか

体操をやめて、食事制限もなくしたので、今まで我慢していた食欲が爆発しました。すごく食べたので、10キロ太りました。現役時代の体脂肪率は8%前後でしたが、太ったことで体脂肪も増えたので、生理がきたのだと思います。

-体重が戻ったことが要因だったのですね。

はい。でも、10キロ太ったとき、周りからみたらガリガリが普通になっただけだと思いますが、自分の中では物凄く太ったと感じていました。痩せている基準がおかしくなってたので。痩せなきゃと思ってしまって、摂食障害が始まりました。

-なるほど…摂食障害ですか…

私は摂取障害の中でも「過食嘔吐」で、物凄く食べて吐くんです。3年間で10キロ太って5キロ痩せるを繰り返していました。生理自体が止まることはなかったですが、かなり身体に負担がかかっていたこともあり月経不順でした。「太っているイコール駄目」の考えが体操経験から残っていたので、痩せないといけないと感じていました。

-小学生の頃からの基準を変えることは大変なことなのだろうと想像できます

現役時代は「体操をやめたら体重なんて気にしなくて良いんだ」と思っていたのですが…。体操をやめても、なんで体型や体重をこんなにも気にしなければいけないんだろうと思っていました。

-摂食障害の治療はされていたのでしょうか

はい。摂食障害の治療を始めたのは21歳で、そのときに病院の先生に「19歳で引退してよかったね」と言われたました。「生理もきていなかったし、ずっと拒食症のようだったんだと思う」と。「よかったね」と言われたのが今も覚えているくらい印象的でした。

-引退してから摂食障害になったと捉えてはいるけれども、現役時代も強すぎるこだわりあったということなのでしょうか

はい。自分自身は拒食だった意識はありませんでした。現役中は、競技のことしか見えていなくて、競技を辞めたあとの人生は1度も考えたことがなかった。生理がこないと子供が産めないことも、別に考えていませんでした。今となっては、19歳で引退してよかったと思います。

-摂食障害になる体操選手の方は多いのでしょうか

YouTubeでも摂食障害に関して発信を始めたら、私もそうでしたとコメントをいただくようになりました。大体的ではありませんが、蓋を開けてみたら多いんだなと感じてます。

私自身も、生活の一部に体重管理があることが日常だったので、おかしいことや執着しすぎてることも気づいていませんでした。

-なるほど

時間はかかりましたが、体重に執着がなくなったのは本当に最近ですね。体重に支配されている人生だなと思っていましたが、やっと解放されて。パートナーが「そのままでいいんんだよ」と伝えてくれたりもして、太っていても痩せていても、自分自身の価値には変わりがないことに気がつけました。

-もし、昔の自分に声をかけるとしたら、どんな言葉をかけますか

声をかけるとしたら…朝日生命時代の自分には特に「もっと食べて大丈夫だよ」と声をかけますね。エネルギー不足で疲れてしまっていたので。

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演技ではない部分を見られること

-最後の質問です。Reboltは「ジェンダーの当たり前を超えていく」をビジョンに掲げています。これは女子サッカー界や女性スポーツ界にいる中で、「女の子だから」「女性だから」という「ジェンダーのアタリマエ」で選択肢が制限されることが多いと感じてきた経験から生まれたビジョンです。

飯塚さんの中で、現役時代・そして現役引退後に感じた「ジェンダーのアタリマエ」は何かありますか

女子体操がメディアに取り上げられることは嬉しいですが、レオタードや体型などを見られてしまうと…いい気持ちはしないなと思いますね。

私自身も、代表になったときには「幼児体型で気持ち悪い」なんてコメントもありました。演技じゃなくて、この選手はスタイルがいいとか可愛いとか、そっちで盛り上がられちゃうのは、嫌だなと思います。

-最近では、陸上選手が、同じような目で見られてしまうことに対して声を上げ始めていたりもします。体操界では、選手の中から声を上げたりする出来事はこれまでにありましたか

そのようなことに関しては、言えなくてそのままです。体操界で声をあげているのは聞いたことがない。声をあげたところで仕方がないって気持ちがあるんじゃないかな。

-なるほど。仕方がないと感じているんですね…

我慢するしかない。体操のユニフォームは変わることはないので。なかなか、声を上げる勇気は出ないです。


----------終わりに----------

今回、飯塚選手の声から見えたのは”体重管理”と女性スポーツ界のアスリートの密接な関係だ。

体重管理が競技をする上で必須なのであれば「なぜ体重管理が必要なのか」「どの程度の管理であるべきなのか」「どのように管理すべきなのか」の最低限の知識と客観的視点が必要なのでは。そう思わずにはいられなかった。

また、競技として必要な体重の捉え方と、1人の人としての体重の捉え方は全く異なるものなのではないだろうか。1人のアスリートも、社会を生きる1人の人間であり、競技を終えれば元アスリートとしての人生が待っている。

このインタビューを読んだ人にとって、飯塚選手の声が”アスリートの人生”を見つめるきっかけになることを祈っている。


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