平和のための教育方法の研究|論文1|論の整理

オンライン学校 平創校創設者 松田淳也

前提〜なぜ研究に取り組むのか〜

これから少しずつですが、平和研究を進めていきます。私の目的は、普遍的な世界の平和を目指す事です。そしてその手法として私は自分の関心である教育にしました。世界の平和を実現する事のできる教育方法をこれから研究してまいります。

研究の素人なのでやり方に難はあると思いますが地道に進めて適切で普遍的な平和実現のための教育方法を確立していきたいです。

また私が研究という手段を取ろうと考えたのは、世界の平和とは、下記の定義のように可変的なものであると考えるからだ。現代の通説は、同様に教育も、その時代に合わせて変わる可変的なものであると考えられているが、私は教育を普遍的なものとして再定義し、常に誰もが世界の平和を目指す事のできるような基盤としたいからです。

世界の平和を目指す背景としては、
1被爆国の日本人として、原爆や戦争によって失う
マイナス的要素を無くしたいと思うからです。

2ロジカルでないですが、より全員が幸せだ、平和だ、と感じられる世界にしていきたいからです。そんな社会を目指せる事自体が私にとっては、平和だなと感じる

定義仮説

平和の定義(仮説1)
平和とは、その時代毎に、コミュニティのマジョリティが形成する文化であり、その文化を元に各個人が平和であると恒常的に認識する事である。

類義語として、幸せ・幸福の定義
幸せとは、平和状態を恒常的なものとして捉えた場合に、一時的なものであると捉える。

この定義において、現代の平和は、基本的人権などの主義をもとに、最大多数の者が平和であると認識している状態である。
しかし、昨今のマイノリティー問題や資本主義を考えると、基本的人権をもとにした平和を実現するために、最大多数の幸せと同時に少数の幸せを実現することが難しくなっている。または、少数の幸せが犠牲となっている。

教育の定義(仮説2)
教育とは、その生物の潜在能力を顕在化させるために、環境を整え、教育対象の本位に基づきそれを引き出す事である。(開花)

教育というのは、本来潜在能力を引き出すという行為以外に、目的を持ってはいけないと考える。
なぜなら、教育が、教育対象本位ではなく、教育側本位になった場合、調教や洗脳という、教育側が都合の良いように操るための方法になってしまうからである。

慶應SFCの学生が、私とは違う定義の結論を導き出していたのでこちらも是非参照して欲しい。

仮説結論

仮説結論1
平和を実現するための教育というのは、各個人が平和でありたいと思った時に、十分な環境が整えられていて、その実現を目指せるだけの学びを得られる状態を創ることである。

仮説結論2
平和を実現するための普遍的な教育方法がある事によって、平和を恒常的に実現できる社会になる。

仮説結論3
平和を恒常的に実現できる社会である事で、社会全体の発展(充実度)が加速する。

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