番外編〜生きることの意味と死ぬことの意味〜

私たちはなぜ生きる意味を考えるのでしょうか。

今回は、生死に関して手短に簡潔にお届けします。

私たちは、必ず生まれて、必ず死にます。
必生であり、必死です。

しかし、人は良く生きる意味だけ考えます。
生きるとはなにか?生きている意味ってあるのかな?私が生きてる意味は?
なんで生まれてきちゃったんだろう?
など。

では逆に、死ぬ意味について考えてみてください。
なんで死ななきゃいけないんだろう?死ぬ意味って?私が死ぬ意味は?

皆さんには、これを聞いて
こんなことを考えても意味ないなって思ってほしいです。
しかし同時に、だから自由なんです。

”死ぬ意味が無いように、生きる意味も別にないんです。”
誰かに与えられた意味なんてないってことです。

逆に裏を返せば、生きる意味も死ぬ意味も、すべて
全部自分で定義していいんです。

それを俺はデザインする。と呼んでいます。

”参考 プロおごられ屋”

俺が自分で定義した人生の意味は
「人生とは人の行動への刺激である」
「人生とは旅である」「人生とはゲームである」です。

同時に、死の意味は
「死とは、忘れらることだ」by Dr.ヒルルク
「死とは考えることをやめたとき、または終わった時だ」参考 デカルト
「俺にとっての死は、自由じゃない時だ」

俺は俺を殺して生きれないです。

下記でそれぞれ説明します。
しかしその前に、この記事の結論を。

私たちの今生きている時代は昔の士農工商などの時代よりも自由です。
昔は、生まれて誰かに決められたロールプレイングゲームをしないといけませんでした。しかし今は、自分ですべてを決めれてしまいます。

自由。その言葉はきっととても重たいです。

誰かが決めてくれた方が。
誰かが言ったことをやっている方が。
そう思う気持ちはあって当然だと思います。

もし、死にたいと思っているのならそのロールを選ぶのも有りです。

しかし。

せっかくなら、この人生ゲーム。
盤面を変えて、役職を変えて、生き方を変えて、いろいろ自由に試してみて
そのあとに死んでみてもいいんじゃないかと思うんです。

日本人にしかない考え方「もったいない」
これは、輪廻転生の考えがある日本独自のものです。
今も、死後にも人生はある。しかし、今を生きられるのは今だけだ。
楽しみ切らなきゃ「もったいない。」

俺はそう思って、自分の人生を誰かの決められたロールではなく、
デザインして生きています。そう思い込んで生きています。

This is me. 俺の好きな歌です。


「人生とは人の行動への刺激である」

人の世の中に生まれ、人の思考の渦の中でいる私たち。
1人1人が何かを考え、行動を起こし、世界は回っている。

そんな世界で、俺はできるだけ多くの人へ影響を与えられる人になりたい。
そして、できるだけ多くの人の行動を促したい。

この定義の続きは、
「なぜなら俺は平和を創るために生まれてきた。」
だからです。

「人生とは旅である」

私たち人は、生まれてから、あらゆる事実と思える情報を目にして、
聞いて、感じて、意識して生きています。知覚するといいましょう。

そしてそれらから、様々なことを感じて生きています。

好奇心。それは人が人たりえるために備えられた本能だと思います。
なぜなら、人は考えなければただの動物だからです。

新しきを求め、探し、見つけ、知り、理解し、考え、創造する。
そうして人は様々なことを創造し社会に誕生させてきました。

そんな世界を俺はとても素敵だと感じます。
冒険も旅も、言い方はなんだっていいです。
こんな世界に生み落とされたすべての現象を見て俺は高揚する。

旅に、危険はつきものです。けれど、それらすべてをひっくるめて。
俺はこの人生を最大限楽しんで生きていきたい。
全部笑って、これが旅だ!と思って生きたいと思っています。

「人生とはゲームである」

ゲームが好きな人にしか通じないと思うんですが、
ゲームは楽しいんですよ。ただ俺の場合はMMORPGをやってて、ある日、
うーん。ゲームって自由度がやっぱり狭いなと。やっぱり誰かが作ったコマンドでしかプレイできないと感じてそれだと不満だったんですよ。
だけど、人生は違うじゃないですか。きちんと経験値を貯めて、スキルを身に付けていけば、魔王だって倒せるわけで。それを求めてやるのがやっぱり楽しんですよね。ゲームは、必ず相手を倒せてしまうのもつまらないです。
人生は、相手も強いので面白いです。

ゲームに本気になる人もいれば、本気にならない人もいます。
それでいいんです。ゲームですから。

ただ、俺は本気になる人を増やしたいと思うので、
人の行動へ刺激をし続けます。

「死とは、忘れらることだ」by Dr.ヒルルク

名言です。託し、受け継ぎ、叶える。
俺はできるなら自分の人生で、ダメなら、こうして情報を発信していく中で、誰かに託して、夢を叶えたいと思っています。

俺が発信するすべてから、多くの人が様々を受け取り、
俺の夢である平和の実現へ、世界を近づけたい。とそう思っています。

俺の中にある平和の定義は

人々が可能性を信じ、
未来を作っている自信を持ち、
明日を生きる力を強く持て、
私はここが良いんだと言える、

そんな社会

です。これだけです。具体的にどうするか?は、
夢のメモとか俺の脳内メモとか、AlbaProjectとか、平創校とかで表現しているのですが、めざすVisionさえ共有できれば、世界の行く末は大きくぶれることはないと思うので、このVisionを目指しています。

俺は、このVisionの説明をし続けていくのが俺の人生になるでしょう。

「死とは考えることをやめたとき、または終わった時だ」参考 デカルト

人は肉体が残っていても死にます。だから、思考の中に生きていると思っているのですが、その思考こそが存在の証明なのだとしたら、俺は、思考を発信しつづけないと死んでいるような感覚になるんです。

俺はこう思う。
というのを良く発信してきました。

これは俺にとっては生活の一部なのですが、人によっては、たくさん自分の意見を持っていてすごいと言われます。しかし、きっとそれは生きるや死ぬの意味が違うからだと思っています。

自分ができること、できないこと、得意不得意は必ずあります。
そして、俺もできないことを出来ている人をみたらすごいなと思います。
同時に、すごいと言われることは自信を持って極めるといいと思います。

そのほうがもっと、誰かを助けれると俺は思っています。

「俺にとっての死は、自由じゃない時だ」

これが最後ですね。俺は不自由が嫌いです。
自由じゃないと思ったら、その環境から俺はすぐに逃げます。
そして俺のその感覚からすると日本はとても自由です。

さすが先進国だと思っています。

しかし、今の日本は、自由であるがゆえに、
発展が停滞しています。
そして、発展が停滞した先が不自由な可能性も十分にありえます。

これの理由は簡単に言うと、国民の能力不足です。
国民1人1人がどうやったら国の発展につながるのか?
を考えて動いたほうがやっぱり国や世界は発展します。

しかし、今世界で、自由を求めて世界で発展をさせているので、
日本という精神性さえ残れば、日本は残りつつ、
全員自由な社会になっていくだろうなと思っています。

自由は自分で掴みにいくものです。
言ったでしょう。自由に、誰かに与えられた意味なんて無いと。
それに気づいて自分で自由をデザインしないといけないんです。

不自由なのは、自由を誰かに与えられることを待っているからです。
いつまでたってもそれじゃあ不自由ですよ。

しかし、不自由が悪いわけでもありません。
士農工商の社会も、それはそれで良さがあったからです。


良かったら皆さんも生死について考えてみてみてください。

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