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やりがいと生きがい

お客さんと話しているとき、ふいに新しい発見や気づきや問いをもらうことがある。 やりがいよりも生きがいのある人生を。 親が子供に言ったという言葉になるほどと思った。 やりがいとは主に仕事などの局面で使われることが多い。 生きがいとはまさに自分の人生が主体となっている。 それは時間軸の問題かもしれない。 やりがいは短期的だし、生きがいは長期的だ。 生きがいはやりがいを包括しているような気もする。 自分の人生を通して取り組みたいこととは。 それは好きで好きでたまらないことだろう。

    • 自分に合った方法で

      料理人という職業は時に華々しく表の舞台にも立つことができる。 業界に身を置く以上、シェフとして名が知れた著名な人を何人かは知っている。 三國さんもそのうちの一人だ。 時代背景的にも厨房の中での暴力が横行していた中で、上へ這い上がっていくバイタリティは並大抵の人にはできない。 技術とセンスと体力と根性と。 一流と呼ばれる人は本当にすごい精神力だと思う。 この本にはそんな時代を駆け抜けた軌跡が綴られているのだけど、ぼくが感心した部分は違うところにあった。 それはほんの少しだけ最後

      • 招かれること

        先日、料理家の冷水希三子さんの食事会に参加してきた。 料理教室ではなく、お家に招かれてごはんをいただくという趣旨の食事会だった。 ミーハーなタイプではないので著名な方と会えること自体には、そんなに緊張はしなかったけれど、このような機会は初めてだったので楽しみにしていた。 他の参加者がどのような動機で来ていたのかはわからないけど、だれか特定の人が作る料理を食べに行くという行為そのものは、外食というよりもっと食事の本質を得ているような気がした。 食事ひとつとってもいろんな視点か

        • オープンな性

          前から不思議なのは、コンプライアンス等が厳しくなって世の中の表向きな発言は慎重になっていく方向なのに、インターネット上や文学の世界では生々しい描写が許されていたりすること。 特に性的なコンテンツが老若男女問わずたくさんの人に届くようになったと思う。 昔なら必死で作戦を考え周りの目を盗み鑑賞していたものも、今なら手軽に手元で手に入る。 大人になる上で正しい性教育というのはとても大事なことなので、早い段階から知識を得るのはいいことだけど、インターネット上には品のない性コンテンツが

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          底辺職業

          底辺職業にはいつも飲食業界がランキングに入っている。 底辺という言葉を使いそれをカテゴリー分けしてしまうのも問題だけど、テレビのような大きなメディアで取り上げてしまう品のなさが今の社会の有り様を表していると思う。 たとえそれが良くないことだとわかっていたとしても注目を集めて議論させて認知を上げて利益を得る、みたいな悪循環は枚挙にいとまがない。 底辺職業とは主にこういったもの。 土木・建設作業員、警備スタッフ、工場作業員、倉庫作業員、コンビニ店員、清掃スタッフ、トラック運転手

          こうでなければならない

          たとえば結婚はするものと思っている人はまだまだ多いと思う。 キラキラした幸福のイメージが先行する男女の慕情はいつの時代も普遍的なコンテンツだ。 でも結ばれることが幸せ、と結婚することの幸せは少し違っていて、結婚はあくまでも社会が整えた制度にすぎない。 今結婚する人が少ないことや離婚する人が多いことは、誰のせいでもなく社会背景の影響が大きいだろう。 働き方の変化やエンタメの充実、フェミニズムの台頭も含めていろんな要因が自然と社会の流れをつくっている。 中でもインターネットによ

          こうでなければならない